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 中村康夫はソフト・プロジェクト室で、作業服の胸に『根本』とネームプレートを付けた若い技術者から、一枚のディスクを受け取った。SIVにそれをセットして眼鏡タイプのフェイスセットを掛ける。プレイボタンを押すと、途端に目の前に兵士たちの戦闘シーンがはじけ散った。
「編集に二日ほどかかりましたので、ご覧になっているのは先おとといのニュースです」
 根本の声が隣の部屋からのもののように聞こえる。中村は小さく頷いた。その程度では視線は外れない。上目使いに、傍らに立っている根本を見ると、映像はポーズ状態で停止した。彼は上司に褒められるものと決め込んで、嬉しそうににこにこしている。
「内容はまあまあだな」と中村は言った。「だけど、キャスターの顔やら挨拶やら無駄口を単にカットしただけではちょっとまとまらないな。最初に目次を出した方がいいんじゃないか」
「まばたき三連打か、スキップボタンでページめくりができますが」
 中村はすなおにぱちぱちとまばたきをする。たちまち画面が変わってプロ野球のダイジェストを始めた。清原が逆転のスリーランを打った所で、中村は視線を外してポーズする。プレイバックボタンを押し、スタンドに入ったボールが飛び出して来てバットに当たり、野茂の開いた指の間に吸い込まれるまで見てから言った。
「ああ、フォークが落ち切らなかったな」
 根本はにやにやしている。SIVを掛けている連中の独り言には慣れっこになっていた。中村はフェイスセットを外して彼に言った。
「目次設置を試みること以外に、むやみにズームアップをしないこと、立体感の不足、それから編集時間の短縮、これらがまだ解決していないな。夕刊紙を作ることを想定したら二時間で印刷まで持って行かなくちゃならん」
 根本は予想外の厳しい指摘に鼻白んだように言った。
「ですが、既製のテレビニュースを使用して作成する以上限界があります」
「と言ってもエロ記事とギャンブルだけで紙面を埋めるわけにはいかねえだろ。ネットワークから映像の提供だけを受けて、同時進行で編集できるシステムを考えてくれ。テレビ屋と張り合えるようになったらいずれ自前の撮影班も作ってやる。ステレオカメラを持たせてな」
 
 中村はソフト・プロジェクト室を出て、工場長席の隣にしつらえた仮の自席に戻った。本来の開発部は、西公園に程近い仙台支社屋の中にある。現在中村がこの宮城野工場に間借りしているのは、SIVの生産とソフトの開発、次世代製品の開発まで面倒を見てやらなければならないためだった。古川工場の拡充整備が完了すれば、開発部もあげて引っ越しすることになっている。
 中村は工場長が席を外しているのをよいことに、彼の机のうえを覗き込んだ。SIVの生産状況と検査成績が広げっぱなしになっている。数字を見る限りでは生産は軌道に乗ったと言っていい。十一月一日までに五万台のストックという線は十分可能だろう。中村は開発部の主力を当面ソフト開発に注ぐことにしていた。
 映画とゲームについては最初から外注のつもりだった。センテックスの人員から言って、今年度はハード供給で手一杯になるのは目に見えていた。ソフトの代理店としてハイテク・リサーチが独占するに至ったのは氏家真美の手腕もあるだろうが、中村にしてみればそれも筋書きどおり、どうせよそに出すなら真美にやってもらう腹だった。
 しかし、新聞とテレビは自分の手でやる。娯楽ではない本物の情報を制する者は、世界を制すると言っても過言ではない。それは中村の信念でもあった。真美はどう出るだろうか、と中村は思った。あいつのことだから、当然新聞もやるつもりだろう。それはそれで構わない。あちらは女性セブンをやったらいい、朝日毎日はおれが取る。中村は古川工場の計画図を思い浮かべた。その一角にある情報センターと記された広い領域は、文字どおり日本の新しい情報の中心地となるはずだった。そして、いざとなったらそこだけをセンテックスから切り離し、独立させる。それはまだ真美にさえ明かしていない、中村の私案だった。
 そのとき中村の席の電話が鳴った。
「おおや、真美ちゃんお久しぶり」受話器を取った中村は、皆が現場に出払っているのをいいことに頓狂な声を出した。あちらは会社から掛けているとみえて、生真面目な口調を崩さない。
「順調順調、問題ないね。今日からはもうフル稼働、人さえ確保できれば、来週には二交替で製造すっから。−−え、警察? 来てないよ、なんでだい」
 ドアが開いて、工場長がラインの視察から戻って来た。中村はがらりと態度を変えた。
「はい、午後からは古川工場の方に行く予定ですが、そう言うことなら車はやめて新幹線で行きましょう。それなら駅で時間が取れます。十一時頃ですね。ええ、連絡を待ってます」
 中村は電話を切った。
「デートかい」と工場長が言った。
「はは、そんなようなもんだ。雑誌の取材ですよ」
 工場長は、露骨に羨ましそうな表情を見せた。工場を取材見学したいという申し込みは、SIVの発表以来急増している。それをすべて機密保持を理由に断っているだけに、工場長は個人プレーが面白くなかった。
「ま、わたしはあれこれ言える立場じゃないけど、ほどほどにしといたほうが上のほうの覚えもいいと思うよ」
 中村はそれを聞いて、磊落そうに笑って見せた。それが工場長を苛立たせることは知っていたが、この男に好かれる必要性はなかった。
 
 井上はるみは打ち合わせどおり、仙台駅構内にある、『こばやし』の弁当売り場をぶらぶらしていた。中村は、よっと言って片手を挙げながら近寄った。
「ほかに待ち合わせ場所思い付かなかったんですか」と、はるみは言った。「ほら、おばちゃんが冷やかしお断りって顔で見てる」
「いやあ、こういうとこなら暇潰しになるし君の趣味に合うかと思ってね。どう、この政宗弁当は。豪華絢爛」
「コストパフォーマンスから言えばこっちの若とり弁当のほうが上ですね。だけど、今日は駅弁のウィンドショッピングをしに来たんじゃありません」
「氏家さんにちらりと聞いたよ。まあ、ちょっとその辺に入ろう」
 二人はJR東日本直営のコーヒーショップに入り、冷たいものを注文した。飲み物が運ばれて来る前に、中村が釘をさすように言った。
「原田くんの事はご愁傷様でした。しかし、ぼくは手を下していないとしか言いようがない」
「それを伺って安心しました」と、はるみは言った。「でも、それを判断するのは個人ではなく警察です。それをお忘れなく」
 中村は不審そうにはるみの顔を見た。
「君、見かけによらずよっぽど暗い過去があるんじゃない」
 かちゃかちゃと音をたてて飲み物が置かれた。はるみはストローの袋を破り、さっそく一口飲んでから言った。
「お聞きしたいことは山ほどあるんです。午後から古川にお出でだそうですね。お帰りは何時くらいでしょう」
「七時か八時くらいまでかかるかもしれない。新設ラインの据え付けがひとつあってね。図面どおりぴったり行けば早いと思うが」
「わたし、今日は仙台に泊まります。話が終わらなかったら、夜も時間を割いてください」
「まあ、それは話をしてから考えよう。ご質問をどうぞ」
「ひとつは、どうしてSIVが原田さんの手元にあったかということです」
 やっぱりそこから来たかと中村は思った。いずれ警察も同じところを突いてくるだろう。とするとこれは恰好の練習台になる。
「あれは、あんまり原田君がうるさくせがむもので、モニター委嘱と言う形で貸与しました。彼自筆の契約書も開発部のファイルに入ってますよ」
「原田さんがセンテックスを調査しているのは極秘だったはずですが」
「それは君らの都合さ。彼は悪びれずにぼくに面会を求めて、こんどセンテックスを調査することになったのでよろしく、ついては報告書に手加減が欲しいのなら、SIVをモニターさせてくれと、こう言ったものさ」
 はるみは、その返答に呆れて言った。
「それで……お貸ししたわけですか」
「うん、今考えると少し軽率だったかもしれないが、ほら、社員が事件を起こした直後でしょう、妙な噂を流されるよりはと思ってね」
 何か隠しているなと、はるみは思った。しかしそれを追及するほどの根拠はない。いずれにせよ、SIVの本体も原田の手に渡っていることが確認できただけでも一歩前進だった。はるみは少し考えてから言った。
「おとといの午後、栗駒署の刑事さんがハイテク・リサーチに見えられまして、原田さんの机を捜索したらディスクが出て来たんです。原田さんがセンテックスを調査していたこともお話ししましたし、中村さんの所に事情聴取に来るのは時間の問題です」
 中村は分かったというように頷く。はるみは言葉を続けた。
「新聞記事によれば、原田さんの死亡推定時刻は八月十六日、午後三時頃となっていますが、警察にアリバイを聞かれてお答えできますか」
「ぼくは、容疑者なのか」と中村は意外そうに言った。「新聞では強盗殺人と書いてなかったっけ。ぼくはまだそれほど食い詰めてないよ」
「それは最初のころの解釈でしょう。翌日の『河北』では、取られたものはなく計画殺人と断定と書いてありました」
「君、河北新報なんか読んでんの」
 はるみは細倉の廃坑で死体が発見されて以来、その地元紙を郵送購読していた。その点も中村に問いただしたいことのひとつではあったが、当面は先に確認したいことがあった。
「新聞調査は私共ではルーチンワークです。それで、アリバイの点はいかがです。わたしに答えられない事情がおありだとしても、警察にはお答えできますでしょうか」
「そんなにぼくのことを心配してくれて悪いね」
「なにしろ、中村さんの肩にはSIVがかかっておりますから」
「十三日から十六日までは会社も一斉盆休みで、ぼくも故郷に帰っておりましたよ」
「どちらです、おくには」
「なんと、栗原郡鴬沢町。細倉と言った方が有名かな」
 中村は鼻で笑いながら言った。はるみはどうして中村がそれほど泰然としていられるのか理解できなかった。やってないのだから大丈夫と思っているのだろうが、はるみが見ても疑われる要因は十分だった。
「それで……ご両親とか、奥様とか、どなたかとご一緒でしたか」
「十六日ね、どうだったかな。女房のさとにも行ったからね。ちょっと思い出してみないと何とも言えないな」中村は関心を失ったように言った。「ところで、飯にしよう。十三時のやまびこに乗りたい。なかで弁当食う暇もないんだ。十五分で着いちゃうから」
 はるみは中村の態度に歯痒さを覚えたが、従わせるだけの力はなかった。それでも、せめてもの思いで言った。
「申し訳ありませんが、ここでサンドイッチかカレーということにしていただけますか」
「えっ、ぼくはいいけど、君がかわいそうだな」
「いえ、なにしろ時間が切迫しておりますから」
「そうなの、そんなに急いでるの」
 時間に追われてるのはあなたよ、と言い出したいのをはるみは抑えこんだ。なるほど真美が中村のことを脳天気とか極楽トンボとか呼ぶ理由がよく分かる。明日にも捜査の手が及ぼうというのに。
 中村はウェイトレスを呼んでテーブルに立てられたメニューを見せ、花模様で囲まれた特製カツカレーを注文する。はるみはミックスサンドとアメリカンを頼んだ。ウェイトレスがきびきびと伝票に追加を書き入れて立ち去ると、はるみは言い出しかねていた質問を思い切って口にした。
「突然ですが……井上弘志という名前に聞き覚えはありませんか」 中村はしばし瞑目した。それは記憶を探っているようにも、表情の変化を気取られないようにしたようにも見えた。それから中村はまっすぐはるみの目を見据えて言った。
「いや、知らないな」
 はるみは直感でそれが嘘であることを知った。そして、中村の全ての言動に対して、初めて疑惑の念を抱いた。
 

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