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題名: ボディ・アーティスト
原題: The Body Artist
著者: ドン・デリーロ
訳者: 上岡伸雄
発行: 新潮社 (2002/12/20)
価格: \1,700
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自分たちが「何者か」を練習していないときの我々は、いったい何者なのか。
【内容紹介】
映像作家レイは、64歳にしてみずからの手で命を絶った。しかも死の舞台に選んだのは、最初の妻の家であった。三番目の妻で、ひとり残されてしまった「ボディ・アーティスト」のローレン・ハートケは、その現実を持て余す。さっきまでキッチンで話していた人物は、夫だったはずなのに。ちょっとそこまで出かけていっただけだったはずなのに。
過去と現実を確かめながら一人で暮らす別荘は、ひたすらだだっ広い。そんな彼女の前に、別荘に迷い込んだ小動物のように謎の青年が忽然と現れる。今は亡きレイとともに聞いたあのかすかな物音は、この青年のせいだったのか。彼女は警察なり病院なりに通報せねばならぬと思いつつ、彼とつながることにより過去を再構築しようとする。特殊な記憶と物まねの天才である彼は、新たな「自分」と「アート」へのてがかりになるかに見えたが…。
【感想】
ここでいう「ボディアート」とは、その言葉から連想されるような肉体彩色のことではなく、身体表現によるパフォーマンスを指します。ローレンが創るその舞台は動と静が極めて激しく交錯し、舞踊やパントマイムあるいは一人芝居を越えた、身体すべてを使った表現形式と言えるでしょう。
この物語では、夫のレイは登場まもなくほとんど唐突に死を選びます。その原因は何であるのか、経済的なことであろうとは暗示されるのですが、必ずしも明確にはされません。ローレンはヒステリックに泣き叫ぶわけでも蔑ろにされたことに激怒するわけではなく、彼にとって自分は何であったのか、自分は彼に対して何もできなかったのか、そうした事柄を静かに観想しようとしているように見受けられます。配偶者との間に溝があったことの認識ほどつらいものはありません。それは「愛」という感情ともまた違います。考えれば考えるほど、孤絶感は深まる一方です。しかしそこに現れたのは、現実でありながら同時に虚ろな幻でもあるような、不思議な青年でした。
高校時代の理科の教師「タトル先生」、それがローレンが彼に与えた名前です。彼は過去に見たレイの思わぬ仕草や声を再現し、さらに未来さえも記憶する人間です。彼女は行き場を失った愛を彼にぶつけたのでしょうか。いや、これもまた「愛」ではあり得ません。むしろ不完全であった「喪失感」を体現するために彼はそこに在るのです。
それでもなお彼女は、彼を「お世話」することに喜びを感じてしまいます。空白を満たすのに十分な存在ではないと知りながら、彼女は彼を利用することに後ろめたささえ覚えています。しかしながら死者の代償であることを拒むのは彼自身でした。
ローレンにできることは、ともすれば逆行しようとするこの時の流れを「アート」として昇華―というよりはむしろ変容することです。その過程を経て、ローレンもまた時間のつながりを回復できるのです。
この物語のクライマックスは、やはりローレン・ハートケという一個の存在の演じるパフォーマンス「ボディ・アート」でしょう。それは「時間の経過」を観客に伝えようとする試みです。さまざまな意味で身体を削ぎ落とそうとするボディアーティストは、観客と隔たりなしに対峙します。日本人の老女から、やせ細った失語症の男まで75分。過去と未来はそこに凝縮して表現されます。それはまさに紙に記された言葉だけで形作る「小説」の対極とも言えるでしょう。
そして、それをも表現してしまう「小説」とは、まったくしたたかな存在ではありませんか。