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題名:  霊山
原題:  霊山(Lingshan)
著者:  高 行健(Gao Xingjian)
訳者:  飯塚 容
発行:  集英社 (2003/10/29)
価格:  \3,200
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道は常に正しい。間違っているのは、その道を行く人間の方だ。2000年ノーベル文学賞受賞作家の転機となった長篇、待望の邦訳。
【内容紹介】
 発表する作品はことごとく批判を浴びることになる作家の「おまえ」は、肺ガンを宣告されたことを機に中国南西部・長江流域を放浪する。旅先で耳に挟んだ「霊山」を探すというのはむしろ口実、それは死を覚悟した「おまえ」にとって、創作と人生に目的を見失った末の取材に名を借りたあてどもない旅であり、また一種のアイデンティティ探しの旅でもあった。「おまえ」が本当に書くべきもの、それは単なる従属的な民衆ではない。日本軍の爆撃はもとより革命軍や匪賊の跳梁といった「昔話」、古代より伝わる少数民族の口承、さびれた道観・寺院にそれでも住まう住持の居住まい、パンダを始めとし三峡ダムに沈もうとしている自然、そしておまえがめぐりあってきた女たち。中国の連綿たる歴史と広大な大地、その中で生きる一個人の顔と声を伝えること、それこそが文学だろう。それは決して西欧風モダニズムの模倣ではない。
 しかし、それでも「おまえ」は作品の中で、自己を主張しないではいられないのだった…。
【感想】
 中国は常に自分の歴史と大地、そこに住む多くの人々に押し潰されそうになっていました。周王朝の昔から中国は、対外的には大国としてのメンツを保ちつつ、その実態は飢えた人民を抱え、上層部ではあくなき権力闘争が繰り返されていました。元帝国に次ぐほどの巨大な国土を持つ中華人民共和国成立後、指導者毛沢東は軍事的カリスマ性は抜群ながら平時の行政手腕は素人に過ぎず、人々は多大な犠牲を強いられます。だが幹部たちあるいは権力にすり寄ることによってしか生きられない者にとっては、絶対権力の存在ほど有り難いものはありません。文化大革命終息後もその弊がすべてぬぐい去られたわけではなく、そうしたゆがんだ社会の中で、あくまでも「個人」に焦点を当てようとする著者は常に冷や飯を食わされることになります。では彼が描こうとするのは、西欧に習った単純な個人の欲望の肯定なのでしょうか。もしそうであれば、むしろ天安門事件には目をつぶり、「上から与えられる開放」に身を委ねれば済むことです。
 
「歴史はどのように読んでもいいのだ。これは本当に重大な発見だった。」
 彼は旅先で漢民族だけではなく少数民族と会話しても、その「霊性」が自分の中に受け継がれていることを感じているようです。教えられた「霊山」という言葉に縋りその地を求めてはいるのですが、そんなものはひとつの象徴に過ぎず、この名もない人々と彼らが生きる大地、それらすべてが一つの大きな神秘の山とすら映って来ます。
 自らの育った風土・歴史を愛しつつ、なおそこに君臨する組織に与することができない孤独さ。その孤独な「わたし」を描こうとすれば、こうとしか書けない。一人の人間にまつわるもろもろ、女と男と愛情と情愛とセックスと生と死と…。その「おまえ」に投げかけられる酷評、「これは小説じゃない!」と。第72章に、彼の叫びが記されます。「この章は読んでも読まなくともよい。読んだとしてもそれだけのことだ。」
 それは怒りの言葉ではなく、永遠に彷徨することを定められた男の叫びに違いありません。
 
 それにしても、同じ亡命者であるダイ・シージェの映像でも感じるのですが、国家を離れてなお忘れがたいことでしょうね、あの大地、あの歴史。


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