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題名:  テーブルはテーブル
原題:  Kindergeschichten
著者:  ペーター・ビクセル
訳者:  山下剛
発行:  未知谷 (2003/04/25)
価格:  \1,600
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 スイスの作家ビクセルは、1935年リゾートとしても知られるルツェルンに生まれ、小学校教師から作家に転じたとのこと、ある意味では幸福な人生と言えるでしょう。小品の名手でどちらかと言えば児童文学の範疇とされているようで、本書の原題Kindergeschichtenも直訳すれば「子どもの物語」ということになるのでしょうか。しかしその作品は既成の枠を超え、子どもしか理解し得ない「繰り返しのおかしさ」を、そのまま大人にとっての「どうどうめぐりの恐怖」に転ずるなど、言葉と感覚の柔らかい間隙を思わずたじろぐほどに衝いてくるのです。
 
「地球はまるい」は地球が丸いことを実証するためにまっすぐ東に向かって出発「しようとしている」男の話。しかし、それにはまず隣家の屋根を乗り越えねばならず、そのためにはハシゴがいるし…。行動の前に立ちはだかる心理的障壁、現実的障壁、その中で苦悩してしまう男なんですけど、でもこれがシリアスな脂汗ではなくて、どこかおかしいのです。そしてある日とうとう彼は…。
「テーブルはテーブル」は一言も口をきかなくなってしまった老人の話。テーブルはなぜテーブルと呼ばねばならないのか、じゅうたんと呼んでもいいじゃないか、それが始まりでした。老人の意固地さは、ついに言語によって形作られている常識社会を崩壊させます。しかし、痴呆と呼ばれ自分の内側に浸って口をきかなくなってしまった老人たちは、実はこういう世界に住んでいるだけなのかもしれません。
「アメリカは存在しない」は、王宮が舞台ということもあって本編中ただ一作童話風の体裁なのですが、実はけっこう怖かったりして。認識の曖昧さをえぐってきます。しかしこの主人公コロンビン、道化のハンスちゃんを機知で救ったところはもっとマジメかと思ったら実はデタラメな奴で、まったく一筋縄ではいかないつーか、現実的なのだった。
「発明家」はかなり皮肉な作品だけど、これは星新一に似たようなのがなかったっけ。表面の文明風刺にこだわると既成のものを連想するけど、その心理動向はやはり機知だけではない視線を感じます。
「記憶マニアの男」、これは現実にありそうですなあ。駅に居座って、時刻表をすべてをしゃべりたくて仕方がないマニアック蘊蓄野郎。その程度がこれまたハンパではないのですけどねー。
「ヨードクからよろしく」は祖父の作り話に出てくる架空のヨードクおじさんが、祖父にとってはどれほど大事なものだったか。それを語ることが同時に故人である祖父に対する愛惜となっています。
「もう何も知りたくなかった男」はかなり精神的には危ない。厖大な知識に押しつぶされそうな現代人に対する風刺、とも取れますが、著者自身の視点はそれほど高いところにはありません。ほぼ同じ地平で、じっと彼を見ているのです。知によって人は孤独に追いやられ、ついにじっとしている動物園の犀に理想の姿、あるいは終局の姿を見るようになります。
 
 まったくこれのどこが「子どもの物語」なのかねえ。もっとも大人はすでにこうしたシチュエーションを素直に受け入れる柔らかさを失っているし、しばしば登場するのは子どもに帰ったような老人、しかもよくあるように「知恵者」としてではなく、現実的な頑固者。こうして著者は時間・年齢に囚われない視点から、現代の「知」の危機を描いているようにも思えます。


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