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 証人の話した言葉は、調書の形になってしまうと言外の意味や生々しい驚きと言ったものがすべて脱落してしまう。庄子警部補は原点に立ち戻り、死体発見から始まって千葉や川島など栗駒署の刑事が扱ったすべての証人や、検視に立ち会った鑑識係長や嘱託医、解剖した医学部の講師などにもう一度自分で会ってみることにした。そしてそれに当たっては、調書にはしない、ただの雑談だからと言ってとにかく本音の部分を聞き取るように努力した。
 あまり大っぴらにやると、所轄署の連中の心証を害することにもなりかねないし、同一人物に何度も供述を迫るとかえって態度を硬化させるものでもあるから、一日に一人か二人からじっくりと話を聞く戦法を取った。このため進行はゆっくりとしたものだったが、各調書については十分得心が行くまで裏付けることができた。
 そして、これらの証人の中で庄子の注意を引いた者が一人だけいた。それは、十六日の午後一時半ころ原田を目撃したと千葉刑事に供述した、鉱山資料館の館員だった。
「また話を蒸し返して悪いんだけど、ほんとにこの人だったすか」と言って庄子は写真を見せた。
 それに対して、館員はおそるおそるその写真を覗き込んで言った。
「あれ、こないだの刑事さんの写真とずいぶん違うなあ」
 千葉刑事は捜査を急ぐ余り、現場で撮影した腐乱死体の顔写真を見せて回っていたのだ。庄子は舌打ちする思いだった。それならそれで、遺族から生前の写真を貰い受けた時点で改めて裏付けを行うべきだった。現に、ドライブインの目撃者はその新しい写真のおかげで原田が立ち寄ったことを思い出したではないか。これが腐乱死体の写真だったら目を背けこそすれ、記憶を探るなど思いもよらないだろう。
「これは元気なときの写真だかんね。で、どうだ、間違いないかな」
「うーん、おれ記憶力弱いからなあ。多分間違いないと思うけど、ほら、服が違うでしょう」
 とすると、彼が覚えているのは顔ではなくて、服装だったことになる。庄子はふと思い付いて、中村の写真を取り出した。
「同乗者については、前にも訊かれたと思うけど、この人はどうだろう、見覚えないかな」
「ちょっと年いってますね。そうですね……その顔は見たような気もしますね。それも、その原田さんですか、それと同じころじゃないかな、見たのは。すみません、はっきりしなくて」
「いや、もうひと月近くなるんだから忘れて当然だよ」
 庄子警部補はそう言いながら、この人物については顔を覚えているわけだと考えていた。そして、八月十六日の一時半にここに現れたのは一人だという。そこから導き出される結論に、庄子の鼓動は激しくなった。中村のトリックを見破る手掛かりを掴んだような気がした。
 庄子はその場で電話を借り、解剖を行った医師に連絡を取った。この間からお尋ねしている細倉の件ですが、と前置きして庄子は訊いた。
「死後日数は腐敗の進行から判断されたのでしょうか」
「そうです。この事件の場合、車内に密閉されていたため、蝿の産卵が認められず、蛆の生育は参考にならない」
「この夏の猛暑で、しかも密閉状態だったことを考えると、死後三日だったとは考えられませんか」
 医師はしばらく考えてから言った。
「考えられないことはない。許されるなら、死後三、四日という言い方になるな」
 庄子は礼を述べて電話を切った。最後に原田が目撃されたのが十六日だから、殺害されたのも十六日だと皆が思い込んでいた。もし犯行日が十七日だとしたら、アリバイは調べ直さなければならない。特に、中村康夫については真っ先に。
 翌日から庄子は中村の身辺で聞き込みを始めた。問題は今まで看過されていた十七日に、彼がどこにいたかだった。
 家人によれば、その日は盆明けで、妻の実家から直接会社に出勤したという。仙台支社の開発部に訊くと、こちらに顔を出してすぐに宮城野工場に行ったと言われ、宮城野工場では、ざっと一巡してソフト開発を督励したのち十時過ぎには古川工場に回ったと言われた。実に忙しい男だが、そうやって次第に細倉に近づいて行くのが、追ってみると手に取るように分かる。
 古川工場では、なかなか明確な証言が得られなかった。目と鼻のさきに本人がいるのに、犯人扱いした聞き込みもできかねるし、答えるほうも逃げ腰だった。それでも何日か通ううちに決して中村に好意的な者ばかりではないことに気付いた。その中の一人は積極的に協力してくれ、他の者にも聞いてくれた。そして、中村が十七日に来たのはだいたい三時頃だろうと言う者が現れた。コーヒータイムに休憩室で見かけた記憶があると言う。
 中村ほどの要職にある男が、こっそり自分の職場に現れるというのは頷けない。これはやはり古川工場に到着して真っすぐ休憩所に行き、一仕事終えた後のコーヒーを味わっていたと解釈すべきだろう。十時に宮城野を出て、三時に古川なら十分に時間をとれる。たとえば、細倉で人を殺す時間さえも。
 
 中村は十月に入ってからというもの自宅に帰るのを諦めて、古川に旅館住まいをしていた。古川仙台間は、高速を使わなくとも車で一時間三〇分ほどだが、SIVの需要が大幅に上方修正されたため、古川工場のライン増設は至上命令となっており、担当責任者である中村は朝八時から晩の十時まで付きっきりで設置された装置の試運転と調整を行わなければならず、わずかの時間も惜しかった。それに加え、合間を縫っては、ソフトウェア研究センターという名目で予算を獲得した情報センターの建設計画を進めていた。
 −−発売日までに一〇万台の在庫を確保するって、ハイテク・リサーチには言ったからね、その線で頼むわ。
 営業部長は気軽に言ったものだ。まあ、製造の苦労を知らない方が営業はやりやすいだろう。部品一個の単価を下げるのに現場がどれだけ苦労しているかを一々斟酌していたら、強硬に値切られても拒否せざるを得ないし、それでは商売が成り立たない。その点、分業システムと言うのはよくできている。
 中村はドライバーを手に、光電スイッチの位置の調整を続ける。こんな仕事は部下に任せて置けばいいのだが、じっとしていられなくてつい手が出てしまう。部下たちもそれが中村の病気と承知しているから、好きにさせて別の部署にかかっている。
「部長、ちょっとこっちに来て貰えますか」
 中村が目を上げると、SIVプロジェクトの藤村係長が制御盤の向こうに立っていた。
 藤村はソフトウェア課の根本などとは違って、独断専行、てきぱきと事を進めるタイプの男だった。それだけにこの手の男に呼び止められると、よほどのトラブルかと思って身構えてしまう。中村はドライバーをそこに置いて、彼の後について行く。検査ラインの末端部で、何人かの技術者が集まって議論をしていた。
「増産計画では、古川で日産一五〇〇台を見込んでるって言っただろ。作ったらいいじゃん」と一人が言った。
「いや、だから増産は可能だよ。だけど、検査は人手がいるから、おいそれとは能率があがらねえって言ってんの」
 ああ、その話か、と中村は思った。製造ラインを大幅に拡張した結果、検査ラインが当初の予定よりも短縮されている。信頼性の高い部品を使用するし、古川工場では宮城野工場よりも機械化が進んでいるから検査も省力化できるだろうというトップの意向でそうなった。とにかく生産を優先させねば需要に応えられない。多少の不良品はアフターでカバーしようという、今までのセンテックスとは正反対の行き方を取ろうとしていた。しかしすでに決定事項である以上、中村の立場としてはその線で推し進めざるを得ない。
「あ、部長だ」と、誰かが言った。「ねえ、こんなの有りですか。一台ずつ実際にディスクを入れてプレイテストをしようとしたら、このスペースじゃ一日五〇〇台が限度でしょう」
「プレイテストは抜き取りでやる」と中村は答えた。「信頼性から言って、全製品に対して行う必要はない。そのかわり、本体の回転確認は全製品について行う。宮城野の実績でもプレイテストでアウトになったものの大部分はディスクドライブ関係のトラブルで、エレクトロニクスの故障は通電テストだけで十分判断できる」
 実際はそれほど確信をもっている訳ではなかったが、中村はきっぱりと言った。そう言われると技術者たちも返す言葉はなく、首を傾げながらも自分の部署に戻って行った。
「事の起こりはなんだ」と中村は小声で係長に訊いた。
「ささいなことです」と係長は答えた。「誰かが、刑事がこの工場を嗅ぎ回ってる、何を作ってるのかとか質問されたと言って、それに対して誰かが欠陥品を作ろうとしてるのがばれたんじゃねえかと冗談を言って、それから何が欠陥品だ、自分の作っている物に自信が持てないのかというような議論になったようです」
 中村は内心の動揺を押し隠して言った。
「まあ、お互い宮仕えは辛いってこった。とにかくできる範囲でベストを尽くすしかない」
 係長は、分かってますよというように唇の端で笑って離れて行った。中村はひとつ息をついて休憩室に向かった。
 作業時間中だから、休憩室には誰もいなかった。中村はコーヒーの自動販売機にコインを入れる。紙コップにコーヒーが満たされるのを待ってそれを持ち、手近の椅子に座り込んだ。
 少し疲れが溜まっていると自分でも思う。睡眠時間は六時間は確保するようにしていたが、既に無理の利かない年になっているということだろう。
「刑事か」と中村は声に出して呟いた。
 井上はるみに言われるまでもなく、新聞で原田の他殺体が発見されたことを読んでから、いつかは捜査が自分に及ぶことは覚悟していた。それに対しどのように申し開きをするか、その台本も考えてあったし、庄子と千葉という刑事が連れ立って、ちょっと原田さんのことでお伺いしたいことがありましてと聴取に現れたときには、我ながらうまくあしらったものだと思う。
 それで事が済んだと思ったのはやはり甘かった。この近辺を嗅ぎ回っているのは中村が目当てとみていいだろう。中村が恐れているのは、この大事なときに逮捕拘留されることだった。そしてそれ以上に恐れているのは、たかが原田ひとりの死のために間近に迫ったSIV発売に支障をきたすことだった。あと二十日、何とか持ちこたえてくれと、中村は念じていた。
 中村がコーヒーを飲み終えて元の持場に戻ってみると、彼のドライバーが消えていた。
「あれえ、おれのドライバー知らんか、ここに置いといたのに。私物なんだぜ」
 中村はそのあたりにいた二、三人に訊いたが、みな首を振るばかりで、忙しそうに歩み去った。
 

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