18
井上はるみが栗駒署の川島刑事に電話を掛けると、こらあちょうどいいところにと異常に喜ばれた。
「なにかあったんですか」と、はるみは訊いた。
「いえね、お宅からSIVの機械が届いたんだけど、おれも千葉さんも使い方忘れちゃってね、それにハイテク・リサーチで見たのとすこし形が違うし、むちゃして壊したらあれだし、じっと眺めてたとこだった」
はるみは笑ってしまった。それから相手の雰囲気を感じ取ってすぐに言った。
「ごめんなさい、笑うつもりはなかったんだけど。簡単なんですよ、ディスクを入れてプレイボタンを押すだけなんですから」
「それより、もしよろしかったらこちらに来て指導していただけませんか。なにかお話しもあるんでしょう」
川島にとっては、そちらのほうが気掛かりのようだとはるみは悟った。手帳のコピーを貰ってから何日も連絡していない。もしも捜査が行き詰まっていたとしたら、どんな情報でも欲しいところだろう。
「分かりました。今日は場合によっては伺うつもりでしたし、これから参ります」
「えっ、来てくれる、そりゃよかった」それから川島が後ろを向いて誰かに、はるみちゃんが来るぜと怒鳴る声が聞こえた。「−−それじゃね、ええと早いほうがいいな、新幹線のくりこま高原駅で待ってます。たしかお宿は仙台駅の近くだったよね。今からなら十一時のに間に合うんじゃないかな。よし、お昼も御馳走しよう」
「気を使って戴いてるのかしら」
「いや、個人的な趣味っすよ。そんじゃ頼んだよ」
はるみは受話器を置くと、手早く荷物をまとめた。とりあえず、今日で仙台を引き払うつもりで準備はしていたから、それには一〇分もかからなかった。
ホテルのチェックアウトを済ませ、ダブルデッキを駅まで歩く。その足取りは決して軽くはなかった。中村と根本の話、平田のこと、それだけ川島に伝えてあとは警察に任せればよい。SIVの発売に支障がないとすれば、はるみは東京に戻り、ブーミングの最終段階に参加しなければならない。まさか氏家さんは寝込んだりしないでしょうけどと、はるみは思った。それでも、わたしは初めてあのひとの力になれるかもしれない。
三〇分も乗らないうちに新幹線は、およそ高原らしからぬ田圃の真ん中の『くりこま高原駅』に到着した。改札口には川島だけでなく千葉刑事まで姿を見せていた。
「わあ、大歓迎なんだ」
「栗駒署の総力を結集しました」と川島は言った。千葉は照れ臭そうにちょっと手を挙げてみせただけだった。
「大荷物だね。もう帰っちゃうの」と川島は、はるみのボストンバッグを無理やり取りながら言った。「ほら、折角だから鳴子とか鬼首とか行ったら」
千葉は二人を放って、すたすたと歩いて行く。はるみはその後を追いながら言った。
「わたし、これ以上成り行きを見ていたくないような気がするの」
「探偵ごっこより本来の仕事に戻りたいってわけかい」
はるみは素直に頷く。川島はバッグを持つ手を持ち変えた。千葉の後ろ姿が階段を降りて行く。
駅前の駐車場に置いてあったのは、ジープではなく白いソアラだった。千葉は運転席に座ると、トランクのロックを外した。
「いい車だろ」と川島はバッグをトランクに置いて言った。「刑事の給料で買えるはずがないよな。まあ、遠慮なく乗って。靴を脱げとは言わないから」
「千葉さんのお車ですの」乗り込んでみて、はるみはまじめに驚いた。シートの匂いも残るような新車だった。
「田舎じゃ車は必需品だからな」と、千葉はバックさせながら言った。「ちょっとぜいたくさせて貰ってます。−−川島、時間見とけよ」
「ただいま十一時四〇分、レッツゴー」
助手席の川島が腕時計をストップウオッチに切り替えて言った。車は駐車場を出て西に向かった。
「ついでと言うわけじゃないけど、当日のタイムテーブル作りをあれこれやってるんだよね。今日は、同乗者をこの駅で拾った場合どうなるか。これから、原田氏とその同乗者が目撃された地点までの所要時間を計ります」
「わたし、お邪魔じゃないのかしら」
「いいんだよ、おれらの都合でやってることだから。……それで、例の手帳で分かったことなどあったら、道々教えて貰おうかな」
はるみは溜息をひとつついて話し始めた。川島は時折メモを取りながら口を出さずに聞いている。話題が中村から離れ、手帳のイニシャルと名刺を照合して、根本と会ったことに移ると、川島の肩が緊張した。この事件で、根本という名前に出くわすのは初めてなのだろう。メモを取る手が急に忙しくなった。はるみは意識してゆっくり喋った。
根本から聞き出したことをほぼ話し終えたころ、車は郊外レストラン風のドライブインに寄せられた。ドアを開けて外に降り立つと、肌寒いほどの風が舞った。
「ようやく高原の雰囲気に近づいて来たみたい」
「だめだよ、お世辞言っても。東京人の言う高原は、白樺林とペンションが必要条件だってよ」
「それは都会人の偏見に対する偏見ね」
「目撃者つうのはここのウェイトレスだ」と千葉が言った。「川島刑事、時間を記録しといてくれ」
「二十五分ですね。部長は安全運転だから、ほかの者ならもっと早いでしょう」
「しかし盆の十六日は、下りでも多少は混んでたはずだ。結局同じくらいになるんじゃないか。ま、入ろうか、川島先生が奢ってくれるそうだし」
「ちょっと待ってくださいよ」川島が後を追って暖簾をくぐりながら言った。「部長の分までもとは言ってませんよ」
「いらっしゃいませ」デニーズ風の制服を着たウェイトレスが出迎えた。「何名様でしょう」
「三人」と千葉が指を立てて言った。「宮田さんはいるかな」
はい、と言いかけてウェイトレスは相手の正体に気付いた。「あら、警察の……」
「今日は客だから、席に案内してくれよ」
ウェイトレスはどうぞこちらへと言って、少し奥まった席に三人を導いた。そして、メニューを置くと、そそくさと立ち去った。千葉と川島が並んで座り、はるみは二人の刑事と向かい合う形となった。
まもなく別のウェイトレスが水を持って現れた。まだ二十歳になるやならずだろう。健康的にふくらんだ胸に、『宮田』とネームプレートをつけている。
「いらっしゃいませ」と職業微笑を浮かべて彼女は言った。
「やあ、ちょっと座ってくれる」千葉ははるみの隣の席を手で示した。
宮田は水のコップを配ると、はるみと軽く会釈を交わしてそこに腰を下ろした。
「こちら、原田さんの同僚の井上さん、こちら、原田さんを目撃された宮田さん」千葉は手短に紹介し、二人の女性は再び会釈を交わす。
「念のため聞くけど、初対面ですね」
「そうだと思います」と宮田は言った。
はるみはその言い方に引っ掛かった。そして、これが面通しであることに気が付いた。川島は、はるみと目を合わせないようにしている。千葉は、はるみの視線を無視して、次にパスポートサイズの写真を一枚取り出した。
「この男はどうです」
はるみも覗き込み、危うく声を出すところだった。それは中村の顔写真だった。
「この方、前にお話しした方なんですか」と宮田は無邪気に訊いた。「そのひとかどうかを確認したいんだよ。決め付けないで見てくれるかな」
「髪の毛はふさふさですね」と宮田は言った。「ほら、わたしたち上からお客様を見下ろすでしょ、だから、顔よりも頭で区別するんですよね。特に、メニューとか下ばかり向いてらっしゃったら、顔なんか見えませんし」
「ちょっと写真が若すぎたかな。五、六年前にアメリカ出張でパスポート申請したとき撮ったらしいから」
「その方にここに座って頂いて、上からみたら思い出すかも知れませんが、ちょっとこの写真ではなんとも言えません」
はるみは宮田の臆しない物言いに好感を持った。無理にヒロインになろうとしてはいない。
「いいかしら」と、はるみは言った。宮田がこちらを向く。「原田さんと一緒だった人は、細倉の出身だとはっきり言ったのでしょうか」
「いえ、ここの出身だと言っただけです」
「比較的色白で、少しおなかが出かかって、仙台訛りがやや残る言葉遣いで……注文はステーキとかじゃなくてお刺身定食か何かで、勘定は無意識のうちに連れに払わせる。どうかしら」
宮田は思わず笑った。「そう、そんな感じだったと思うわ。でももうひと月くらいたつでしょう、だんだん忘れそうになるの」
「困ったな」と千葉は言った。「まあ、今日はもういいよ、あとで調書にハンコ貰いに自宅のほうに行くけど」
「ようし。じゃあ、飯にしましょう。おれはサービスランチ」
川島は一同が右へ倣えしてくれることを期待して一番安そうなものを注文したが、千葉もはるみも丹念にメニューを検討していた。
再び走り始めた車内は、おなかが満ちたせいか寛いだ雰囲気となった。
「川島さん、御馳走様でした」と、はるみは言った。「だけど、女性が現場に現れた形跡でもあったんですか」
「なんのことかな」と言って川島は千葉の顔を見た。
「その惚け方じゃ駄目だよ、川島君。こちらのお嬢さんのほうがなんぼか役者が上だな」
「おれ、三年ほど警視庁に留学して来ます」
「ついでに東京で嫁も探せよ。農家の長男だってことは黙っててやるから」
「実はね」と川島が半ば後ろを向いて言った。「放置されていた車のシートの隙間から女性の物と見られる髪の毛が一本見つかっているんだ。もちろんレンタカーだから誰の物とも分からないと思うだろ。その点警察は粘り強いからねえ、今年になってあの車を借りた人全部に聞き込みをして、女性が乗った場合はその方に髪の毛のサンプルを提供して頂いて、比較した結果……」
「該当者なしだったのね」はるみは後を引き取った。「ふーん。するとわたしが乗った可能性もあるってわけ」
「いや、あの日、車に乗ったとまでは言わないけどさ、ほら髪の毛一本くらい知らないうちにズボンなんかにくっついてることだってあるさ。それが落っこちたのかもしれない」
「わたし、原田さんとくっついたりなんかしません」
そう言ってから、はるみは該当する可能性のある女性を思い出した。敢えてその名を告げるべきかどうかやや迷ったが、早く此の件から手を切りたいという思いが優った。
「原田さんに恋人がいたのはご存じでしたか」
二人の刑事は顔を見合わせた。するとやはりその後、原田宅を訪問してはいないらしい。行っていれば、しげしげと原田の家にたち現れている彼女の噂くらいは聞いたろうに。
氏家真美は、彼女の処置に困っていると言っていた。
−−なんかあったらハイテク・リサーチの責任になりそうでしょ。たぶんディスク目当てだと思うんだけど、お金ってことはないと思うのよね。
「山中百合さんといって、ハイテク・リサーチに人材登録をしてセンテックスに派遣されていた方です」
千葉が川島を肘で小突いた。
「部長、前見て、前!」と川島が叫んだ。
追い越しを掛けて飛び出して来た対向車を難無く避けて、千葉は言った。
「なにを蒼ざめてんだ。それより早くメモしとけ」
栗駒署の刑事課に着くと、おばさんが、あらあ、とうれしそうな声を上げた。
「あんた、ここに引っ越したらば」
「たびたびお邪魔します」はるみはバッグから菓子折りを出して差し出した。「これ、仙台の物で申し訳ありませんが」
「あら、そんな気つかわなくっていいのに。まあ、みんなでお茶にしましょ」
おばさんは菓子折りを持って出て行った。
「そう言うことならちょっと休憩にしましょう」と川島が言って煙草に火を点けた。「井上さんもそこに座って」
千葉はごそごそと机の上にあった箱を開けてSIVを取り出し、はるみの所に持って来て目の前に置いた。
「一服してからでいいけど、教えてくれるかな。説明書が入ってなかったから」と千葉は言い訳がましく言った。
はるみはそれを手にとってみる。市販タイプの本体部は一〇〇ミリ角、厚さ二〇ミリのエンプラ製ブラックボディで、極めて軽量だった。フェイスセット部は通常の偏光サングラスと言っても通るだろう。ただ、耳に掛ける蔓の部分には左右ともイヤフォンが付いており、左後方からはワイヤが本体まで伸びている。これをワイヤレスに改良するにはあと一年はかかるとのことだった。改めて眺めてみても、どうして真美や山中百合があれほど夢中になるのか分からない。映っていないテレビを見て面白がる者もいないだろうが、刑事たちにも映像を見せれば、どちらが多数派なのか結論が出るだろう。
「千葉さんの好きな白松の羊羹だよ」おばさんがお盆にお茶と切り分けた羊羹を載せて入って来た。
「おっ、よしよし」と千葉が犬でも褒めるように言った。
「川島さん、この辺に栗駒クリニックという病院がありますか」はるみがお茶を手にとって言った。
「ああ、大きいとこだよ。なんで知ってんの」
「さっきの話の続きなんですけど、根本さんが言うには、一番町で暴れた例の平田さんが行った病院がそこらしいんです。それで、電話で問い合わせたんですが、お答えできないって門前払いなの。ですから、あとは警察の顔かお力か、そんなものをお借りするしかないと思って」
「なんで、わざわざこんな田舎の病院にかかったんだろう」
「そこ、中村部長のご親戚らしいんです」
「えっ、ほんとかな」と千葉が口を挟んだ。「あそこの院長知ってるけど、学校は東北大だけど生まれは青森だってよ」
「……そうですか、でもそう聞きました」
「嘘か間違いか、あるいは母方とかのつながりか。院長じゃなくて、理事長とかの知り合いか、まあ調べる価値はあるな。原田氏もおそらくその辺を調べにここまで来たのかもしれない」
「そうですよ」と川島が羊羹をお茶で飲み下しながら言った。「だけど井上さん、警察の力を借りるも何も、あとはおれらに全部任せて帰るんじゃなかったの」
「原田さんに関わることは無条件でお任せしますが、栗駒クリニックには兄も関係するような気がするのよ」
はるみはそう言って、千葉の方を見た。千葉は茫漠とした田舎の小父さん面を作っている。なかなかの役者よ、あなたもと、はるみは思った。例の遺体に関してはまだ自分の過ちを認めようとしない。川島がとりなすように言った。
「あの廃坑の遺体のときはおれも立ち会ったんだけど、結局死因もはっきりしなくてね。だけど、お兄さんだという決め手もないんだろ」
「だけど、平田さんも兄もSIV開発の犠牲者だという気がする。……実は兄もセンテックスに関わっていたんです」
そしてはるみは、筑波から突然姿を消した兄の名前が、センテックスの社内論文に記されていたことを語った。
「わたし、最悪のことばかり考えているのかもしれないけれど、兄も何らかの異常をきたして、中村部長に栗駒クリニックに送り込まれ、脱走して廃坑に入り込んで迷って死んだんじゃないかなんて−−ちょっと馬鹿みたいね」
「SIVってそんなに危険なの」と川島が言った。「長時間見ても大丈夫かな」
「それはご自分で実際に確認して頂いた方がいいわね。だけど、もうわたしたち何度も見てるけど何ともないわよ。実際売り出そうというんだから、人体に対する影響なんかはもう解決ずみのはずでしょうけど。−−あの、このあいだのディスク、ありますか」
千葉は、おうと言って立ち上がり、ロッカーを開けてポリ袋に包まれたディスクを取り出した。
「指紋の写真は撮ったからもう触ってもいいけどな、故人以外に二、三人の指紋があったみたいだ」
「原田さんに手渡した人が一人はいますからね。……川島さん、初めに見てみる? そう、そのメガネかけて。あらお似合いだこと」
「そうだろ、おれ都会的な顔立ちだから」
喜々としている川島を放って千葉が言った。「ディスクにはラベルが付いてなかったから、袋に適当に番号を付けたんだ。内容をメモして行くから、一番から掛けてけろ」
「じゃあ、行きますよ」
はるみは本体のセットボタンを押して一枚目のディスクを挿入した。ディスクは機械に吸い込まれ、かすかにかちゃりと音がした。次にはるみはプレイを押した。ハイテク・リサーチで初めて見せて貰ったときは思わず驚愕の声をあげたが、さすがに二度目となるとそんなはしたない真似はしない。川島は至極穏やかな声で言った。
「ははあ、こりゃ映画だな。ちょっと早送りしてくれる……そう、その辺。ああ、やっぱりね、ジョーズだな。見覚えあるもの」
「日本語吹き替えですか」
「そうだな、日本語だ」
「すると、テレビで放映されたものを録画して、実験的に画像処理した物と考えられます」
「著作権法上はいいのかな」と千葉が言った。あまりこの方面の犯罪に出くわしたことがないのだろう。
「これをそのまま発売しなければ問題ないと思いますが」
「ふんふん、一番目は映画、『ジョーズ』、テレビ録画、と。時間は分かるかな」
「最後まで早送りすればここのLCDに表示されます」
「あっ、見てたのに」と川島が不満そうな声を上げた。「急に飛ばすんだもんな」
「おいおい、全部見てたらほんとに日が暮れるぞ。いずれじっくり見せてやるから、今日は操作方法のマスターと、内容確認だけ急ごうや」
「五〇分ですね」はるみは言った。「続きがどこかにもう一枚あるはずです。このサイズで映画だったら二、三枚かかりますから」
「よし、次、行ってみよう」
はるみは千葉の指示にしたがって『2』と記されたディスクを取った。『1』をエジェクトして代わりにそれを挿入する。そしてプレイボタンを押したが、川島は何も言わない。
「川島、見とれてたらわかんねぞ」と千葉が催促するように言った。「いや、そうじゃないんだけど、これはちょっと違いますね。映画でもないし、実写みたいだな。そんなこともできるの」
「画質は落ちますけど、可能です。ビデオムービーから落とせばいいんですから。でも、いま専用撮影機を開発中ですよ」
「それはいいんだけど、これはだれかが三脚立てて自分のこと写してるな。何かのレポーターみたいだ。この男、見たことあるな……あっ」
川島は裏返ったような声を出した。
「こいつ、あの平田だ……一番町の通り魔」