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題名:  笑いと忘却の書
原題:  Le livre du rire et de l'oubli
著者:  ミラン・クンデラ
訳者:  西永良成
発行:  集英社 (1992/04/25)
価格:  \1,900
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その三人は左脚をぴょん、右脚をぴょん、輪になって回り、アハハッアハハッと笑いながら、天に昇って行き、そして――大天使となったのだ。
 
【内容紹介】
 タミナは夫とともにプラハからフランスに亡命し、今は田舎町のウェイトレスとして働いている。夫は亡命後まもなく病死し、彼女はプラハに残してきた二人の思い出の手紙とノートを義母から取り戻し、送ってもらおうとするのだが、それはどうにも果たせない。
 あるいはこうだ。田舎の肉屋の妻クリスティナは、帰省した大学生に恋をする。大学生はひたすらこの年上の人妻と寝ることしか頭にないのだが、クリスティナは身体を与えてしまうことで自分の「あこがれ」が終わることをおそれ、それもどちらにとってもどうにも果たせない。
 リートストとは、突如発見された私たち自身の悲惨の光景から生ずる悩ましい状態のことだ。そこから浮かび上がるには、自分を棚に上げてしまうことによって笑いと忘却で塗り込めてしまうしかないのだろうか…。
【感想】
 この作品は表向きは七部構成となっており、そのひとつひとつを独立した物語として読むことも可能です。もっとも本書が作者の言う「変奏曲」形式を取っているとすればメインテーマについてバリエーションを加えながら浮かび上がらせようとする試みであり、中の一編のストーリーだけを取り上げることは無意味とも言えるでしょう。
 
「笑いと忘却」―それは政治がきわめて個人的な領域に踏み込んできた場合に、双方ともが取ってしまう行動と言えます。第一部「失われた手紙」では共産党指導者ゴットワルトの頭に、心優しい同志クレメンティスが自分の毛皮の帽子を乗せてやる光景から始まります。しかしその後失脚したクレメンティスはその報道写真から抹殺消去され、忘却の彼方へと追いやられます。ゴットワルトの頭の上には帽子がちょこんとひとつ。しかし、それを乗せた者は存在しなかったことになっています。
 同様に、政治的な危機にさらされたとき、個人はもっとも醜い姿をさらします。歴史的忘却も個人的忘却も変わりはなく、改変することで逃避しようとします。しかし、あなたのしたことはしたことであり、政治があるいは国がなしたことも、事実を曲げるわけには行きません。忘れてくれ、忘れてくれ。彼らは願うのですが、たったひとりでも覚えていればその口を封じるわけにはいかないのです。
 政治家たちは、つねに現世の幸福を約束してきました。しかしそれはもちろん幻想の幸福であり、それに伴う「笑い」は必ず偽装に包まれています。―なんだ、あれはギャグだったのか。ソビエト軍がプラハの春を打ち砕いたのも、アメリカ軍がヴェトナムを蹂躙したのも、あるいは日本軍が中国全土に侵攻したのも。
 歴史の中でひとりひとりの人間は忘却を迫られます。忘れてくれ、なかったことにしてくれと。そうか、ギャグだったのだ。その中で人々はみんな輪になって、右足をぴょん、左脚をぴょん、手をつないで舞い上がって行く無垢な天使のようです。ああ、想像するだに涙が出る。
 あるいは第六部に現れる「天使たち」。純粋で無垢で容赦のないガキどもの攻撃は執拗であり、思考を停止しています。イノセントな笑いに包まれた存在しなかった幸福、それでもわれわれはそれが現実であったかのような顔をして暮らしています。
 
 著者が「人間」に対し感じている悲しみは、これほどまでに深く、さらには残酷です。そこには荒涼とした孤独感が横たわっています。しかしそれは決して絶望的ではなく、むしろ「国」に捉われぬ、それゆえにみずから選び取った孤独という矜持すら感じ取れるのです。そのなんという傲慢さ。なんという魅力。


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