2005年短評集

タイトル 著者名(訳者) 出版社名(発行日) 価格 内容・短評
クレプシドラ・サナトリウム ブルーノ・シュルツ(工藤幸雄・訳) 集英社世界の文学10(1977/7/20) \1300  シュルツについては『肉桂色の店』をご参照されたい。本作もまた幻想的な短編集であり、本来13編中の6編を収録する。 「肉桂色の店」同様、父と故郷の街の回想が中心だが、やや長じてのちの父のサナトリウムがやはり圧巻である。 クレプシドラ(砂時計)サナトリウムでは、その名の通りあやしい実験が勧められているのだ。しかしそのために死を免れるなら、 何を言えよう。奇想SFというような範疇におさまらない豊かな幻想、それは著者の記憶から生み出されるのか。いずれまた 全巻を読んでのち、何かを語ろう。
→「砂時計(クレプスィドラ)サナトリウム」
マンデルバウム・ゲイト ミュリエル・スパーク(小野寺 健・訳) 集英社世界の文学16(1977/11/20) - 「あなたは冷たくもなく熱くもない。むしろ冷たいか熱いかであってほしい。このように熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(ヨハネ黙示録)
ユダヤ人の母と国教徒の父を持つ「半分だけ」ユダヤのバーバラは、ローマンカトリックに改宗し、こともあろうに紛争中のパレスチナに現れ、 イスラエルからヨルダンに潜り込んで聖地巡礼をしたいと思い立った。考古学者である恋人が死海文書の発掘にたずさわっていることもあったのだが…。
1961年のパレスチナ、一触即発と言っていい状態の中で、複雑な動きをするヒロイン。時代証言にもなりえてはいるが、説明がちょっと多いかな。
ダ・ヴィンチ・コード(上下) ダン・ブラウン(越前敏弥・訳) 角川書店(2004/07/05) \3600  ルーヴル美術館長ソニエールが館内で奇妙なダイイングメッセージを残して死体となって発見された。当夜会うことになっていた ハーヴァード教授ラングドンは捜査に協力を求められるが、疑いをかけられているらしくもあった。そして現場に駆けつけた暗号解読官ソフィーは謎のメッセージを 寄せるのであった…。
 ルーヴルからウェストミンスター、車に乗って自家用機に乗って、さらにパリに戻るという観光名所がいっぱい出てきて、しかもキリスト教の秘密ときては もうヨーロッパ好きには受けるところでしょうなー。しかしなぜ仏教とか回教には「陰謀」がないのだ。イスラムの宗派対立なんかアサシンも明るい戦争も やるけど、「汚い陰謀」はどうも合わないみたいですな。仏教も日蓮宗は迫害されたとかいうけどお家騒動みたいなもんで多寡が知れてるしさー。 お話を作るならやはりキリスト教でなきゃいけませんねー。暗号とか秘密とか、言われりゃなるほど、しかし画像クローズアップが欲しいっとてことで、 これだけ観光名所が並んでいることでもあるし、映画は見てもいいかって気になりました。
そしてまた旅が始まり、 ウィリアム・ニコルソン(星野真理・訳) 中央公論新社(2004/12/20) \3600  僕は今、就職活動すらしていないニートの真っ最中。旅に出ることにしたのも、見聞や経験を広めると言うよりは、窓から迷い込んだ鳩が空を飛ぶのを見たからだ。 ネパールという言葉が口をついて出た。とりあえず東、ぼくのヒッチハイクは始まった。しかし乗せてくれたトラックが行き着いた場所、それはどうやら かなり危険な国であり、運転手もどうや反体制派だったのだ…。
 モラトリアム青年の冒険、さくさくと読めるのだけど、なんか違和感が残るのよね。東欧の某国=圧政にあえぐ、反体制派テロリストという設定がどうも 安直というかステレオタイプというか劇画的というか。最初は幻想世界かとも思ったのだけど、エペペのように疑似体験に行くのではなくて、どうも実際 に殺人までやっているらしい。まあ、それはそれ実は超現実だよ、ダークファンタジーだよってとこなんだけど、立場が曖昧すぎる。
 しかしなにかといえば出てくる英国詩、これは何? いかに圧制下でもそれが国ならきっと国民詩人がいるはず。教義はどうもキリスト的だし、 このあたりはぜんぜん超現実ではないわけね。やるんなら、そのあたりもシュールにしないと、結局著者は現実を背景にお説教してるってこと になるじゃん。ソクラテス、ルソー、ヴィトゲンシュタインと名前は羅列されてもほとんど無意味、レオン・ヴィチーノの本「他者との交流」というのも 結局はなんだか箴言集みたい。「力は穏やかに使うものだ」えー、この青年が、んなこと言うかなー。
グノーシスの薔薇 デヴィッド・マドセン(大久保 譲・訳) 角川書店(2004/11/30) \2200  ローマ教皇レオ10世、世俗ではジョヴァンニ・デ・メディチという。そう、あのメディチ家だ。性的には野性的な青年に尻を差し出す 女役を好まれ、政治的策謀が好きで音楽と 芸術と美食を愛するエピキュリアン、しかし彼の信仰に揺るぎはない。ドイツの田舎修道士、ルターとかいう馬鹿者 がいかに遠吠えしたとて… しかし苛立つではないか。私か。私の名はペッペ、レオに仕える小人に過ぎぬ。しかし、実を言えば異端と排された グノーシスの徒である。 私を導いたのは、レディ・ラウラ・フランチェスカ・ベアトリーチェ・デ・コリーニ。師(マスター)の娘その人である。
 エログロ、グノーシス教義、当時の複雑な権力争いが絡み合うという物語だが、どうもバランスが悪いような気がしますね。 いいわけめいたお説教はすっぱり抜いてエンタメに徹した方が良かったのではないかな。あの時代をマジメにやるなら、『蒼穹のかなたに』(ピコ・デッラ・ミランドラ) のような綿密手法がまだすっきりしていたように思えます。
最後の努力 ローマ人の物語(XIII) 塩野七生 新潮社(2004/12/25) \2600  東ローマ(ビザンチン帝国)は1453年のオスマントルコ侵攻まで続いたではないか〜というのは単なる教科書読みでして、もちろんローマを失ったら 正統性は失われることになります。コンスタンティヌス大帝が「大帝」付きで呼ばれるのはキリスト教を容認し、最後には改宗にまで至ったからに 過ぎません。信仰の自由の保障、それはコンスタンチヌスの最大の功績といえるのでしょう。政治的にはビザンティウム遷都はやむを得ないとしても、 ローマとしては滅亡への最終ステップを踏み出した皇帝と言えます。
 今巻は経済面考察などもされていて、「ローマ人」を強調しています。皇帝がくるくる変わらなければ、まだ人にも目がいくということかな。 たいていの国の滅亡は経済の崩壊から始まりますね。外敵侵略もあちらが食えないからで、国家経営も楽ではありません。それにしても「歴史」 というのは、結局政治的文化的強者生存者のものであるということになるのだなー。だから読んでも面白いのでして、これが毎日畑を耕していましたでは 残念ながら面白くはないわけで。庶民史はつらいぜ〜。
シュルツ試論序説 工藤幸雄 新潮社(ブルーノ・シュルツ全集・書簡解説篇より) (1998.9) \17,000  ポーランド文学に異彩を放つシュルツの生涯と作品論。それにしてもユダヤ人であるがゆえに街頭で射殺された最期には 涙を禁じ得ない。憎むべき対象を目の前に置いて示唆されれば、人は容易にしたがってしまう。あたかも憎悪と加虐が本性であるかのように。 そこには他者に対する想像力のかけらもない。未成熟な姿、憎悪の感情に身を委ねる醜悪さ、それにより自尊心が満足されるという醜悪さ。 その危険性は現代日本にすら存在する。美しい文学と、必ずしも矛盾しないことがさらに恐ろしい。
オーレリア ジェラールド・ネルヴァル(篠田知和基・訳) 思潮社(1987/10/1) \1400  『火の娘』で名高いネルヴァル(1808-1855)が精神を病みつつ歌い上げた夢幻の書。全編を貫くのは、夢と幻覚の世界、それはオカルティズムの 極致なのだろうか。幻は、地球の原初よりの営みを眼前に展開し、うつつとのあわいに昇華して行く。それを目で追うことさえ、もはや俗人には困難で…。
ウィーン世紀末文学選シュニッツラー他(池内紀・編訳・訳)岩波文庫 (1989/10/16) \505 シュニッツラー「レデゴンダの日記」、バール「ジャネット」、アルテンベルク「小品六つ」、ホフマンスタール「バッソンピエール公綺譚」、 ヘヴェジー「地獄のジュール・ヴェルヌ/天国のジュール・ヴェルヌ」、ヘルツマノフスキー=オルランド「シャイブスの町の第二木曜日」、 シャオカル「ダンディ、ならびにその同義語に関するアンドレアス・フォン・バルテッサーの意見」、フリーデル「オーストリア気質」、ブライ「文学動物大百科」、 クー「余はいかにして司会者となりしか」、クラウス「楽天家と不平家の対話」、ポルガー「すみれの君」、ツヴァイク「落第生」、ベーア=ホフマン「ある夢の記憶」、 ロート「ファルメライヤー駅長」、ムージル「カカーニエン」
 伝説の二重帝国、その首都であるウィーンは、世紀末の香りを20世紀に至るも漂わせ、没落寸前の運命を感知したかのような絢爛たる文化が花開く。 大戦敗戦と帝国崩壊、ナチスへの併合、それはまだ先のこと。歌え,のめ、語れ。多彩な文人たちの横顔スケッチやクリムト・シーレなどの図版も 多数収録した、文庫本としては贅沢な一品。
おわりの雪ユベール・マンガレリ(田久保麻理・訳)白水社 (2004/12/10)\1600  ぼくは養老院で老人の散歩の付き添いをしてお金を稼いでいる。父さんは病気で寝たきり、ぼくはディ・ガッソの店で売っているトビがほしい。 養老院の管理人であるボルグマンとぼくは気が合うのだが、ある日、「ある仕事」を請け負うことになってしまった…。
 シミジミと雪に染みいる犬の声。ま、動物好きの方には薦めませぬ。
エブリシング・イズ・イルミネイテッドジョナサン・サフラン・フォア(近藤隆文・訳) ソニー・マガジンズ(2004/12/10)\1800 ユダヤ系アメリカ人青年ジョナサンは祖父のルーツであり、戦争中に祖父の命を救ってくれた女性を捜すためウクライナを訪問する。 ガイドに雇われたのはアレックスという英語を学びつつある青年、運転手はなんと盲目の祖父、盲導犬としてサミー・テイヴィス・ジュニア・ジュニアという 万年発情のメス犬め(ビッチかな)までついてくる。のちにジョナサンが書く物語と、アレックスの手紙、手記として再構成されたストーリーの交錯する おもしろうてやがて悲しき物語。
うーん、ユーモアが成功したとはいいがたいな。こういう言い回しの間違いでの笑かしは難しいよ。 たぶんいいお話ではあるのだろうけどさ。もっとストレートに書いたほうが、日本の読者には伝わったと思うよ。
黄金のブダペストエステルハージ・ペーテル(ハンガリー文芸クラブ 編・訳)未知谷 (2000/04/14)\2000 エステルハージ・ペーテルは1950年ブダペスト生まれ、ブダペスト大学数学科卒業後、76年「ファンチコーとピンタ」を上梓、以後専業作家となる。 作風は西欧の先端知性を取り入れ、引用コラージュやパロディなど形式にこだわらず、難解にして奔放、なかなか取っつきにくい面もあったりして。 本書はほとんどカルヴィーノへのオマージュとも言える「見えない都市」にはじまり、さまざまな短編やエッセイを翻訳したいわば入門書である。
「エペペ」くらいぶっ飛んでいれば推薦ハンコもべっちょりあんですけど、ちょっと変わっているとしか言いようがないのは困りますねー。 カルヴィの大引用も可笑しさというよりはなんだかなーという感じだったりするのでねえ。やっぱり「剽窃」系は慎重にしてもらわんと新鮮味に欠けます。 エッセイのほうはちょっと高踏的なところがあって、ロシアの圧迫がなくなったらもっと素直に喜べばいいのではないかなと思ったりして、 少々期待はずれかも〜。
最後の審判の巨匠レオ・ペルッツ(垂野創一郎・訳)晶文社 (2005/03/30)\2000 銃声は2発だった。僕たちがかけつけたとき、帝国首都ウィーンきってのシェイクスピア俳優オイゲン・ビショーフは拳銃を手にして倒れていた。 自殺かとも思われたが、客の一人、技師ゾルグループは「これは殺人である」と断言する。犯人は僕だというのか。なるほど僕には十分な動機が あるかもしれない。こうして錯乱の中に犯人探しが始まる…。
 伝説的作品だそうです。帝国時代プラハのユダヤ人作家、再評価されつつある、というのは結構だけど、ま、ヨーゼフ・ロートあたりのほうが やはり時代性は濃厚で浸れる感じですな。これはやはりどうしたって「ミステリ仕立て」には違いないので、謎解きあたりに目が行ってしまいます。 時代性もあるのだけど、レプラで大騒ぎとか、ちょっとはしたないところもあったりしてね。ゾルグループの日露戦争従軍体験というのはなかなか いい線行っててツボ的ではあるのですけど。
ひとつのポケットから出た話カレル・チャペック(栗栖 継・訳)晶文社(文学のおくりもの15) (1976/12/20)\1200 チャペックのショートミステリー集。「ドクトル・メイズリークの立場」「青い菊の花」「女占師」「透視術師」「筆蹟の秘密」「絶対の証拠」 「ラウス教授の実験」「なくなった手紙」「盗まれた公文書」「怪しい男」「詩人」「ヤニーク氏の場合」「ヴォチツェ家の没落」「記録」「セルヴィン事件」 「足あと」「レシート」「オプラトカの最期」「最後の審判」「百姓小屋の犯罪」「俳優ベンダの失踪」「殺人未遂事件」「仮釈放者」「郵便局の犯罪」
 さすがは才人チャペックさん、こういうものを書かせても着眼点がユニークです。しかもこの次の作品集の方はさらに面白くなるのです。
ポンペイの四日間ロバート・ハリス(菊池よしみ・訳)早川書房(ハヤカワ文庫NV) (2005/03/31)\840 本国イタリア南部、ヴェスヴィオの北麓を貫いて軍港ミセヌムに注ぐアウグスタ水道に突如異変が発生した。前任者失踪の後を承け、 急遽水道官に指名されたアッティリウスは原因を求めポンペイに向かう。破局は次第に迫っていた…。
 土木のローマ帝国、水道官に着目した視点はなかなかです。大プリニウスがデブのよれよれに描かれているのは可哀想だなー。出番も少ないし。 火山関係の記述・訳語はまあまあというところでしょう。しかし硫化水素はこわいですね〜。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない桜庭一樹富士見ミステリー文庫 (2004/11/15)\500 山田なぎさは母と兄の三人暮らし、中学を卒業したら自衛隊に入るつもりの現実家。転校生美少女海野藻屑はじぶんを人魚だと言い張っている。 かつてのアイドル海野雅愛の娘だという。だが、その「美しい」親子には重篤な秘密が隠されていた。
 いわゆるライトノベルですが、テーマはかなりシリアスです。DV被害者は一種のストックホルム症候群に陥っている。こうして被害者は加害者 を告発することなく、暴力は極限まで走ってしまう…。
カウガール・ブルーストム・ロビンズ(上岡伸雄・訳)集英社(1994/01/20)\2000 もって生まれた巨大親指はシシーをヒッチハイクの女王にのしあげた。ロビンズの『香水ジルバ』は傑作でしたが、これはちょっとノリがイマイチかも。大指バシバシ筋肉映画 だったらほとんど香港映画のノリで行けそうなのに残念〜。このタイトルだったら文字通り革命的カウガール集団とかせめて大指女を前面に押し出して、 バリバリ活躍させてほしいのに、結局怪しい日系移民爺が説教ばかりしているようで、んーとなんだかなー。そういう疑似思想めいたものに 興味しんしんの若者だったら意外と受けるのでしょうかねえ。ま、70年代アメリカだったら受けたのかな。
バビロンの王女・アマベッドの手紙ヴォルテール(市原豊太・中川信・訳)岩波文庫(2005/02/22=3版) \500バビロンの女王フォルモザンドは芳紀まさに18歳、エジプトのファラオ、インドのシャア、スキチヤのカアンが求婚に名乗り出た。 そこに一人の高貴な顔立ちの若者が現れたが、かれは羊飼いの息子に過ぎぬというのであった。しかし剛弓や獅子との試合など、王族方が尻込みする 試練を彼は難なくこなすのだった…。
 まー、ストーリーはよくあるパターンですが、それによって世界をめぐり、各国を諷刺したりするのが主眼のお話です。
エトルリヤの壺メリメ(杉 捷夫・訳)岩波文庫(1997/04/16)\400 「マテオ・ファルコネ」「シャルル十一世の幻想」「堅塁抜く」「タマンゴ」「トレドの真珠」「エトルリヤの壺」の6篇を収録。初期短篇集"Mosaique"より選択 したもの。もっとも彼の本業は官吏あるいは歴史学者であり、 小説は決して多いとは言えず、「短編」はこの1829-30に集中しているそうな。いずれも仕事の中で見聞きした奇譚を周到に再構成したという感じで、書斎派 にはみられない「リアルな幻想」となっています。しかもさまざまなことに興味を抱き続けた姿が窺えるところが面白いですねー。
ペテン師クロード・シモン(松崎芳隆・訳)集英社世界の文学23(1977/08/20)\1300 純文学は20世紀を迎え、一人一人に分派する。文学者各自は、「自分はなぜ書くか」という意志を示さねばならない。 それは小心者の文学である。例えば大デュマがさような疑問を一瞬たりとも 持ったとは思えず、仮に持ったとしてもいちいちいじましく読者に提示はしなかったろう。しかし、識字率の上昇が知識階級による文学の独占 を破壊したとき、それでも「文学」という姿にアイデンティテイを求めるとしたら、なにがしかの言い訳は必要となる。彼が「インテリ」であろうとするなら。 文筆を飲食や情交と同列に置くことを拒否する「文弱の徒」でありつづけようとするなら。
唐シルクロード十話スーザン・ウィットフィールド(山口静一・訳)白水社(2001/02/10)\3000 著者は大英図書館国際敦煌プロジェクトを運営し、シルクロード史にはきわめて造詣深い。包括的な歴史書ではなく、西暦750〜1000年までの東方シルクロード周辺に暮らした人々の生活を蘇らせる試みである。人物のうちの数人は実在であり史料に登場する。
商人の話(ナナイヴァンダク、730-751)、兵士の話(セグ・ラトン、747〜790)、馬飼の話(クムトゥグ、790〜792)、皇女の話(タイヘ、821〜843)、僧侶の話(チュッダ、855〜870)、遊女の話(ラリシュカ、839〜890)、尼僧の話(ミャオフ、880〜961)、 寡婦の話(アーロン、888〜947)、役人の話(チャイ・フェンタ、883〜966)、画家の話(トゥン・パオテ、965)
敦煌は事実上独立国であったこともある。チベットが軍事大国だったこともある。人々は行き来し、幾度も戦火にさらされ、それでも交易が絶えることはなかった。 …などなど、「小説」のように波瀾万丈とは行かないが、たいへん興味深いエピソードの集合です。
七悪魔の旅マヌエル・ムヒカ=ライネス(西村英一郎・訳)中央公論新社 (2005/07/25)\2,600  マンネリズムの波は地獄にも押し寄せる。大悪魔様は配下の悪魔の働きが悪いとお腹立ち、これでは悪魔の存在意義すらも忘れられてしまうではないか。よって命令は下される。七つの大罪を司る七悪魔たちよ、とっとと地球の各時代に飛んで、人間どもに地獄と悪魔の存在を銘記させよ。
 なるほど、悪魔の世界もなかなか効率的分業制だったのですね。 Pride(倨傲):ルシフェル:十五世紀青ひげ公ジル・ド・レイ処刑後の未亡人を誘惑する。Greed(貪欲):マンモン:ローマ時代、ポンペイの市民たちにその姿を見る。Envy(嫉妬):レヴィヤタン、西太后慈禧に権力執着を植え付ける。その他、Gluttony(暴食):ベルゼブル 、Wrath(憤怒):サタン、Lust(淫乱):アスモデウス 、Sloth(怠惰):ベルフェゴール、そして最後は未来にまで至るのだ。
青い夕闇ジョン・マクガハン(東川正彦・訳)国書刊行会 (2005/06/16)\2,200 1950年代、アイルランド西部ロスコモン州の小さな村、男手ひとつで子供達を 育てるマホニーはまた専制的でもあった。カトリック精神は厳しく、肉欲も押 さえ込まれ、奇妙な形で噴出する。ジョーンら妹たちを守ろうとするが、それ も中途半端であるな。理想的家族という枷ほど悲しい物はないな。暗くて気が 滅入るというか、バイオリズム低調の時に読むべき物ではないかも〜。
夏の家、その後ユーディット・ヘルマン(松永美穂・訳)河出書房新社 (2005/07/20)\1,600 1998年、28歳でデビューしたヘルマンの第一短篇集。ドイツ文学ではあるが、かなりアメリカナイズされているという感じである。ところどころは ドイツ伝統、あるいはヨーロッパ的、あるいは戦争の残滓すら感じられることもあるが、それはメインではないように思える。
収録作品 「紅珊瑚」「ハリケーン(サヨナラのかたち)」、「ソニヤ」、「何かの終わり」「パリの女(ひと)」、「ハンター・ジョンソンの音楽」「夏の家、その後」 「カメラ=オブスキュラ」「オーダー川のこちら側」
黄色い雨 フリオ・リャマサーレス(木村榮一・訳)ソニー・マガジンズ (2005/09/10)\1,700 アイニェーリェ村は実在している。私は廃村アイニェーリェの最後の一人。妻のサビーナはついに寂しさに耐えかね、 縊れて果てた。私は彼女が首を括ったロープを腰に巻き付け、雌犬だけを相手に暮らしている。しかし近隣の村人達は、 私を放っておくわけにはいかないのだ。
 うーむー余りにも深い悲しみに、心は沈みますな。もうちょっと息をつけてもいいのだけどね。その点ゼーバルトさんは哀しさだけに流れないところが よろしい。と他の人を引き合いにだしちゃいけませんが。
陽気なヴッツ先生 他一篇 ジャン・パウル(岩田行一・訳)岩波文庫 (1991/03/18)\447 ヴッツ先生は最大の蔵書家であった。彼にとっては本などその標題さえ目にとまれば もはや買ったも同然、なにしろ内容をすべて自分で創作し、自己の写本図書館に献呈するのだ。 彼が生涯に買った本は、ライプツィヒ書籍見本市のカタログだけ、それで十分なのだ。こうして彼は 「群盗」と「純粋理性批判」をいっぺんに書き上げ、さらにヴェルテルの悩みを喝破し、西インド諸島から 南インドまで驚異の旅行記を書き上げたのだ。それは貧困ゆえか。かれの精神活動の根源を知るには、その 幼少期からの生涯をたどるにしくはない…。
他に、臆病な従軍牧師が敵前逃亡罪をごまかしてなんとか教理教授になろうとする「シュメルツレの大用心」を収録。
設定は抱腹絶倒…と言いたいところなんだけど、イマイチ乗り切れませぬ。訳文のせいなのか、全体に古めかしい感じですね。
夢先案内猫レオノール・フィニ(北嶋廣敏・訳) 工作舎 (1980/11/15)\1400 私がRのホテルで出会った牡猫は、そのホテルにガーゴイルがわりに飾られている、玄武岩で出来た黒人奴隷女の顔像を外して 盗み出すことを命じた。そして猫と像と私は列車でパリ戻った。メイドのアミティエもそれを受け入れた。向かいのアパートに住む少年フリオは私と 猫に興味を抱いたようだ…。
フィニは1908年ブエノスアイレス生まれ、17歳から画才を認められパリで生活。マックス・エルンスト、バタイユらと親交を結ぶが シュールレアリストとは一線を画し、また絵画だけではなく衣装、舞台、小説などにも手を染めるという多彩な方だった。本書はかなり濃厚な味わいの 幻想猫小説、むしろキャリントンよりもシュールに行ってるかも。
マルセル・エメ傑作短編集マルセル・エーメ(露崎俊和・訳)中央公論社 (2005/09/25)\857 「こびと」「エヴァンジル通り」「クールな男」「パリ横断」「ぶりかえし」「われらが人生の犬たち」「後退」の7編を収録。才人であることはわかるけど 都会ものよりも田園もののほうが好きだったりして。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人J.K.ローリング(松岡佑子・訳)静山社 (2001/07/18) \1900アズカバン、それは脱獄不可能と言われる魔法使いの監獄。そこを脱走した囚人がなんとハリーの命をつけねらっているという。 これはたしか2001年に読んでいたはずなのに、記入漏れだす〜。なんでこんなに暗いのに子ども受けするのだ?
ハリー・ポッターと炎のゴブレット(上下)J.K.ローリング(松岡佑子・訳)静山社 (2002/11/01) \3800クィデッチにもワールドカップが開催されるのだ。ブルガリア対アイルランドの決勝戦のあと「闇の印」が現れた。 それは「名前を言ってはいけないあの人」の復活を告げるもの。折しも百年ぶりに開かれる三大魔法学校対抗試合が開催され、 年齢制限以下にもかかわらず、ハリーは何者かの手によってその選手として選ばれる。それは栄光と隣り合わせに死の危険も伴うものだった。
映画もきっちり見てきたぞ。みんな大人になっちゃうんだから〜。ハリー君なんか二重顎の兆候がっ。それはともかく、 なかなかハードでダークになってきましたね。
ローデンバック集成ジョルジュ・ローデンバック(高橋洋一・訳)筑摩書房(ちくま文庫) (2005/09/10) \1300中編「死の都ブリュージュ」短篇集「霧の紡ぎ車」エッセイ「ブリュージュ」日記「我が日記」の四部構成。「死の都…」 はどうも終わり方が唐突な感じですけど、短篇集はさまざまなエピソードがそれぞれ光っていて面白い。
五里夢大西巨人講談社文芸文庫 (2005/01/10)\1300 西海地方鏡山市、あるいはその周辺で観察される、二・二六事件、戦争、差別、血友病とエイズなどなど、1931から1992までの ある年ある月の出来事を12の物語で綴る短編オムニバス。エロチシズムに対する飽くなき興味もまたたいしたものです。


BACK1