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題名: ソングライン
原題: The Songlines
著者: ブルース・チャトウィン
訳者: 芹沢真理子
発行: めるくまーる (1994/07/20)
価格: \2,600
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旅に病んで…夢はいずこを駆けめぐるのか。
【内容紹介】
「ソングライン」とは文字通り歌の道のこと。オーストラリア大陸の先住民、アボリジニこそは夢の民と言えよう。「私はワラビーの夢を持つ」と言ったら、「私のトーテムはワラビー、私はワラビー族」ということなのだ。かの地には何千もの夢とそれに伴う何千ものトーテムがあった。水疱瘡の夢、蚤の夢、お金の夢。そして違う部族とのコミュニケーションは歌でなされ、歌は同時に地図であった。その歌で作られた道、ソングラインさえ知っていれば全土を旅して、夢と伝説を共有する仲間に出会うことができたのだ。かの地には、歌われることのなかった川や岩は存在しないと言っても良い。観光客が踏みしだくエアーズロックから、雨が降ったときのみに現れる小川まで、それらが持つエピソードと道と地理、それはすべて歌で表現できる共有財産だった。
自分が根元的な「放浪者」であることを知った著者チャトウィンは、その偉大なる先達を求め、オーストラリア大陸深く、夢を求めてさまようのだった…。
【感想】
「この人はイギリス人だよ。ブルースという名のイギリス人だ」
これはチャトウィンがアボリジニに紹介されるときの言葉です。「白豪主義」はまだまだ一掃されたわけではなく、現地での差別は根深いものが残っているようです。白人たちにとってアボリジニを含む他民族(もちろん名誉白人も含まれる)は一把ひとからげに「黒人」と称され、被差別側にあっては、白人でもイギリス人なら多少はましという意識があるのでしょうか。しかしながら彼が白人である限り警戒心が解かれることは希であり、著者はアボリジニの心情と伝説に迫ろうとしつつも、はぐらかされているのか相手がすでに俗化したのか、なかなか本質を捉えきれません。
確かに、あの山はヤマアラシであるとかこの歌はヘビを意味するとか、そう言った解説はなされはするのですが、著者にとって完全に腑に落ちたようには感じられないのです。観光客向けの言葉を聞きたいわけではない。アメリカ人向けの絵を見たいわけではない。著者の眼は寂しさを漂わせます。
もちろんたまたま先んじて文明化された者たちが、静かな生活を送っていた者たちに対し古代へのノスタルジーを投影するのは勝手なことであり、この著者もまた強引に突き進むようなことはしません。こうして彼の旅と観察は、むしろ内省に向かいます。彼は砂漠の居留地に一人とどまることになったのを機会に、今までの旅を回想します。
彼は以前から「遊牧民」(ノマド)についての考察を集成しようとしていたがまとめ切れていませんでした。彼の愛用する「パリノート」は、旅に関する断章で埋め尽くされています。
――私のいるところ、それは旅。 放浪生活とは、儀式としての旅である。
チャトウィンは、旅の衝動に突き動かされ続け、その記述は増える一方です。しかしここに至り、彼はこう書き付けます。
――私は自分の人生の"旅"の季節が終わりつつあることを予感していた。
彼は自分の死を予感していたのではなく、放浪に疲れ始めていたのでしょう。彼が歩きつくした地球上のすべての場所、そのすべてにノマドたちは存在しました。放浪者である「僕」は彼らに自分を投影しようとしても、しょせんはエトランゼであり、デラシネなのです。対する彼らは、「遊」牧民と言いつつ「生活者」なのです。しかし「僕」はすでに定住生活ができるとは思えません。ついに彼は自分の孤独の原点を見つけたのでしょうか。
最終章では、自然の中で静かに死を待つ三人のアボリジニの男が描かれます。正しい死とは、「元に戻る」こと。その瞬間、著者は、「場所」にこだわる必要など全くないことを悟ります。