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山里のありがたいことは、残暑がだらだらと尾を引かないことである。九月と言うのに一千万の人間どもの体温で蒸し上げられる東京から戻ると、窓から見える栗駒山には秋の気配さえ感じられる。千葉は、四月の出張のときとは違い、確かな手応えを掴んで帰って来ることができたことに内心ほっとしていた。
千葉と川島は署長の登庁を待って復命のため出頭した。署長は千葉の表情を見て、長くなりそうだと判断し、ソファの方に二人を導いた。千葉は、原田の家での捜索から始めて、ハイテク・リサーチに於ける捜索の顛末まで、メモと証拠品により再現して見せた。千葉の話が終わると、署長は煙草に火を点けて、窓の外を見た。釣られたように千葉と川島もがさがさと潰れかけた煙草を取り出した。
「センテックスか」と署長が言った。「おれの伜も行ってるわ」
千葉と川島は顔を見合わせた。署長の息子が東京の大学を出て、地元にUターンしたのは知っているし、年始のおりなど顔も会わせたはずだが、就職先までは聞いていなかった。
「勤務先は仙台支社だが、親に似てできが悪いから開発部じゃねえ、事務屋の方らしい。だけど部長の名前や経歴くらいは分かるだろうな。聞いてやろうか」
「いや、それには及びません」と千葉はあわてて言った。「息子さんにご迷惑がかかるようなことはしたくないですし、それにまだ何の証拠も上がってませんから……」
「下手に嗅ぎ回って警戒されたら元も子もないってことだな。いや、いい。分かってるよ。だけど、どうなの、デカ長さんのカンもやっぱりNは中村だと言ってんじゃないのか」
千葉は苦笑して言った。
「そうですな、カンだけじゃなくて、特にこのSIVディスクが出てきてからは臭いもきつくなって来ました。あ、指紋をまだ取ってませんから袋から出さないで下さい」
「ふーん、これがSIVディスクか」署長はポリ袋に入ったフィルムディスクをためつすがめつ眺めた。
「署長、SIVをご存じなんですか」と川島が驚いたように言った。「そりゃ知ってるさ、新聞でもテレビでも広告してるだろう」
「……だけど、本物を見たことはないでしょう。わたしら、見せて貰いましたよ」
「ハイテク・リサーチに試作品が一台と、発売キャンペーン用の封も切ってないのが一梱包ありまして、試作品のほうを試しにちょっとやったんですがね、いや大したもんでした」
千葉もそれに続けて言うと、署長は羨ましそうな表情を見せた。
「それで、このディスクは何だった。映画かな」
「いや、これはまだ指紋を取ってないんで掛けてません。あとからハイテク・リサーチがSIVを一台送ってくれることになってますから、そしたら見てみましょう。−−それで問題は、どうしてこれが故人の机に隠してあったかです」
「ハイテク・リサーチがキャンペーンを請け負ったんなら、試供品があっても不思議じゃないだろう」
「いや、ところがですね、九月一日の発表までは、秘密を守るためにハイテク・リサーチにも試作品は一台しか置いてなかったし、付属のディスク三枚もすべて所定の位置に保管してありました」
「と言うことは、こいつは別ルートで手に入れたってことか」署長にも千葉の言いたいことが分かった。「しかも、隠していた状況から見ると非合法である可能性が強い。センテックスから盗み出したか−−」
千葉は頷きながら後を引き取った。「内部の者を手なずけて盗ませたか。そして、その相手がNだとすれば、盗みがばれるのを恐れて原田を殺したということも考えられます」
「そうだな……。ところで、レコーダーはあったのか」
「いや、それは−−」
「レコーダーがなきゃただのフィルムだ。持ってても仕方あんめい。会社にも、自宅にもなかったのか」
署長の声はやや厳しくなった。千葉は、言い訳に聞こえないように冷静に答える。
「その点は我々も気がついておりました。しかし、会社の机の中はもちろん、ロッカーにも見当たらず、ハイテク・リサーチからもう一度被害者の自宅に戻って押し入れの中まで見せて貰いましたが、発見できませんでした」
署長はしばし考えこんだ。レコーダーを持たずにフィルムディスクだけを隠し持っていたというのはどうしても納得できない。千葉たちの捜索が不十分なのだろうか。しかし現段階では、被害者宅の天井裏から床下まで捜索させる根拠は乏しかった。とりあえずは中村の線から、センテックスを追ってみようかと署長は考えて、ふと思い出したことを口にした。
「そう言えば、あれもセンテックスとハイテク・リサーチがからんでいたなあ、ほら、四月にあった仙台の通り魔殺人」
千葉刑事は思わずあっと声を出した。あの事件では、テレビニュースで見た井上はるみの印象が強すぎて、加害者がセンテックスの社員だったことをすっかり失念していた。千葉は顔が赤くなるのを感じた。昨日今日の駆け出しでもあるまいし、おのれの迂闊さに歯軋りする思いだった。東京でそれを思い出していれば、もっと突っ込んだ質問を氏家や井上に浴びせることができた筈だった。
「ええ、その通りです」と川島が平然として口を出した。千葉は驚いてその顔を見る。川島はそれに気付かずに続けた。
「あの事件では、加害者がセンテックスの社員で、取り押さえたのがハイテク・リサーチの井上さんだというのは知ってました。いや、それにしても井上さんは美人でしたね、部長」
「あのな、川島君」と署長がたまりかねたように言った。「あの事件についてはまだけりがついてない。県警の中では、センテックスの社員たちがシャブに汚染されてるんでねえかって強制捜査を主張する者もいるくらいだ。もしもだよ、原田がその証拠でも掴んだとしたらどうだ。センテックスの幹部にしてみれば脅威じゃねえか」
「いやまさか、あんな清潔そうな会社に限って−−」
川島が言いかけるのを署長は激しい言葉で遮った。
「川島、刑事が先入観を持ってどうするんだ。おれは伜がセンテックスに行ってるからって、手加減するつもりはねえぞ。デカ長、少しセンテックスを洗ってみろ。県警か宮城野署の協力がいるなら、おれが話をつけてやる」
千葉と川島はその見幕に思わず立ち上がっていた。
氏家真美と井上はるみは下北沢駅前の小さなレストランで向かい合っていた。急激に膨れ上がった副都心よりも、このあたりのほうが古くからやっていて、安くて、おいしい店があるというのが真美の持論だった。現にこの店も真美が学生時代に見付け、再び東京に住むようになってまだやっているのを見たときは、初恋の人に再会したような感激を覚えたものだ。
一人暮らしの女が二人、食事時に顔を会わせるのだから、どちらかの家に行けばよさそうなものだが、そういうことは一年に数えるほどしかない。それも、はるみが真美のところに呼び付けられるというのが普通で、真美がはるみの家に来たことは一度しかなかった。それはお互いのプライバシーを尊重するというより、慰め合いを潔しとしない真美の性格によるのかもしれない。
二人は、今日のおすすめ『鮭の冷製』と『チキンのチーズグリル』と言う料理をぱくつきながら、ちょっと国籍不明だけどおいしいとか、これで九八〇円なら許しちゃうとか、お店はださいからデートコースには向かないねとか、SIVで料理番組をやったら見るだけで食べたつもりになるからダイエットに最適とか当たり障りのないことを喋り合った。最後に泡立つコーヒーが出されると、さてと言って真美は本題に入った。
「はるみはどう思う、原田君のディスク」
「参っちゃいましたね、刑事の前でぽろり出てくるんだもの。−−でも、出所と言ったら、やっぱりセンテックス仙台でしょう」
「わたしね、一瞬、あれポルノじゃないかと思ったのよ、あの隠し場所聞いたとき。内容見てみればよかった」と、真美は別のことを言った。「警察に持ってかれちゃしょうがないけどね。センテックスは映画やゲームと言ったお子様路線はこっちに任せて、アダルトを自前でやるつもりかしら」
はるみは商売のことから頭が離れない真美をからかうように言った。
「そうかもしれないですね。主演男優、中村部長で」
「あら、わたしは共演してないわよ」と真美は平然と言った。「まあ、そこまでやってないとしても、原田君には後ろ暗い所があったのよね。わたし、まだまだ人を見る目がないんだわ」
「ひとつ気になることがあるんですけど」はるみはコーヒーを一口飲んで言った。「ほら、原田さんの自称恋人の山中さんが、机を荒らしに現れたでしょう。あれ、ディスクを捜しにきたんじゃないのかなって」
「と言うことは、原田の奴はぺらぺらと調査中のことを女に喋り散らしてたってわけ?」
「それだけじゃなくて、ディスクを隠してたって事は、どこかにプレーヤーも隠していると考えられますよね。警察はもう一度自宅を当たって見ると言ってたけど、なにも言って来ないところをみるとたぶん見付けられなかったんでしょう」
「あっ、まさか……」真美は自分がすっと蒼ざめるのを感じた。「原田君、SIVを盗み出して、百合さんに預けてたんじゃないでしょうね。どうしよう、中村さんにばれたら、わたしの信用問題だわ」
「たぶん中村さんは、事情をよくご存じでしょう」
真美は訝しげにはるみを見た。
「どういうことなのかしら。つまり中村さんはわたしよりも原田君を評価したって事なの。それでSIVをモニターさせたってわけかしら」
好きな男がからむと氏家真美にしても女の目は曇るのかしらと、はるみは思った。おそらく中村は自分から進んでSIVを差し出したのではあるまい。もしそうなら、それを真美に黙っているほど度量の小さい男ではない。
「わたしの考えですが」と、はるみは前置きしてから言った。「原田さんは調査していて何かを掴んだんだと思います。そして、それを公表しないこと、氏家さんに報告しないことを条件にSIVとディスクを受け取ったんじゃないでしょうか。……そして多分、警察もその線で動き出すと思います」
「警察が出てくると言うと、原田君が殺された理由がそこにあるってこと。そしたら、中村さんが容疑者になるの。そんな馬鹿なことって、ありなの」
「悪いほうを考えればそうなると思います。わたしも以前容疑者に仕立てられそうになったことがありましたから、警察が一度思い込んだときの力は知っていますけど、それを覆すのは大変です」
「でも、中村さんに限って、やってないわよ」
「それなら氏家さんからご本人に警告しておいて下さい。そのうち警察が行くだろうが、アリバイとか用意しておくようにって」
「はるみ、ずいぶん冷たい言い方をするのね」と真美は不服そうに言った。「ここ、割り勘にするよ」
「おおっとタンマ」はるみは右手を挙げた。「お代官様、わたくしめに二つほど考えが」
「返答次第では許してやろう、小娘」
「まず急ぐのは、冗談抜きで中村さんと談合しておくことです。いったいどういう状況で原田さんにSIVが渡ることになったのか警察に説明がつくようにしておかなくちゃ。もしそれがなにかの犯罪絡みだったとしても、殺人罪を逃れるためだったらできるだけ本当のことを言うようにした方が良いと思います」
「そのために中村さんがまずい立場になっても?」
「黙っていてもそのうちものすごくまずい立場に立たされますよ。中村さんが逃げたら、お次はセンテックス全体が疑惑の対象になってしまいます」
「よくそういうつっぱねた言い方ができるわね。ま、いいでしょ、あいつも男なんだからそのくらいの責任は取ってもらお」
「それからもうひとつは、まだ警察が気付いていない関係人物をわたしたちで調査するんです」
「山中百合さんね。SIVはやはり彼女が持っているのかしら」
「わたしはそうだと思います。そしてディスクが原田さんの机にあることを知っていたとしたら、それを手に入れたいきさつも原田さんから聞いているんじゃないでしょうか。だって、彼女はセンテックスの本社に派遣されてたんでしょう。そしたら社外極秘の機械を原田さんが持っているのを見て、黙っているわけはないと思います」
真美はコーヒーを飲み干して、目を閉じ、眉間を軽く揉んだ。はるみはその様子を見てなにか言いかけたが、目を開いた真美と視線が合って言葉は宙に浮いた。
「こうしよう」と真美は言った。「わたしは今のところ東京を離れられないし、中村さんにはなかなかドライに言えないから、仙台にははるみに行って貰えるかな。あしたの昼休みに抜け出して一緒に食事でもするように説得しておくから、はるみは十一時ころ仙台に着くように出掛けて、駅からでもセンテックスに電話を掛けてみて」
「はい。でも会ってくれるかしら」
「会わなきゃ懲役十五年って脅かしてやるわよ。−−それから、わたしは山中さんと少しお話しをしてみるわ。こうなると、原田さんの机を荒らしまくってくれたのはいい口実になるわね。原田さんが保管していた重要なファイルがなくなったことにして、あんたが取ったんじゃないのって締め上げてやるの」
「氏家さん、怒ってますね」
「やり場のない怒りだわね」
「だからと言って、SIVに逃避しないで下さいね」
はるみは真顔で言った。言ってから、怒るかなと思って真美の顔を見たが、真美は黙ってまた眉間を揉んでいた。