鎮魂歌としての父
個人的な鎮魂へのスケッチ
語尾を濁す 伏目がちな目に、
なんの云はれ!
真夜中の静けさが折り曲げられる時。
あなたはあなたであり 断じて
あなたでなければならないのに……
耳鳴りのする沈黙の裏側で
無意味な問いを 無意味なまま繰り返し。
笑みのようなものを
うっすらと口もとに刻んで、ぎこちない
あなたの静かな姿勢は
理不尽すぎる と。
あなたに縋る手のかたち あなたに垂れる頭のかたち
騒めきは どこか
決定的に調子はずれであり、
……全てを傷つけ 何ひとつ確実に傷つけることのない
あなたに沿って、
調子はずれであることが
唯一の証しであるからのように?
不思議な忙しさをのぼりつめ
――縁の欠けた灰皿に 片付け忘れられて
あなたの煙草は長い灰をつけたまま――
あなたが柩におさめられる時。
もう抱きあげることのない
あなたの肉体の重さは
あなたの死に増して
重い。
重いのだ と。
まだ冷えきれない
あなたのどきりとする体温を
手のひらに意識しながら、
火をつけて
その吸いさしを肺深く吸い込んだとしても。
黒ずんだ芯だけの蝋燭に、
ひんやりした長さが訝しい
取り替えられたばかりの蝋燭。
柔らかすぎる灰に折ってしまった
線香の端をその炎に近づける時。
通夜は 不意に
予期していた出来事!
予期していた?
崩せない正座のかたちで
独白が言い訳じみた線香の香にむせて。
あなたの位牌は 平衡感覚を取り戻せぬまま
目の高さで揺れる! と。
後悔ではない夜明けに のびをする。
あなたの長い一日を どのように
手足に確かめればいいのか、
息の白さを もう折ることもないだろう線香がわりに?
高すぎる煙突から
さっきまであなたであった煙が
果てしない形に薄れながら、
空の一番深いあたりに吸い寄せられている。
問いかけは問いかけのまま
見上げる額に砕け落ちて
どのような皺になるのだろうか、と。
……しかし、曝け出されたあなたの骨は
突然の死に 形を崩せない?
知るべくもなく燃えつきて 燃え残らねばならなかったことで、
あなたが差し出す
人間と云うもの……
余熱に青ざめて、あなたの骨を挟んだまま
箸をぎこちなく握り直す時。
奇妙な浮力をもてあます 身体のバランスをとるのに
その重さは充分すぎる けれど、
不可解な理由に 砕かれる
その音は骨の髄に沈みこんで――
隠坊の手つきが証しつづける
骨壺の小ささ。
墓場と呼ぶにふさわしい森の斜面に
土葬の名残りのような
穴の深さは 確かめようもなく、
雨上がりの土に汚れた手のひらを 所在なく
見つめ返す時。
あなたとの記憶に振りかけるには少なすぎる
一握りと云う量ではなく、
かつてあなたの手をも汚したであろう
込み上げてくるものの はっとする繋がりに。
あなたの斜め上の
自然石の祖父母の墓石があなたのささやかな自慢だった
もうひとつの訳を、
花で飾り。
理由のない痛みは正当だ? と。
背を向ければ、
仕事帰りのあなたが 酒を片手に
植木の丹精に余念のないような
夕暮れ。
ゆっくりこめる脚の力を 足場のせいにして、
振り返らないことを どこかで
信じながら。
死者からのレクイエム
――与件以前の光の中を、輝やききれぬものが漂泊している。
死者!と叫ぶが、声はすでに私の眼に乱反射する光である。む
しろそれは光の中心なのかも知れない。…と云う意識が一瞬、
研ぎ澄まされた無数の光束を死者の視線として捉えて、消えた。
メいきョウ止すイ…セいじャく…言葉はイメージに辿り着かず、
ただ凝視される恐怖として、その記憶ばかりが私の背後で白熱
する時、振り向くと云う習慣が欠落していることに私は気付か
ざるを得ない。次第に名状しがたい質感と化す恐怖は後頭部を
貫いて、私の眼はその先端とも思われてくる。いや、その時す
でに私の眼は閉じられていないか。
――与件以前の光の中を、輝やききれぬものが漂泊している。
耐えきれず眼を逸すと、突如出現する、私であるのか死者であ
るのか不意に途切れる位置。避けて通れない暗黒星雲のような
エア・ポケット。人はそれを我執とも悪霊とも呼ぶのかも知れ
ない……逸した視線に光が結晶し始めている。錯覚である自信
のないまま、直視不可能として二重の像が素顔の裏側を行き交
うにまかせることに、私は秘かに安堵していないか。自嘲の感
情とともに、荒涼たる夜空にか細い星の光を捉える要領を思い
出そうと私自身に目をこらす時、死者は死者自身に無限に接近
して静止を保っているように見えるが、それは生体としての私
の不合理な揺れに合せているためなのかどうか、定かではない。
ただ、距離感の喪失と云うよりそれは関係自体である視線の恣
意性に求められるべきだ……と云う呼吸音の腐臭を隠さないこ
とによってのみ私は「いる」ことができるだろう。
――与件以前の光の中を、輝やききれぬものが漂泊している。
私の表情によって死者の表情が損なわれているか。むしろ私に
死者が憑りつき始めている。逆光と化して抽象と具象の間を浮
遊している死者の表情は如何なる表情より表情らしい。未来形
……私の視線はその時、血腥い歴史そのものなのかも知れない。
いや、相対的すぎるそれは貧血状態として捉える方がまだ適っ
ているだろう? どちらにしろ死者はただ輝やきわたる影を曳
いて、緩慢な動作を繰り返しているにすぎない。その逆説に身
をまかせて、理由や意味は全て私が負うべきなのだが、それが
如何に侮蔑であるか、私はすでに知り始めている。
――与件以前の光の中を、輝やききれぬものが漂泊している。
唇に微妙な炎の形状を揺らし、死者は何を語っているのか。沈
黙よりも高いその振動音はなだれうつ光に吸収され尽している。
あるいは私が聞き取るものを持たないのかも知れない……と、
瞬間、網膜に叩きつけられた光! 光文字! <愛> 確かに
そう読んだが、意味より先に私のあらゆる感覚はその圧力に埋
め尽くされて――アンチテーゼではない闇だけが何かを支えよ
うとしていた。
日常の出発のための覚え書き
1
何がシャクでしたのか 五合の酒を水で一升にふやした息子を
怒るに怒れず 黙って飲んだときのような顔をして
お父さんはよく云ったじゃありませんか
弱いサムライ!
弱いサムライ?
その息子は今 強い酒に噎せたように
繰り返しています けれど――
2
(居直ってはいられない
お父さんへの鎮魂歌でしかないことを
まして 歌わないことが最良の鎮魂歌であるなどと
信じる訳にはいかないから)
3
寝転んでテレビに大口をあけながら ふと
横目でお父さんの自画像をとらえ
いなくなって初めておっかない親父になった と。
十年以上も前に画かれたその絵が
いつの間にか一番親しい顔になっていることに 戸惑って
テレビのギャグの意味をとり違えたりして……
4
……せんだって 保険の調査員と云う名刺大の声がお父さんのこと
をたずねて 身長体重とか生年月日とか持病はなかったかとか そ
の上酒はどの位飲んだかと聞かれるにおよんでさすがにムッとして
質問の細かさにうんざりするより先に 何も分かってない自分が不
安になってきて 沈黙のままに考えていたら 不意にその声がよく
分りましたと云ったのには お父さん! 本当にびっくりしました
5
<誠実だと云うことは好い加減だと云うことだ>
酒でばかり失敗を繰り返したお父さんが禁酒を誓って
何日になるのか 指折り数えて
ハッとした時には後の祭 ヘベレケになって真夜中の御帰館
玄関に大の字になって つぶやいた言葉
その時の視線のくやしさへの尖り具合さえ思い出すことができないのに なぜ
今頃になって一人いる机から浮かびあがって
何を打とうとするのか それは――
弁解でもあったろう 自己を叱責する声でもあったろう しかし
どこか違うのだ どのような証しともならず
お父さん自身を耐え 甘んじて耐えさせたもの?
6
花のない季節に飾る 下駄箱の上のサボテンの棘のように
お父さんを忘れるのではなく
出発は お父さんが仕残した
物置の屋根の塗りかえから始めようか それとも
植木に水をやることからにしようか
お父さんの方へどんどん踏み込んで行くことを
決心する以外にないのだ きっと
立て直しのきかないお父さんの墓は
痛み始めたばかりの傷のかたちこそふさわしい