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 真美は山中百合の消息を派遣部で尋ねた。記録によれば、彼女は三年前にハイテク・リサーチに人材登録し、昨年四月からはセンテックス本社の経理部に派遣されている。しかし、今年の七月には突然契約を解除し、センテックスからもハイテク・リサーチからも離れていた。本籍地、現住所と電話番号を書き写すと、真美は端末機を離れた。
 千葉県松戸市と言ったらまるで逆方向じゃないの、と真美は内心で口を尖らせた。東京の西側だったら、帰りに回るつもりだったが、向こう側では立ち寄るのも億劫だった。はるみだったらなんの躊躇もなく行くだろうかと、ふと若さを妬ましく感じる。一瞬、電話で済まそうかと思ったが、すぐに考え直した。居留守を使われたり、名乗った途端に切られたりしたら二度とコンタクトは取れなくなるだろう。やはり夜討ち朝駆けで直接行くに如くはない。
 結局、真美が新京成沿いの山中百合のアパートを訪ねたのは午後八時を過ぎたころだった。しかしその部屋に明かりはなく、ベルの音に答える者もなかった。真美はガスの元栓が閉められて封印されているのを見て、隣の部屋のベルを押した。がらりと台所の窓が明けられて、逆光に若い女の顔が浮かんだ。
「なんですか」と、そっけなく女は言った。
「あの、お隣の山中さん、引っ越されたんでしょうか」
「うん、先月末だったかな。−−なにか貸してたの」
「いいえ、会社の者なんですが、突然退社されたもので事情がおありかと心配して参ったのですが」
「そうなの」と女は疑いもせずに言った。「結婚するんじゃないのかな。今年になって男の人、時々泊まってたし、引っ越すとき台所の物とかあたしにくれてったし」
 男というのは原田なのだろうかと真美は思った。しかし同僚と自己紹介した以上、写真を見せてこの男かと訊くのも憚れる。
「どちらに引っ越されたか、お聞きじゃございませんか」
「世田谷とか言ってた。彼の実家の近くなんでしょ。聞いたことあるもん」
 世田谷なら確かに原田の実家がある。しかし、原田が殺されたあとでわざわざそっちに引っ越す意図は見当もつかない。
 真美は女に丁寧に礼を言って引き下がった。場合によってはまたここに来るかもしれない。悪印象を残すべきではなかった。
 
 井上はるみはじりじりしながら電話を待っていた。中村は、はるみが井上弘志の名前を出してから急に寡黙になり、食事が済むとちょっと買い物もあるからと言ってそそくさと立ち上がった。伝票をはるみが掴んだのも気付かず、外に出てから、あれ勘定はと言ったのは毎度のことだったが。
 −−ホテルで電話を待っています、と言ってはるみは中村にメモを渡した。古川の仕事が済みましたら連絡ください。まだお聞きしたいこともございますので。
 −−ん、分かった、五時から八時の間に、それじゃ、と言って中村は振り返りもせずS−PALの方に歩み去った。
 はるみはその日の午後、センテックスの宮城野工場を訪れた。工場長には予め真美からアポを取ってあった。工場長は誰かに進捗状況を聞いて貰いたくてたまらなかったらしく、製造ラインを案内し、製造状況から出荷体制に至るまで微に入り細にわたって説明してくれた。おかげで少なくともSIVの発売は計画通り進むだろうと、はるみも確信できた。つまりそれは、万一の場合、中村を切り捨ててもセンテックスあるいはハイテク・リサーチに影響は及ばないということだった。個人的な感情は別として、その点は確認して置かねばならなかった。
 そして、はるみはホテルにチェックインして電話を待っている。ビジネスホテルだからルームサービスなどはない。はるみは一旦駅に寄って、先般目をつけていた、『三陸大漁ちらし』と『若とり弁当』を買い込んでいた。この点は予習をさせてくれた中村に感謝していた。
 それでも食料も底をつき、夜も更けるに従って満ち足りた気分も苛立ちに変わった。中村さん、すっぽかすつもりなのかしら、とはるみは思った。だとしたら、わたしは痛いところを突いたわけだ。それとも工場での仕事がトラブっているのか。
 はるみはスクラップを貼り付けたノートと宮城県の地図を広げ、明日の行動計画を立てた。とにかく一度細倉に行ってみるつもりだった。そして、できれば中村の実家も確認して置きたい。原田の殺害現場ははっきりしないが、地元の人に訊けば大体の見当はつくだろう。自分なりにタイムテーブルを作ってみよう。
 はるみが細々した作業を続けていると、テーブルの上の電話が鳴った。受話器を取るとそれは期待していた中村からのものではなかった。
「氏家です」と真美は丁寧に名乗った。誰か他の者がいるとでも思っているのだろうか。
「井上です」はるみもよそ行きの声で答える。しばらくどちらも話を譲って沈黙が流れた。
「ひとり?」と真美が訊いた。
「ええ、中村さんは午後から古川工場に行かれて、まだ戻ってないようです」
「聞いたわ、彼から」
 はるみは耳を疑った。
「中村さんから連絡があったんですか」
「中村さんね、はるみにいろいろ聞かれてショックだから、夜の部はキャンセルしたいって」
 はるみは怒りを通り越して唖然とした。いい大人二人が何を身勝手なことを言ってるのだろう。わたしがこっちまで足を運んで来たのは中村さんに警告するためであり、それも氏家さんに頼まれたからに外ならない。
「はるみ、怒ったの」と真美は訊いた。「だけど、彼、かなりナーバスになってるみたいなの。すこし時間をあげてくれる。センテックス自体の調査はそのまま続けて貰っていいから。こっちの仕事は何とかカバーしとく」
「すこし、まずい材料がありました」はるみは和らげることなく言った。「中村さんは細倉のご出身だそうですね」
「うん、宮城の北の方だとは聞いたことがある」
「それで、原田さんの事件当日はご実家に帰っておられたそうです。たぶんご家族の方がアリバイを証明してくださると思って安心していらっしゃるのでしょうが、警察が信用してくれないことも考えて置きませんと」
「うん、そうなるかしら」と真美は受け身に立たされた。
「あしたは、できましたら現場近くを少し見てみたいと思います」
「……そうね、その辺はあなたの判断にお任せするわ。気を付けてね」
「あの、それから山中百合さんのほうはどうでした」
「松戸まで行って、今帰って来たところなの。百合さん、引っ越したあとだった」
「逃げた−−のかしら」
「慌しいところはそんな感じだけど、引っ越し先は世田谷らしいの。変でしょう。まだ正確な場所までは確認していないんだけど」
「分かりました。わたしも少し考えてみますが、できるだけ早く山中さんに話を聞いた方がいいと思います……」中村さんは嘘つきですから、と言う言葉は飲み込んだ。
 真美は、必要とあらば興信所を使ってでも捜し出すと請け合った。それからお互いの幸運を祈り合って電話は切れた。
 はるみはしばらく白い壁を眺めていた。氏家真美と中村の関係は何なのだろうと思う。恋人、愛人、友人、ギブアンドテイク、どう言っても当たらないような気がする。それが大人の関係だというなら、はるみは大人にならなくて結構という気もするし、人間関係が煩わしくてたまらないときは、あんな生き方をしてみたい気分にもなる。
 中村がもし逮捕されたら、真美はどう出るだろうか。そしてセンテックスは、社運を賭けた新製品発売を前にしてあっさりと中村を切り捨てるだろうか。はるみは答えの出ない疑問を胸にして、誰かにぶちまけたい衝動に駆られた。思い付く相手と言ったら、去年一緒に仕事をしたハニービー・ソフトの田所恭子ぐらいだが、ハニービーは現在SIV用ゲームソフトの開発でてんてこ舞いの筈だった。はるみの立場では、個人的な事を言い出せるわけがない。
 こうして黙ってしまいこむと、わたしも田所さんくらいに膨れあがるかもねと、はるみは思った。面と向かってそう言っても怒られないような暖かさが、田所恭子にはあった。それは氏家真美に最も欠けているものであり、家族のいない井上はるみが求めているものだった。
 
 中村が、工場建設に当たっているエンジニアリング会社の連中と国分町で痛飲し、タクシーで自宅にたどり着いたのはほぼ午前〇時だった。
「やあやあ、まだ午前様じゃねえだろう」
 中村は大威張りで、出迎えた妻の恵子に言った。恵子は運転手にすみませんと何度も言いながら料金を支払った。
 中村は多少よろけながらも、真っすぐリビングに入ってソファにどっかと腰を下ろし、「お茶」と恵子に言った。恵子が心得て濃いめの少し冷ましたお茶を出すと、中村は一気に飲み干した。
「もう一杯淹れましょうか」と恵子は言った。中村は上着を脱ぎながら生返事をする。
 恵子が急須を持ってキッチンから戻って来ると、中村は、まあそこに座れと言った。
「すこし話がある」と中村は恵子が黙ってお茶を注ぐのを見ながら続けた。「盆休みの時のことだけどな、おれはずっとお前らと一緒にいたことにしといてくれ」
 恵子は不審げに夫の顔を見た。
「細倉では一緒だったでしょう」
「十六日のことだ」中村は血の巡りの悪い女房に苛立ったように言った。「おれは仕事で会社に出ただろう。おまえと子供達は八幡町に残ってたけど」
 仙台市内の八幡町には恵子の実家があった。結婚以来、盆休みや正月休みの前半は夫の実家、後半は妻の実家を訪れる習わしだった。
「−−なにか、よくないことでもあったの」と言いながら、たぶん女だろうと恵子は覚悟した。仕事一途で来ただけに、篭絡されるのは簡単だったに違いない。だが、夫の答えは予想外のものだった。
「警察が聞きに来るかもしれない」
「警察?」と恵子は思わず聞き返した。
「実は十六日に会社に泥棒が入ったらしくてな、それはもちろんおれが帰った後なんだが、休日にもかかわらずおれが出勤していたことがばれてみろ、一番の容疑者にされちまうだろ」
「どうして、半月も前のことを今頃になって調べにくるのかしら」
「盗品がバッタ屋から出て来たからさ」
 恵子は夫の説明に納得したような顔をした。どんなでたらめでももっともらしく言えば、疑うことはしない。氏家真美との事など、毛ほども気付いていない。中村はそう思ってすこし妻が不憫になった。
「なあ」と中村は言った。「おれは家庭人としては落第かな」
「そうね、少なくともいい父親ではないでしょうね」恵子はお茶を片付けながら言った。「あなた、お風呂は」
「入ったら脳溢血になりそうだな。シャワーだけにしとく。なあったら、今作ってる新製品がどーんと売れて、ボーナスががーんと出たら、みんなでハワイにでも行こうか」
「いいですわね。着替え、ここに出しときますよ」
「お前、おれを信用してねえな」
「そうですね、でも、そういう夢みたいなことばかり言ってるとこは好きなの」
 中村は恵子の思いがけない発言にどぎまぎした。
 

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