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題名:  大菩薩峠(1-20)
著者:  中里介山
発行:  筑摩文庫・時代小説文庫 (1981/07/20)
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執筆29年間500万字以上に亘り、文字通り著者が身命を賭し心血を注いだ大長編「カルマ」小説。
【内容紹介】
 大菩薩峠は江戸を西に去ること三十里、上下八里にわたる「甲州裏街道」すなわち青梅街道最大の難所である。今この山道に十二、三歳の少女とその祖父とおぼしき巡礼の二人連れがさしかかった。少女が水汲みに離れたとき、白刃一閃、老爺は、何の気配も見せず佇んでいた一人の侍の手に掛かって倒れた。それは人を殺すことに憑かれた男による、まったくの無動機殺人、辻斬りだった。遺されておろおろする少女お松は猿どもに襲われているところを通りがかった親切な男に助けられたが、この男も実は実直そうな外見に似合わず脛に傷持つ身であった。一方辻斬りを働いた机龍之介は、殺人によっても満たされることなく、おのれの欲望と運命に果てしなく翻弄されて行くのだった。
【感想】
 山高きがゆえに尊からずとは文学においてもあてはまること、しかしながら目の前に厳然と聳える長大作品は、やはり耽読派にとっていつかは到達してみたい峰とも言えるでしょう。西洋作品でいえばさしずめプルースト「失われた時を求めて」、本邦ではなんと言っても本書がそれにあたります。知名度の割に読み通した人数の少ないことでも双璧だったりして。
 冒頭、ストーリーは古典的にして明快な「仇討ちもの」として展開します。しかも殺した相手の妻と駆け落ちというドロドロ愛欲絵図すら加わったおかげで「大衆性」も抜群、何度か映画化すらされています。「主人公」机龍之介を兄の仇と追う宇津木兵馬は凛々しき美青年、いよいよ盛り上がるところですが、しかしこの仇討ち、いっこうに実現する気配はなく常にすれ違いに終わります。龍之介が討たれてしまってはもちろん物語としては終結でしょうが、それが大団円には繋がらないことに読者も著者すらも、やがて気付いて行きます。
 小説としてのカタルシスを求めるなら、罪悪を犯した者は悔悟の涙にくれつつ討たれるなり最後まで世を呪うなり、何らかの感情表現がほしいところでしょう。しかし龍之介はいつしか人間の業(カルマ)そのものと成り果てています。それも狂言回しや黒衣という作者の意図代弁的存在ではなく、むしろ展開するストーリーからいうと邪魔者とすら思える存在、言わば人生に必ず立ち現れる黒いシミのようなもの。男も女もそれが害なすものと知りつつ、蛇に睨まれた蛙のように引き寄せられて行きます。
 
 ストーリーという枠をさらに打ち破るのは登場人物の多彩さで、特に被差別民であった遊行の者たちの活躍はめざましいものがあります。作中おそらく最も魅力的なキャラである宇治山田の米友は子供なみの身体ですが、その筋肉は十二神将のように躍動的、彼が登場するとたちまち一騒動持ち上がります。あるいは彼と同郷の被差別民であり、座敷に上がることを許されぬ「間の山節」唄いである若い娘お君。彼女は甲府勤番の旗本駒井能登の思われ者となり、嘱望されていた彼を堕落させたとして著者自身により「女子と小人は養い難し」とこてんぱんにやっつけられます。しかしその駒井は幕府を致仕したことによって、逆に権威に囚われない自由な新天地を求める「日本のメイフラワー」を船出させることになるのです。まことにカルマとは、著者自身にも計り知れないもののようです。
 著者の基本的な立場は、非差別とは言い条、老若男女出自門地を越えた一君万民主義なのですが、伊吹山麓の独立国や共和制に近い無人島国など、政体の実験も行う政治小説とも言えます。もちろん、能楽にも似た幽玄夢幻劇が挿入される幻想小説であり、土方の歳どんも出てくる歴史小説であり、小説作品というよりはこの作品自体中里氏の人生そのものの投射、一個の「峠」なのでしょう。


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