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題名: オクシタニア
著者: 佐藤賢一
発行: 集英社 (2003/07/04)
価格: \2,400
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地上の肉体、生命はことごとく悪魔の本質なり。異端審問も火刑も恐るるに足らず。
【内容紹介】
オクシタニアはフランス南西部の自治都市トゥールーズ、その地の呼称ではトロサを中心としたラングドックとも呼ばれる地方のことだ。昔から自治独立の気性激しく、容易に王や法王の権威に屈しなかった。13世紀初頭、この地にマニ教の流れを汲む「異端」カタリ派がはびこり、カトリックに対しおおっぴらに楯突いた。1208年、田舎騎士シモン・ドゥ・モンフォールは女房にケツ叩かれて、無理矢理アルビジョワ十字軍の総帥に祭り上げられる。信仰より戦争は人を育てるものなのか、騎士シモンは次第に残忍なる「神の使い」の顔になって行く。アルビジョワ派=カタリ派はトロサの民衆の中に深く根ざしており、有力市民の息子で民兵隊長のエドモンとその恋女房となるジラルダも時の流れに巻き込まれ、それぞれの道に分かれ行くのだった…。
【感想】
わたくしが勝手に「傍白文体」と名付けた著者独特の文体は今回も健在です。登場人物は、実在の人物も虚構の人物も紙上に立ち現れ、生き生きとしゃべり散らし、自己を主張し、さらには敗れて腐敗する骸と化して行きます。われわれにとってほとんどなじみのない世界である中世西洋史、しかも宗教改革以前の異端審問と言えば頑迷なカトリックと魔女裁判くらいしか思いつかないのですが、そこにはやはり呼吸し、「生きる目的」を求めて苦悩する人々が存在していました。
物語は、ダメ騎士シモンとバカ殿トロサ伯レイモン6世の時代から始まります。トロサ伯は「無冠の帝王」と呼ばれ、豊かな実りと交易の上がりで富裕であり、大領土を持つ必要はありませんでした。イングランドとの確執もあって常に貧しく、領土拡張の野望に燃えていたのはパリ王家の方です。さらにローマにとっては巨大政治権力の出現はけっして望ましいことではなく、それら政治力学が後押しとなって宗教弾圧と政治弾圧を兼ねた国内十字軍が結成されます。
著者の視点は一市民の夫婦、エドモンとジラルダに焦点を合わせます。向かうところ敵なしであった騎士シモンもやがて戦死、それと共に突然ジラルダはカタリ派に出家してしまい、それに衝撃を受けたエドモンは敵対するカトリックの急進派、ドミニコ修道会に入信します。どちらも生きる確信を求めて選んだ道ですが、同時に苦悩の始まりでした。
修道士となったエドモンは異端審問のプロとして振舞います。しかし彼の夢には、常に輪廻前世の姿が立ち現れます。それはあくまでもその時代に生きた人間の意識、歴史に残らなかった個人の営みの姿です。歴史上の都ローマやスパルタであっても人は書かれた「歴史」の中ではなく「その時代」にしがみつくように生きていた。この世は地獄かも知れないが、それでもわれわれの幸せはそこにこそ存在していました。
「万物は言葉によって作られ、言葉によらずして作られたものはなかった」と聖書の言葉を解す正統信仰に対し、異端カタリ派は「万物は言葉によって作られ、ニヒルは言葉によらずして作られた」と解します。現実世界は法王や王もすべて「虚無」。権威を認めないカタリ派に対し、異端審問はゲシュタポであり特高となります。しかし、反抗者であるはずの「異端カタリ」もまた権力者に利用され、追いつめられれば狂う「完徳者」すら出てきます。
未来永劫、かくのごとく人間は罪深い。信仰に生きることはひとつの理想ではあるが、結局信じられるのは、ひとりの人がひとりの人を愛し、生きている暖かさを知るところではないのか。その大切さを知ったとき、人は初めて従容として死に旅立てる。
――これは「個と公」などと浅薄な金切り声を挙げる連中に対する、ひとつの小気味よい回答とも言えるでしょう。