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日本中の話題をSIVが席巻するのには一日で事足りた。
もちろん率先して過剰に反応してくれたのは若者達で、何を勘違いしたか秋葉原のある店の前には九月一日の開店前に三〇人ほどの列ができて、シャッターが開くと同時に、早く『シーブイ』を売れと、面食らう店長に詰め寄ったという。翌日になるともはやその手の話題には事欠かず、センテックスの電話は各営業所とも問い合わせのためパンク状態となり、急遽専用回線をつけてテレホンサービスを流したり、テレビCMのスポットを増やしたり、その対応に追われた。
ハイテク・リサーチにしても事情は同様で、ソフトウェア供給代理店と新聞広告の片隅に名前を出したばかりに、問い合わせお願い売り込み脅迫の電話が後を立たず、氏家真美はほかの部署に頭を下げて回る羽目に陥った。
「もう、第一期ラインナップについてはここにちゃんと印刷してあるのに読めないのかしら」真美は井上はるみを相手に新聞を叩きながら愚痴った。「発売予定日も予約方法もちゃんと書いてあるじゃないの」
「なんだか正体はよく分からないけど、とっても面白そうだというのが受けてるみたいですね」
「それはまあ、ブーミングの常套手段ではあるんだけど、ちょっと異常ね。みんな退屈してるんだわ」
「CDやウォークマンもあって、ビデオもあって、BSもあって、テレビゲームもあって、このうえまだ遊ぶものが欲しいのかしらって思っちゃいますね」
「あんた、ずいぶんストイックになったのね。病気じゃない」
「はい、実は恋の病なんです」と、はるみは涼しい顔で言った。「そういえば、原田さんに恋人がいたという噂、ご存じですか」
「いいえ、男性社員の私生活は覗かないようにしてるから。でも、お気の毒ね、その方。……わたし、お気持ちよく分かるわ」
「でも、ちっともめげてなかったそうですよ。氏家さんもご存じじゃないかしら、ハイテク・リサーチに登録している派遣社員で、センテックスの本社にしばらく行っていただいていた、山中百合さん」
真美は思わず、声にならない声を出した。その女性のことなら原田に聞いたことがあった。センテックスにおける原田の情報源のはずだ。しかし、恋人と呼べるほどの関係にまで発展していたとは知らなかった。
「ふうん、そうだったの」と真美は感心した。「彼氏、オカマっぽくしてたのは隠れ蓑だったのね。この年齢でもまだ勉強することはあるもんだわね」
「それで、その山中さんが昨日ここに現れて、原田さんにお金を貸していたから、預金通帳があったら差し押さえたいと言って勝手に机の引き出しを掻き回して行ったんですって」
「ええっ」真美はさすがに驚いた。原田の机はまだそのまま調査部に置いてある。自分の家に土足で上がられたような不快感に表情が険しくなった。
「そんなの、誰も止めなかったの」
「あいにく、わたしも氏家さんもセンテックスに詰めてましたし、ほかのスタッフも電話に釘付けだったり、広告社に行ってたりして、隙だらけのところを奇襲されたと言うことです。それに、一応身内でしたし、何か理由があって整理してるんだろうと思って見てた人もいるみたいですね。でも、ほら、今年入った桜井さんが、顔を知らないものですから、大きな声で、何やってるんですかって問い詰めたんで、ばれちゃったそうです」
「怖い話ね。……それで、取られた物はないのかしら」
「ないと思いますが……ただ、警察が調べに来たとき、机の中が余り雑然としていると、痛くもないところを探られるかも知れませんよ」
「探らせときゃいいんだけど、こっちにはなんにも後ろ暗い所はないんだから。で、警察はいつ来るって言ってた」
「いずれお伺いしますと行って来たきり、まだ連絡がありません」
「そっちも奇襲で来るつもりかな。まあいいわ、わたしらは自分の仕事に専念しよう」
「氏家部長、ひとつお願いがあるんですが」はるみは居住まいを正して言った。
「おやおや、改まってどうしたの」
「わたしをセンテックスの調査に戻していただけませんか」
真美は髪をかきあげて、はるみの目を見た。それからおもむろに言った。
「まず、会社の立場から言うとね、もはやセンテックスを調査するメリットはないと思うの。特許関係の交渉は済んでるし、SIVのソフトを一括して請け負うことになったから、これ以上戦果をあげる必要はないと言っていいわ。何かまずいことを探り当てたりしたら、今度はこっちも一蓮托生になり兼ねないのよ」
はるみは黙って頭を下げて振り返ろうとした。
「待って」と真美は呼び止めた。「まだ話は済んでないわ。−−それでもね、SIVのブームだってそんなに長続きはしないと思う。それに他のメーカーも続々参入して来るし、センテックスだって次々と改良型を出さなくちゃならないでしょう。だからね、センテックスがどういうネクストを考えているか調査して、あちらが考えつかないようなら、むしろこっちからまたアイディアの売り込みをしなきゃいけないと思うの」
「過去はできるだけ目をつぶって、未来を見なさいってことですね」
真美は頷いた。
「分かってくれるかな、そう言う条件付きでお願いするわ」
はるみとしては否やはなかった。はい、としおらしく返事をすると、真美は続けて言った。
「それから、発売日までは忙しいから、そっちにかかりきりになるのはちょっと待ってね。一人、SIV担当要員を増やすから、その子にソフト関係は引き継いでくれる。そしたらすこし楽になるでしょ。−−それからSIVゲームの方の反応がいまいちのような気がする。ハニービーソフトからゲーム画面の絵を貰えないかしら。テレビに接続した写真しか撮れないでしょうけど、あとは言葉でカバーして、ファミコン雑誌の広告に載せてちょうだい。あと、『シーブイ』って言ってたわね、誰か」
「電機店の問い合わせにあったんです」
「シブい、じゃあんまりおしゃれじゃないわね。いっそのこと、SIVと書いて、シーヴィと読ませようか。CVと書くのも見た目はいいわね。コンパクト・ヴュワー、略してシーヴィ。CDからの連想で、一般受けするんじゃない。このへんひっくるめて、山田さんに頼んで商標登録して貰ってね」
真美は矢継ぎ早に指令を下すと椅子にもたれ掛かってこめかみを揉んだ。はるみは少し心配そうにその顔を見ていたが、やがて自席にとって返した。真美は机の引き出しを開けかけて、壁の時計を見る。まだ十一時、昼休みまでは我慢しよう、と真美は思った。いくら担当だからと言っても勤務時間中にSIVに耽溺していては示しがつかない。ちらりと部下たちの席に目を走らせる。その途端、はるみと視線があった。
宮城県警栗駒署から二人の刑事が聴取に現れたのは、その二日後の昼過ぎだった。原田の直属の上司だった氏家真美は多忙を極めており、時々座を外すことを余儀なくされるという理由で、同僚の井上はるみが同席した。
「原田さんの名刺には課長と印刷してありましたが、井上さんはその部下ではないのですか」
千葉と名乗った刑事が、不躾にはるみを見回しながら訊いた。真美がにこやかに答える。
「私共の会社では役員以外はノーポストですので、入社後一〇年たったら対外的には課長と肩書を付けますが、社内では横一線であることに替わりはございません」
千葉は、ははあなるほどと言ったが、腑におちない顔をしている。そんなもので統制が取れるはずがないと思っているのだろう。
「ま、それはいいとして、われわれは原田さんが計画的に殺害されたと断定するに足る根拠をつかんどるわけですが、残念ながら犯人を逮捕するに至っていないのが現状です」
千葉は女たちに言い聞かせるように話した。要するにたいしたことはつかんでいないわけね、と真美は思った。はるみが硬直した顔をしているのは笑い出すのをこらえているのかもしれない。しかし、ここで警官たちを挑発するのは賢明とは言えない。真美は神妙に頷いた。千葉は聴衆が感心しているのを確認して続けた。
「今回こちらに寄せていただいたのは、被害者生前の仕事内容、交遊範囲などをお聞きして、捜査に役立てたいと、こういうわけでして、もちろん秘密は厳守しますし、強制ではございませんが、よろしくご協力いただきたいと、かように思います」
千葉刑事と、連れの川島刑事はそろって頭を下げた。真美はあわてて言った。
「いえ、もちろん私共も喜んで協力させていただきますわ。どうぞお顔をお上げになって。大切な社員を失って口惜しいのは私共も同様ですの」
千葉は頷きながら目の前に置かれたオレンジジュースのグラスを手にとった。そのとき、応接ブースの外に女子社員が立って、真美に声を掛けた。
「申し訳ございません、氏家部長、お電話です」
真美は失礼と言って立ち上がった。「井上がすべて承知しておりますから」
真美が出て行くと自然、千葉とはるみが向き合う形となった。千葉は思わずまじまじと、はるみの顔を見つめた。
「どうなさいました」と、はるみが訊いた。
「直接お目にかかるのは初めてですな」と千葉は目をそらさずに言った。「しかし以前、仙台の事件でニュースに出てらしたのを覚えてますよ」
やっぱり、とはるみは思った。松沢のおばちゃんのところに現れたのもこの刑事に違いない。さもなくば、人の噂も七十五日、今に至るも四月のことを覚えているはずがない。
「さすがに刑事さんともなりますと、記憶がよろしいですのね」
「いやあ、そんなこともないんだけど、ほら、あんまり美人だったし、宮城県では大評判だったからね。そのうちタレントかモデルにスカウトされるんじゃないかってみんな言ってたくらいだよ」
「わたくしには、ハイテク・リサーチがございますので」と、はるみは受け流した。「ところで、お忙しいでしょうから、御用のほうを進めましょうか」
「いや、全くその通り。実は午前中に世田谷の原田さんのとこに行って、改めてお母さんの話を聞かせて貰ったんだけと、やっぱり心あたりってなかったみたいですね。ですから、われわれも、ここが最後の望みつうわけです。あ、煙草いいですか」
はるみは、なかなか本題に入ろうとしない千葉刑事にいらだちを感じ始めていた。それが恐らく、千葉の『手』なのだろうとは思ったが、巻き込まれて行く自分を制御できなかった。
「はいどうぞ、こちらにライターもございますので。−−それで、お調べはやはり、原田さんの仕事の具体的な内容まで必要なのでしょうか」
「そうですな」と千葉は煙を吐き出しながら言った。「どうも、被害者は、犯人と顔見知り以上の付き合いだったと推定されるネタが上がってましてね。それなら、つうこって被害者が仙台で会う可能性のあった人物をすべてリストアップして、一人ずつ当たって行くつもりです。それで原田さんのお宅でも故人宛の今年の年賀状を見せて戴きましたが、差出しに宮城県の住所は一枚もありませんでした。となると、やはり仕事上の付き合いだったと考えられますからな」
「デカ長、ちょっと」と川島刑事が小声で言った。「まだ捜査途上のことを洩らすのは如何なものでしょう」
「あっ、そうだな」と千葉はとぼけた。芝居としては拙劣だったが、それだけに相手は高を括ってしまいそうになる。事実はるみも、何でも教えてやれという気持ちになっていた。
「原田さんが仙台にたびたび出張していたのは、センテックスという会社を調査するためです。実は、今度我が社とセンテックスは業務提携を行うことになりまして、そのためには相手方の評判や信用度など、四季報や会社録の数字に現れないことを調べておく必要があったのです。言わば、縁談の身上調査のような物ですね」
はるみはさりげなく鎌をかけてみた。案の定、千葉の顔色がやや紅潮した。
「なるほど」と千葉は表情を変えずに言った。「センテックスなら、こっちじゃ一流だ。−−そうしますと、仙台ではセンテックスの方に会ってたわけかな」
「さあ、それはどうでしょうか。縁談調査はあくまでも相手本人には秘密に行うものでしょう。近所の方や、銀行、下請け、取引先などに聞き込みはするでしょうが、わたしだったらセンテックスの門をくぐって、あなたの家柄を教えて下さいとは言えませんわね」
「ですが、この場合は縁談とは違うから」千葉は強引に話の方向をそらした。「一応、センテックスのほうにも聞き込みをしたいと思いますので、どなたか、責任者のお名前を教えていただけませんか。いや、もちろんセンテックスさんを疑うとか、そんなつもりはないですし、できるだけこちらの名前も出さんようにするつもりです」
はるみは、すこし迷った。余人であればためらいなくその名を告げただろうが、中村の場合はやや事情が異なる。
「上司の判断を仰ぎますので、少々お待ちいただけますか」
はるみは軽く頭を下げて、真美を捜しに出た。その姿が見えなくなると、二人の刑事はふうっとソファにもたれかかった。
「いやあ、美人だなあ」と川島刑事は首を振りながら言った。「ちょっと攫って土産にしますわ」
「やめとけ」と千葉はぶすっとした声で言った。「薔薇には刺があるって言うだろ」
「あの子は刺なんかないっすよ。腕力はあるかもしれないけど」
「おれは女のでしゃばるのは好きになれねえな。嫁さん貰うなら、東京の娘はやめとけよ。とくにキャリアウーマンなんか栗駒とか鴬沢に来てどうすんのだ」
「センテックスにでも勤めて貰いますわ。古川だかに新しい工場作るらしいですよ」
「へえ、ほんとか、儲かってんだなあ。だけど悪いことをして太ってるつうこともあるかんな」
「そうそう、そのネタを掴まれて、口封じにばっさりというわけでしょ。だけど、あの会社は地元のホープだからそれはどうですかね」
ふたりがお喋りをしていると、はるみが戻って来た。
「警察の方には、包み隠さず話すようにとの事でした」はるみは、腰をおろすと、自分の意志ではないというように淡々と話し始めた。「センテックスの仙台の責任者は支社長様と言うことになるのでしょうが、私共も数えるほどしかお目にかかったことがございません。実質的な交渉相手は、開発部長をなさっておられる、中村様です」
「中村さんですね」と千葉が確認するように言った。はるみが、そのとおりですと頷く。千葉は手帳にNと書いて、ちらりと川島に見せた。
「調査の内容はどのようなものでしょう」と川島が訊いた。
はるみはその質問を予期していたように、ホッチキスで止められたA4の書類を差し出した。
「ここに原田さんが今までにセンテックスについて報告された事項をまとめたものがございます。これは部内会議用に作成したものですので、取捨選択はいっさい加えておりません」
「どれ、拝見」と言って千葉は受け取った。横から川島が覗き込む。千葉は見やすいようにやや身を引いた。
「ははあ、ほら、古川工場新設も書いてありますでしょう」と川島が嬉しそうに言った。「これによると、SIVラインと考えられる、となってるな。SIVって何かの機械ですか」
はるみは千葉を見たが、彼も戸惑ったような表情をしている。まだSIVを知らない日本人が一度に二人も出現して、はるみは情けなくなった。
「SIVは、十一月発売予定の画期的新製品で、今月一日から宣伝キャンペーンを繰り広げています。我が社でもこの装置のソフトを担当することになり、そのために原田さんがセンテックスを調査しておりました」
「ははあ、それでこの報告はSIVがしょっちゅう出てくるのか」と川島がようやく納得したように言った。それから刑事たちはしばらく黙って書類に没頭し、地名や人名が出てくると何事か小声で囁きあった。
しばらくして千葉が顔をあげた。「故人の仕事内容としては、これだけですか」
「そうですね、少なくともセンテックス関係で報告されたものは、これで全てです。それ以前の物や、未整理の物となると、机やロッカーを改めませんと」
「お手数とは思いますが、できれば見せていただきたいですな」千葉は当然のような口調で言った。「もちろん令状もないし、強制はできませんから、あくまでも自発的にご協力いただくということで」
はるみは次第にうんざりしてきたが、二人を放り出して逃げるわけにもいかない。どうぞこちらへと言って、刑事たちを原田の机に案内した。幸い調査部の社員は外回りに出て、人影の少ない時間帯だった。
刑事たちは無遠慮に引き出しを抜き取り、慣れた手付きで丹念に中を捜索し始めた。そして、アドレスや名刺ホルダーなど手掛かりになりそうなものを取りのけては、山に積み上げて行った。一番下の段にはファイルが並んでいたが、それらもいちいち取り出しては内容を確かめていた。はるみは所在なさそうにその様子を眺めていたが、ふと、取り出された引き出しの端にガムテープが覗いているのを見付け、手を伸ばした。その引き出しを持ち上げて見ると、裏側にクラフトの定形封筒が貼り付けられていた。刑事たちが捜索の手を止めた。
「ちょっと、貸してみい」と有無を言わせぬ口調で千葉が言った。
はるみは、引き出しを裏返して千葉に手渡す。千葉は机のうえにそれを置くと、慎重な手付きでテープを剥がした。封筒の口は糊付けされていなかった。千葉が机の上で封筒を逆さにすると、中から直径八センチの円盤型のPETフィルムが十枚ほどもばらばらと滑り落ちて来た。はるみは思わず息を呑んだ。千葉は問いかけるように、はるみの顔を見た。