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題名: 蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件
原題: Im Krebsgang
著者: ギュンター・グラス
訳者: 池内 紀
発行: 集英社 (2003/03/31)
価格: \2,100
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【内容紹介】
欧州戦線も終局に近づいた1945年1月、厳寒のバルト海で一隻の元豪華客船がソ連の小型潜水艦によって撃沈された。犠牲者は九千を超えると推定されるが、だれも正確な数を知らない。その船、かつて暗殺されたナチスのスイス支部長の名をとどめて名付けられた「ヴィルヘルム・グストロフ号」には、ドイツ飛び地、東プロイセンからの避難民が、迫り来るソ連軍から逃れるために乗船名簿に記入する暇も惜しんで我がちに乗っていたのだ。
垂直に沈み行く船から氷の海に放り出された子供たちは、救命胴衣をつけても頭が重いもので、水面からぷかぷかと足だけ突き出していた。海面を覆う何千人もの子どもの足の列。かろうじて救助された「私」の母は、その光景を見ながら急に産気づいた。そう、私は「奇跡の子」であるはずだった。
隠された歴史を掘り起こすのには、何らかの意図が必要なのか。過去をたどる一人の疲れた中年ジャーナリストは、ナチスに荷担する若者たちのサイトでまさにその事件の議論が行われているのを知った…。
【感想】
東プロイセン、ダンツィッヒ自由市、ポーランド回廊といえば、実は個人的には懐かしい地名だったりします。かつてわが家には戦火を免れた1930年代のグラフ雑誌が大量に残されており、娯楽の少なかった幼少時のわたくしはそれらに読みふけって育ったのでした。もちろん日華事変(当時の呼称)の武漢三鎮攻略戦を中心とした中国戦線がメインでしたが、当時の盟邦ドイツの記述も多く、ズデーテン進駐などもドイツに肩入れしながら詳細に報道されておりました。そうそう、この本にも出てくる歓喜力行団の様子や、さらにはヒットラー・ユーゲントの来日という記事もありました。礼儀規律正しく美しいゲルマンの少年たち。「そりゃかっこよかった」と母も言ってましたね。まさに一級史料、羨ましいと思う方は多いかも知れませんが、それらはすべて散逸してしまったので念のため。それにしてもあのドイツの飛び地を抱え込んだ奇形的なポーランド地図は、戦争の萌芽を内在していたというところでしょう。
さて現代、ことはそれほどシンプルではありません。天皇や総統への忠誠、それさえあれば何も考えなくともいいというなら楽なのに。またヒエラルキーを誰もが認めていて、上位10%のあん人たちゃよか衆だけが醒めていればいいということでもない。実態は昔と変わっていないにしても、建前上は、ひとりひとりが解答を迫られています。今の子供たちはたいへんですね。自分で考えることを要求されているのだから。もちろんオトナだってそうなんだけど、オトナは考えているフリで誤魔化せます。しかし子供はいつまでも「考え中」で逃げるわけにもいかず、受け売りで身をかわすだけの知恵がなければついには結論を感情にゆだねて暴発するかもしれません。それは洋の東西を問わず、わが子かも知れず、あなたの子かも知れず、やれやれ。
しかも扱っている事件は「微妙」です。なにしろ戦争中はどっちも見境ないから、対馬丸事件と同様、戦勝国にとって都合の悪い事件というのはあるものです。勝てば官軍、清潔なフリをしていても、明るみに出されればネオ・ナチあるい新ナショナリズムにとっても格好の宣伝材料となり得ます。要領よくふるまおうとすれば、グラスほどの作家なら避けてもよい。しかし、グラスだからこそ、正面から取り扱うことができるとも言えますね。
あっちこっち、蟹は横歩きして潜り込み、何を探し出すやら。かくして「事件」は突如として現代に影を落とします。これぞグラス一流、太鼓のひと叩きの効いた「小説」なのです。