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題名: 透明な対象
原題: Transparent Things
著者: ウラジーミル・ナボコフ
訳者: 若島正・中田晶子
発行: 国書刊行会 (2002/11/25)
価格: \2,200
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「ヴィッテンベルクに雨が降っていても、ヴィトゲンシュタインには降らない」「ガスコーニュ地方のコンドームとサヴォワ地方のプッシーとは何マイルも離れている」
【内容紹介】
われらが主人公ヒュー・パースンはスイスを4回訪れている。最初は22歳のとき父との旅行で、父の突然死に乗じて彼の財布を抜き取り、娼婦を相手に見事童貞を捨てることに成功した。次の訪問は29歳にして出版社に就職した彼が、ホテル住まいで遅筆の大作家R氏と面会するためであった。そのとき彼は列車の中で「狂おしいまでの欲望」を喚起させる娘アルマンドと出会う。彼女の父は建築家だったが現場で事故死、母は亡命ロシア貴族の娘だという。本気で誘ったのか気まぐれなのかわからぬまま「ナースチャ荘」を訪ねたパースンは、アルマンドの母マダム・シャマールにアルバムを見せられる。そこで目にしたのは、過去から現在に至るあらゆる年齢、しかも生まれたままの姿をたっぷりと含むあらゆる姿のアルマンド。彼は、そのまま重篤なる恋に堕ちて行く。おっと、さらに2回の訪問が残っていたな。それはね…。
【感想】
冴えない大男のアメリカ人が風変わりなヨーロッパ娘に恋をして、なんとか結婚までこぎつけたはよいが…というのはあくまで表面的なストーリーでして、この作品ではむしろあちこちに仕掛けられた罠が楽しいというシロモノです。ここに顔を出すのは、たぶんこの場に持ってきたら変態変人とレッテルを貼られかねない人物ばかりなのだけど、なに、ナボコフ氏にとって、あるいは彼の創造する世界においては、そんなことはたいした問題ではありません。
しかしナボコフ先生、書こうとするのが題名通り「透明な対象」では、凡人には結局何も見えないのでは?
ふむふむ、ひとりの人間の人生をすべてを見透すことのできる視点が存在するのだな。遠くまでずっとずっと一直線というか、うねうね曲線というか、それは君次第ではあるが、見通すつもりなら透明でなきゃまずかろう。それより私とヴィトゲンシュタインには共通項があったんだってね。知っていたか?
こうしていたずらなナボコフ氏はR氏になりすましたり、あるいはマダム・シャマールに短時間化けていたとしてもわたくしは驚きませぬ。何歳になっても人間に対する興味(もちろん美しくコケティッシュな少女には、最大限の賛辞つきで!)を失うことがなければ、恋などもできるものなのだなー。R氏もナボコフ氏も、スイスにホテル住まいしようとも決して世を捨てているわけでも世を拗ねているわけでもない。どんな境遇にあっても人生の中に「遊び」の要素を持ち続ける。その「遊び」の中にこそ、決して虚無に陥らない明確な印が存在するかのように。
しかし、ナボコフ先生、冷静に考えてみると、昔だったら「背徳的」と言われるところです。
インモラル? そんな規範は、せめて本の中ではどこかに捨てたまえ。東洋の島国風に言うなら、野暮じゃないか。ま、君たちの言う粋(いき)のためなら、下世話な言葉で言えば、親子丼だってかまわんのだ。こうして「国」やら「過去」から自由でいられるからこそ、物語が存在するのだな。
もひとつ、先生。どんなつまらんように見えた男でも、「美」には誘惑され、堕ちて行く宿命なのでしょうかね。
はっ、どんな人生を選ぶのも君の「自由」。そんな深刻な顔をするなよ。耐えきれないにしても、そんな悲観することではない。人生に必要なのは達観じゃないか。東洋人なら知ってるだろ?
ふむ、これを悲劇と取るも自由だが、そもそも自由とはこんなものだ。
さっ、行こうか。