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題名:  眩暈(めまい)
原題:  Die Blendung
著者:  エリアス・カネッティ
訳者:  池内 紀
発行:  法政大学出版局 (1972/11/25)
価格:  \2,800
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「狂人にまつわる人間喜劇」―群衆と権力の考察をライフワークとしたカネッティ、26歳にして著した唯一にして孤高の長編小説。
【内容紹介】
 ドクトーア・ペーター・キーン、当代最高の中国学者にして私設図書室司書、40歳。受け継いだ遺産をすべて蔵書につぎ込み、フラットの通しの4部屋の壁面はすべて書巻で覆われ、その数2万5千冊。中国・日本はじめ東洋の古典世界に生き、現存人類になど興味のなかったはずの彼は、8年前に雇い入れた五十女の家政婦テレーゼが貸し与えた本を手袋をつけて読んでいたのを目撃したことから、自分にふさわしい配偶者と突然のように思い定めてしまう。そのテレーゼが求婚に同意したのは、博士がなお莫大な遺産を隠し持っているものと思いこんでいたからだった。予期されていた破局は、きわめて残酷な形で訪れた…。
「世界なき頭脳」、「頭脳なき世界」、「頭脳のなかの世界」、その3部の名前が暗示する、めくるめく頭脳内的冒険世界。
【感想】
 この本、確かに「度肝を抜かれるほど面白い」のではありますが、果たして気軽にお薦めしてよいのかなというようなシロモノですね。なにしろ現在では「差別語」としてNHKはもちろんのことATOKからも外されているような言葉が続出なのです。「癲癇」一語で断筆するのしないのという騒ぎになるなら、これはいったいどうしてくれるのか。
 
 舞台は明示されないにしてもおそらくは1930年代後半のオーストリア、隣国にして盟邦であるドイツとの併合を目前にした熱に浮かされた日々。退廃、背徳、暴力が横行し、アジテーションに乗せられて、けちなユダ公が世の中を悪くしているとの不満が市民の間に溜まっています。差別を鼓吹することで失政を覆い隠すなど、まったくいつの世も同じことよ。こうした中で育ったブルガリア生まれスペイン系ユダヤ人のカネッティの居場所などどこにもあるまい。その扱いはまさに犬以下、ユダヤの中でもさらに爪弾き、被差別の枷は君の首に幼少時からかかっていたに違いない。少年時代からどれほどのイジメを加えられたか、無知ゆえの侮蔑の視線がどれほど突き刺さったか。それに対し彼は、世界を創造することで応える。けっして「国」の手によっては庇護されることのないカネッティにとって、頭脳世界のみが反論の場なのだ。
 
 そのカネッティが構築した世界に蠢く狂人たちは、カリカチュアというよりも奇怪なほどにリアルな存在として迫ってきます。本以外は目に入らない老耄(おいぼれ)ドクトーア・キーン。仕事にかこつけて家庭を顧みないあんた、似てないか。あるいは妻を殴り殺し、娘の身体をまさぐってはこれまた殴りつける家庭内暴力の権化である元警官の門番。DVなんて格好つけなくたって、亭主が力で女房子どもを教育するのは古来の美風だ! 誰が見ても五十は越しているのに男に三十歳だろうと囁かれるとたちまちその気になる、無知蒙昧にして欲の皮だけは突っ張った家政婦テレーゼ。自分で作り上げた偶像「プダさん」に好きなだけお願いするがいい。チェス狂いでアメリカに渡って世界チャンピオンになることを夢見る佝僂(せむし)の侏儒(こびと)、フィシュルレ。もちろんボビー・フィッシャーとは別人なのだが、この暗合は果たして偶然なのかと思えるほど。
 
 ついに図書室もろとも妻の元を逃げ出したキーンは、それでもうろうろと「本」から逃れることはできません。孤高の東洋学者は頭脳内図書館を背負いつつ、それでも醜く孤高たろうとしています。知識という業、それを嘲笑するフィシュルレとその徒党たち。どちらがどちらを嗤おうとも、それ見たことか、こいつらが社会を悪くしている。
 では、君はどうした?


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