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 佐藤優は自分の趣味が探検だと思っている。小学六年生にしては変わった趣味で、それに付き合おうという物好きは、宮城県でも山間部といえるこのあたりの子供のなかには見当たらず、優はほとんど一人で行動していた。
 優の最近の興味の対象は、自宅から5キロほど県道を登り、さらに山道を2キロ程入った所にある廃鉱山である。この鉱山の有りかは年上のいとこに聞いた。彼はまたほかの中学生に聞いたと言っていた。とすると結局は、地元の悪童どもに代々言い伝えられた禁じられた遊び場なのだろう。大人の背たけほどの狭い入り口は木の板が打ち付けられていたが、下のほうは湧水で腐って落ちており、四つん這いになれば子供なら楽に入ることができた。いつ頃稼行していたものかを示すものはなかったが、坑木もろくにないところを見るとかなり古い時代の狸掘りの跡らしい。
 優は自宅から乗って来た自転車を坑口に置くと、ヘッドランプを頭に着けてデイパックを背負った。坑内に入ると微かに硫黄の匂いがする。中を十メートルほど進むと道は二つに分かれる。この間は右の道を進んだが五十メートルほどで次第に狭くなり、ついには行き止まりとなった。優は今度は左を行こうと決めていた。
 優は分岐点に石を積み、左に進む。こちらの坑道は急に狭くなり、子供でも中腰で歩かなければならない。壁面の黄鉄鉱がヘッドランプの光を受けてきらきらと輝く。それを横目で見ながら一歩踏み出すと右足は不意に宙を踏んだ。
 優はあわててその場にしゃがみ込んだ。坑道にはぽっかりと落とし穴が口を開いていた。
「縦坑だ」と優は呟いた。
 坑道はその縦坑に向けて崩落したらしく、穴は大きく広がり、向こう側へ渡ることはできそうにない。しかも縦坑はすぐそこまで水没しており、その中に降りることも不可能だった。優は自分の探検が終わったことを確認するようにヘッドランプを頭から外し、あちこち照らしてみた。そして五、六メートル離れた左側の水面に奇妙なものを見付けた。虚空に向けて開かれた二つの黒い眼窩。
 クロマニヨンだ、と優は思った。
 先日読んだ科学雑誌の特集が原始人類で、水を湛えた縦坑に浮かぶ白々とした頭蓋骨はそれに載っていたイラストにそっくりだった。優は自分の大発見に胸を踊らせた。そしてヘッドランプを掲げながら穴の縁を伝ってできるだけその骨に近づいた。そいつはまるで入浴でもしているように水面から上半身を出しており、胸から下は水の中に続いている。身体の前に伸ばした腕は何かを探そうとしているみたいだ。その身体がTシャツをまとっているのを見て、優は初めて目の前の死体が原始人ではないことを悟った。
 優はゆっくりと後退り、それから一目散に駆け出した。時々頭が天井をかすめたが立ち止まりもしなかった。坑口の板の割れ目をくぐり抜け、春の日差しに眩んだ眼を覆ったとき、優は漸く自分が黄泉の国から立ち返ったことを知った。
 優が蒼ざめた顔で帰宅すると、母親は風邪と決め付けてさっさと寝床へと追いやった。優も自分からは何も話そうとしなかった。口に出した途端にあの骸骨が立ち上がって来そうな気がしていた。
 二週後の日曜日、優に廃坑の有りかを教えてくれたいとこの光二が、探検ごっこの誘いに来た。優は、激しくかぶりを振った。
「あそこには骸骨がいる」
「嘘こけ」と中学生のいとこは偉そうに言った。「こわいんだろ、弱虫」
 優はやむなく押し入れから探検装備を取り出し、一緒に自転車で廃坑に向かった。だが、坑口に着くと足がすくみ、光二がいくら引っ張っても動こうともしなかった。ここに至って彼も少しただ事ではないと感じた。
「どのへんだ」と光二は訊いた。
「真っすぐ行ったとこの二股を左に行くと池がある。その中」
 光二は優のヘッドランプを借り、持参した懐中電灯もつけて坑内に入った。言われた通り分岐点を左に折れると水たまりにぶつかった。何年か前に来たときはこれより水位はかなり低く、縁を回って向こう側に行けたような記憶があった。彼は立ち止まって、懐中電灯をあちこち巡らしてみた。優の言うとおり、向こう岸に白いものがあった。
 
 駐在からの連絡を受け、栗駒署の一行がジープで現地に着いたのはその日の午後三時を回ったころだった。駐在は四十がらみの風采の上がらぬ男だったが、中学生の通報を真実と判断する位の分別は備えていた。早速バイクの後ろに彼を乗せて現場に案内させ、自ら死体を確認し、また駐在所にとって返して本署に電話を入れたのだ。その間、優は忘れ去られたようにずっと坑口に座り込んでいた。
 ジープから刑事たちが降りたとき、優はまだ放心したようにそこにいた。
「あの子供は?」最年長の千葉部長刑事が駐在に尋ねた。
「第一発見者です。この廃坑で遊んでいて、オロクに当たったらしいっす。−−通報者はそのいとこの中学生ですけど」
 駐在はそう言って優のそばでにやにやしながら立っている光二を目で指した。
「君らな、あとでおんちゃんに話聞かせてくれよな」千葉は子供達に声を掛けた。優はぷいと横を向いた。
 ジープを運転して来た制服警官がバールを取り出して、坑口にうちつけられている板を剥がし始めた。かがめば入れるくらいまで開くと千葉は彼に坑口で立哨するように命じ、ほかの警官たちは駐在の先導で一列になって坑内に入った。
「地元の消防団にも声を掛けましたが、最近の百姓は日曜日は休みと心得て町に出掛けてるとかで集まりません。ま、そのうち来るでしょう」駐在は腰をかがめて歩きながら言った。声が狭い坑内に反響する。
「落盤の心配とかないのすか」と若い鑑識係が天井を見上げて言った。
「そりゃ、あるでしょう」と駐在は事もなげに言った。「細倉近辺は中世からの狸掘りの跡がいっぱいあってね、昔は小遣い稼ぎに入った奴が生き埋めになることもあったつう話だ。最近は子供くらいだけどな、入り込むのも」
 鑑識係は心細そうに帽子をかぶり直した。
「じゃ、今度の仏もいつの時代のものやら分かんねえな」長身の千葉刑事はほとんど手が付くまで上体を倒している。「ま、子供が入ったりしねえように入り口はしっかり閉鎖したほうがいいね」
 駐在は黙って進み、左股から水たまりに着くと、その先ですと言ってライトを頭蓋骨に当てた。
「なるほど」千葉は呟いて身を乗り出す。「肩まで温泉に浸かってますか、と。ははあ、Tシャツを着てやがる。こんじゃ江戸時代のもんじゃねえな」
「手は届きますか」と部下の川島刑事が訊いた。
「ちょっと無理だ。消防団にアルミ梯子でも持って来て貰おう。とにかく何人か向こう側に渡んねえと引き上げられねえな」
 千葉は駐在に、バイクで村に戻って消防団を督促するよう依頼した。
「梯子とロープも頼む」と千葉は付け加えた。
「写真撮ります」と鑑識係がストロボの付いたカメラを構えて言った。千葉たちは目を背けた。
 
 撮影が終わると千葉たちは坑外に出た。全員が一斉に煙草を取り出し火を点ける。
「消防団、遅いっすね」と川島刑事が言った。千葉は、うんと生返事をしながら優たちに歩み寄る。しゃがんでいた光二が目を上げた。「君ら、前からここを知ってたのかな」と千葉は言った。
「おんちゃん、刑事か」と優が口を出した。「警察手帳は持ってっか」
 千葉は素直に手帳を出して見せた。優は手を伸ばしたが、千葉は素早く内ポケットに戻した。
「君らは未成年だし、うちで親父さん立ち会いで事情を訊いてもいい。どうする」
「おやじならもう来る」と光二が言った。「消防団長だかんな」
「ほう、そうか。ならここで待ってたほうがいいな。ぼちぼち話でも聞かせてくれや」
 千葉は煙草をくわえたままそこにしゃがみこんだ。優が光二に促されて名乗ったあと、死体発見のいきさつをしゃべり出す。川島刑事もいつの間にか近寄って来て、手帳にメモを取り始めた。
 二人の少年が話し終わったころ、遠くにエンジン音が聞こえた。千葉は立ち上がりながら言った。
「光二君な、何年か前にもここに入ったと言ったね。いつだかはっきり分かるか」
「六年生の時だからおととしだっちゃ」
「そのときは骸骨に気付かなかったのかな」
「うん、あの縦坑もあれほど水が溜まってなかったし、だいたいもっと狭かったと思ったけんど。縁を伝って向こうに行けたはずなんだ」
「地震で広がったんじゃねえかな」と川島刑事が呟いた。
 千葉が、近頃そんなに大きな地震があったっけかと訊こうとしたとき、消防団員がハイエースに乗って到着した。刑事たちが一歩退がって待っていると、運転席からはっぴを着た男が降りて来てつかつかと光二に歩み寄り、物も言わずに頭に拳骨を食らわした。
「なにしゃあがんだ、父ちゃん」と光二は不服そうにいった。
「馬鹿、こんなとこで遊んでっから余計なことに巻き込まれたんだ。ちゃんと勉強しねえと仙台の高校なんか行けねえぞ」
「父ちゃんだってパチンコしに行ってたんじゃねえのか」
「なんだこの野郎、親に向かってそのいいぐさは」
「あの、ご教育はまた帰宅されてからということで」千葉は親子の間に割って入った。「栗駒署の千葉と申しますが」
「あ、これは刑事さん。この度はうちの馬鹿伜が余計なことをしでかしまして」と団長は金歯をみせてぺこぺこする。
「いやいや、お陰で仏さんが浮かばれるんだから、功徳つうもんです。それより暗くならんうちに早く片付けましょう」
「そう、そうですな。みんな、梯子を降ろしてけれ。おい、ロープとライト、持ってんな。気を締めて行けよ。オロクは白骨と駐在から聞いたけんど、担架も一応用意しました」
 ばたばたとバイクの音を立ててちょうど駐在が到着した。
「おう、遅かったな、行くぞ」
「団長、県道で一〇〇キロも出す奴があっか」
「緊急出動だ、しゃああんめえ」
 団長は高笑いしながら坑口に向かった。三人の消防団員と五人の警官たちは慌ててその後を追う。子供達はしばらく躊躇していたが、好奇心が恐怖心に勝ったとみえて、やがて坑内に足を向けた。
 現場はカドニカサーチライトと三個のバッテリーライトとで煌々と照らし出されていた。アルミ梯子が向こう岸まで渡され、一人を残して全員が死体の側に立った。
「胸から下は腐ってないみたいだな」川島が配られた軍手を着けながら言った。
「現場での検視は可能な範囲に止める」と千葉が言って、死体の状況を口述し始めた。もっとも、記録すべき材料はすぐに尽きた。
「やっぱり、上げて貰わねと、駄目だな」
「身体にロープを掛けて引き上げっかな」
 団長はそう言ってロープで輪を造り、死体の回りに沈めてゆっくりと引いた。ロープは胴のあたりにひっかかり、死体が揺れた。
「誰か、首、押さえろ」と団長が怒鳴った。「首が落ちる」
 白骨化した頸椎は脆くなっているらしく、頭蓋骨が外れかかった。一人の団員が手を伸ばして頭蓋骨を押さえた。水が揺れて泥が沸き立った。
「意外と重い。足のところを持ってくれ」
 さらに一人が死体に取り付いた。鑑識係は盛んにストロボをたいている。その中を死体はようやく担架に横たえられた。消防団員たちは皆、水浸しであった。
「遺留品とかないかな」と千葉が言った。
「ちょっと見えませんね。潜らねえとなんねえかな」
「まあ、明日アクアラングを頼もう。さて、とりあえず仏様を運ぼうか。ん、どうしたんだ」
 千葉は消防団員たちが凍りついたようにたちすくんでいるのに気がついた。
「身体が……生きてるみたいだ」と団員の一人が言った。
「何を馬鹿な」と千葉は言って死体の側に立って見下ろした。「これは──屍蝋になってやがる」
 引き上げた死体の肌は、生気のない鼠色ながら原型をそのまま止めていた。BVDのTシャツとリーヴァイスのジーンズというその格好も、されこうべの顔が仮面に見えるくらい妙に似合っている。しかも急に環境温度が変化したためか、その死体は小刻みに震えてさえいた。
「とにかく、外に出よう」千葉は団長に強く声を掛けた。団長はひとつ頷いてブルーシートを担架に掛け、先棒を掴んだ。岩陰に隠れて、その様子を覗いていた子供達もあわてて坑口に向かった。
 坑道の外はすでに夕闇が迫っていた。団員たちは担架をハイエースの荷台に乗せ、濡れたはっぴをジャンパーに着替えている。子供達も何食わぬ顔で車にもたれていた。
 千葉は団長に近寄って言った。
「ちょっと相談があるんだが。この仏さんなあ、仙台の医学部まで連れてってくれんか」
「言われねでもそのつもりだ」団長は言った。「行くのは俺だけでいいべな。子供とほかの連中は帰してやってけれ」
 千葉は頷いて礼を言い、ジープに戻って署に無線を入れた。
 
 井上はるみは出張先の仙台市のホテルで『河北新報』を開いていた。氏家真美の指示はセンテックスの工場周辺を調べ、増設ラインの建設や人員の新規採用の有無を調べることであった。もちろん地元紙の求人欄や産業欄を調べるのもひとつの手段である。
 だがその朝、はるみは社会面の下のほうの小さな記事から、どうしても目を離すことができなかった。
『廃坑に不審死体
    地元の小学生が発見』
 

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