==============================================================
題名:  不滅
原題:  L'Immortalite
著者:  ミラン・クンデラ
訳者:  菅野昭正
発行:  集英社文庫 (1999/10/25)
価格:  \952
==============================================================
【内容紹介】
 小説家である私は、知人のアヴェナリウス教授と会うためにプールサイドに寝そべっていた。その時、年配女性がコーチに向かって見せた優雅な手の仕草が目に入る。その動きは不意のノスタルジアを私に引き起こし、年齢・時間を超越したひとりの「女」の人生が目の前に浮かび上がった。彼女の名は、アニェス。私が生み出した女アニェスは、パリに息づき、弁護士の夫と年頃の娘に恵まれ、愛を求め続ける妹を慰める。さらには時空を越え、ゲーテと「恋人」ベッティーナの愛の闘いの物語と響き合うのだった…。
【感想】
 本書については内容を「あらすじ」の形で紹介するのは極めて困難です。なにしろ脚色を拒否する「純粋小説」としての存在を同時に試されているのですから。作者の視点と登場人物の視点は予期不能な動きで入り交じり、その唐突さに読者は不安に包まれます。ふと気がつけば隣にはゲーテやナポレオン、さらには天国にまでさまよって、いったいどこに連れて行かれるやら。
 クンデラ氏ものっけから登場して自著『生は彼方に』を読んで欲しそうにしたりなかなか存在感を示すのですが、話し相手である友人アヴェナリウス教授は、これまたうさん臭いヤツ。誰かに「完全ロバ」の称号を与えようと免状を持って、(ついでに暴走族の車のタイヤを狙って包丁を持ち…しかもそれを使って気が向いたらレイプすら働かないとは言い切れまい?)今日も深夜のパリをジョギングをしているかもしれません。こうして著者も読者もどうやら「完全ロバ」の立派な候補者と目されていることが示されます。ここで逃げちゃいけません。
 
 それにしても「不滅」を振りかざすとはなんと傲岸不遜なことよ。野坂昭如唄うところの「終末のタンゴ」に曰く「どんな人間にも必ず終わりは来る、どんな恍惚にも必ず終わりはある」と。東洋人はなんとなく昔からそんな感じで育ったけど、西洋人はそうは参りません。自分の存在した証しを求めようと、日々奮闘しているようです。天上のゲーテとヘミングウェイ、いや、死後言われたい放題というところで意気投合し、ヨハンとアーネストと呼び合う仲なのだけど、彼らも生者たちの詮索癖を笑いつつ、自分の作品の「不滅性」は気になって仕方がないのです。難儀なこっちゃ
 一方地上にうごめく者たちは「不滅の名声」さらには「不滅の生」も欲しがっているらしい。復活よりも輪廻に親しんだ身には「死」こそが不滅であり、著者はその程度はもちろん承知の上、それを逆手に突然の死をところどころにちりばめます。残酷なこっちゃ。
 そうそう、これが大事。「愛が不滅」だなんて誰が言ったのさ。おかげで後世の者はえらい迷惑。おっとしかしそれはカミさんや恋人の前では決して言うてはならぬことですね。だがそういう前提があればこそ、ベッティーナはゲーテと自分との「愛」を不滅のものとするために手段を選ばなかった。歴史と伝説は創った者が勝ちとばかりに。
 アニェスの妹ローラもまた「不滅の愛」求めて彷徨を続け、他人の犠牲など顧みる余地などないのです。その「幸福乞食」の姿は、宣伝に乗せられて「生き甲斐」求めてさまよう現代日本の若者をも思わせますね。
 
 最後の第六部、あるヒミツがさりげなく語られます。それによって、救われたような気分になるのはなぜなのでしょうか。たったひとつ信じられそうな「不滅」、孤独を求めた父とそのたった一人の理解者である娘アニェスにしてこの秘密を引きずります。そして「手の仕草」はここに来て円環を結びます。
 しかしアニェスのその姿を見ると、不滅の父娘愛くらいはやはり存在してほしいかもね。それはどうにも手が届かないだけに。不滅のはずだった人類は破滅に向かって突き進み続けているがゆえに。


BACK1