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題名:  調律師の恋
原題:  The Piano Tuner
著者:  ダニエル・メイスン
訳者:  小川高義
発行:  角川書店 (2003/08/30)
価格:  \2,000
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目に残るビルマの映像は、太陽と女物のパラソル。蜃気楼の中、後姿が浮かび行く。
【内容紹介】
 エラールと言えば、フランスを発祥としてハイドンやベートーヴェンも愛用したピアノ史上に輝く伝説の名器。それは楽器工芸の粋であり、ピアノ中のピアノ。
 1886年、みずから「エラール専門」を名乗る調律の第一人者エドガー・ドレークは、大英帝国陸軍省から一通の書簡を受け取った。ビルマ奥地の山間部、インドからの進出を企てる英国とそれを阻もうとする原住民の軍閥、インドシナからさらに西を窺うフランスの三つ巴の紛争地区で、なんとその地に運ばれたエラールの調律をしてほしいというのだ。軍の依頼は女王陛下の命令にも等しい。それもさることながら、熱帯の僻地に置かれたわが愛する名器の運命と、とんでもない要請を出した現地駐留の軍医キャロルに対する興味とが彼を突き動かす。愛妻キャサリンを英国に置いて、ドレークは未知の世界・東洋へと向かった。だが、紅海洋上の老人の一人語りに始まり、彼は運命の手に絡め取られるように、次第に東洋世界に埋没して行くのだった…。
【感想】
 驚異の新人・26歳医大生登場、という宣伝文句付きの本です。読者の常として疑いつつ読み始めたのですが、確かにこれは驚異ですね。上記に紹介したようにストーリーは一種荒唐無稽とも思えるものですが、主人公の目の前に次々と展開する未知の国々の情景描写が、溜息が出るほどに見事なのです。翻訳者の技量もあるのでしょうが、わたくしはその文体に漱石『草枕』をふと連想したほどです。あるいは中国説話「南柯の夢」や「邯鄲の枕」を思わせるような人生全てを投げ捨てて異界に捕らわれてゆく主人公の姿を見ると、著者みずからが、19世紀の東洋幻想に耽溺しているようにすら思えます。
 調律師ドレークのロンドンでの生活は、裕福とは言えないまでも恋女房と二人きり、仕事は天職だし、何不自由ない幸せに包まれているように見えました。しかし、神が妬んだものか悪魔が気まぐれを起こしたものか、ドレークには遙か東方から白羽の矢が立てられます。彼はまさに、わずかな心の隙を突かれたのでしょうね。それは誰しもが持っている未知への憧れ、放浪への誘いなのかも知れません。
 旅に出たドレークの目に映るもの…広大にして残酷なアラブの砂漠に始まり、詩さえも売りつけようとして列車から振り落とされるインドの物売り、そして北の島国では想像も出来ない熱帯の色彩。鮮やかな木々の緑、彩りを競う鳥類、けものたち。魅了というも愚かなこと、彼は噎せるほどの自然に包まれる自分を自覚します。読者もまた調律師の目でそれらを体験するでしょう。そして彼は、現地人を人とすら感じない在留英国人や軍隊に、次第に反発すら覚えて行きます。
 それに反比例するように、謎の人物・すでに伝説となりつつあるアントニー・キャロル軍医少佐に対する興味はつのるばかり。キャロル軍医はたった一台のピアノを見せることで害意のないことを示し、軍閥の領袖を服属させ、東部シャン地方に橋頭堡を築いたと言うのです。
 彼の東洋への愛着は、ビルマに到着して元英語教師の女性、キンミョーで出会ったとき、ピークに達します。エキゾチズム溢れる大道芝居のプウェを案内してくれるキンミョー、マラリアの熱に浮かされているときに確かに身を挺して瘧を収めてくれたキンミョー。それは「恋」というよりは自分の居場所への手がかりのようにも思えます。
 もちろん物語は悲劇的な結末を迎えるのですが、その大時代とも取れるような、しかし新しさをも感じさせるロマンチシズムとオリエンタリズムに「物語好き」の弱点を衝かれてしまったのでした。


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