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 山中百合が住居侵入、窃盗未遂の現行犯で逮捕されたのは十月十六日だった。通報したのは原田の隣家の妻女で、朝からお寺に出掛けたはずの原田さんの家で何か物音がするから覗いて見るとどうも人の気配がすると一一〇番したものだった。
 警邏中のパトカーが直ちに出向き、警官がドアベルを押すと女がふらふらと出て来た。隣家の妻女が、あんた、誰よと言っても答えない。一人の警官が原田宅内に上がってみると、天袋が開けっ放しで踏み台にした椅子が転がっているなど、あちこち物色した跡があった。もう一人の警官が、どこから入ったのか質したところ黙ってジーンズのポケットからキーを取り出した。
「ご身内ですか」と警官は訊いた。「それともその鍵は拾ったか何かなのかな」
「こんな人、原田さんの親族にはいないと思うわ」と隣家の妻女が口を挟んだ。「あんた、名前くらい言いなさいよ」
 それに対しても女は答えず、弁解する気力を失っているような、放心した目付きをしていた。警官は困惑して言った。
「奥さん、この家の人の連絡先は分かりませんか」
「お寺に行くって言ってたけど、どこだろう。お仏壇でも捜せば分かるんじゃないの」
「そうは行きませんよ。勝手に入っちゃいけないんです」
「でも、あっちのお巡りさん入ったわよ。ついでに見て貰ってよ」
 警官は少し迷ったが、物色の形跡は明らかだったから現行犯逮捕を女に告げて、既に座敷に上がっていた警官に奥の間の仏壇から菩提寺の名前を捜して貰った。それから戸締まりを確認し、最後に玄関を女の鍵で閉めさせた。
 世田谷署に女を連行し、原田の家の者に連絡を取ると、さすがに驚いたように聞き返した。
「若い女性と言いましたか」と主人の方がいった。
「はあ、髪の毛を短くカットして、チェックのシャツにジーパンという身なりです。プロの窃盗じゃないみたいなんですが、何にも言わないもので−−もしやご身内でしょうか」
「身内というわけじゃないが、心当たりがありますので、今すぐ参ります。どうか手荒な扱いはなさらんようお願いします」
 その言葉どおり、三〇分もしないうちに原田夫妻は世田谷署に現れた。案内された二人を見て、さすがに百合はしくしくと泣き出した。何か事情がありそうだというのは捜査官たちにも感じられた。原田に少し話し合うからと言われ、警官たちは素直に席を外した。しばらくしてから警官を呼んで、原田が言った。
「知り合いの女の子で、鍵も預けていた物ですし、捜し物をちょっと派手にやっただけなんです。どうか罪にならないようにしてやって貰えませんか」
「被害者の方がそうおっしゃるなら、説諭ということで済ませますが、住所氏名は始末書に書いて行くよう言い聞かせて下さい」
 原田が百合を見ると、彼女はこくりと頷いた。
 警察のほうはそれで済んだが、三人揃って署を出てみると原田の父にしたところでいい思案はなかった。このまま別れて家に帰すのも気持ちが落ち着かないし、理由を尋ねても答えそうもないし、説教するほどの間柄ではないし、連れ回すのも億劫だった。昼も過ぎていたので、とりあえず手近な喫茶店に入って簡単なものを注文した。そして原田の父は、百合が死んだ息子と同じ会社だったと言っていたことを思い出し、レジのところからハイテク・リサーチの氏家真美に電話を掛けた。
「−−このような次第なのですが、実はわたしどもも処置に困っておりまして、親元にでも帰していただくというわけに参らんでしょうか」
 原田はそう言いながら、なんで被害者の俺がお願いばかりしているんだろうと思っていた。電話を受けた真美にしても、SIVの各電器店への発送計画を進めている最中で、なんでわたしが面倒見なきゃいけないのと言いたいところだった。
「申し訳ありませんが、今すぐはちょっと手が離せませんので……」真美は少し考えてから続けた。「今夜山中さんの部屋にお伺いして話し合ってみます。山中さんには、それまで部屋で待っているように伝えて下さい。センテックスのお土産を持って行くから、じっとしているようにって」
 
 山中百合は言われた通り部屋でじっと真美の来るのを待っていた。真美が白い紙袋を提げているのを見ると、視線はそのまま釘付けになった。
「これが発売タイプのSIVよ」
 真美が袋からポリエチのクッションシートで包んだ機械を取り出すと、百合はそれに手を伸ばした。
「ちょっと待って」と真美は手を引っ込めた。「あなた、原田さんから機械預かってない? それをここに持って来て」
「かわりにそれを貰えるの」
「そういうことでもいいわ」
 百合は、そんならいいよと言って立ち上がり、隣の部屋からフルフェイスヘルメットタイプのヘッドセットとビデオデッキ程もあるプレーヤーを持って来た。
「これは−−」と真美は息を呑んだ。こんな大仰な代物は、真美も見たことがない。初めて中村に見せて貰ったものでもせいぜいサンバイザー程度の物だった。中村は原田にせがまれて、廃棄処分寸前の旧型を与えたのだろう。
「今のはね、こうなってるの」
 真美はクッションシートを開き、ピンクの縁取りの眼鏡と、ベルトクリップの付いた一〇〇ミリ角のプレーヤーを出して見せた。
「早く貸して」と手を出したがるのを押し止めて真美は言った。
「もう、原田さんにも、ハイテク・リサーチにも迷惑かけないわね」
「かけないかけない、誓うからさあ、ねえ貸してよね」と百合はほとんど涙声になる。
 これじゃ子供のしつけか、犬の調教だと真美は情けなくなった。黙ってSIVとディスクのケースを差し出すと、百合は引ったくるようにそれを受け取り顔に掛けた。そしてラベルを確かめもせずいちばん上のフィルムディスクを抜き取り、プレーヤーに装填した。
「あら、きれい、こんなの好き」
 百合はそれだけ言うと、あとは真美がいるのも忘れたかのようにSIVの世界に没入した。そのディスクは、宮崎駿のアニメーションだった。真美は残ったディスクをケースに戻し、バッグに収める。これで一枚見終わったら、またわたしに助けを求めることになるだろうと真美はすこしサディスティックな気分で思った。真美は立ち上がり、キッチンに向かう。部屋にまで漂っていた異臭のもとはやはりそこだった。シンクに積み上げられた食器と、散乱するファーストフードの残骸や各種の酒壜に、真美は顔をしかめながらも、てきぱきと片付けにかかった。
 床の掃除が済んで、食器洗いもあらかた終わったころ、百合が声を掛けた。
「あら、ごめんね。あたしやるわ」
「もう少しだからやっちゃうわ」と真美は答えた。「もっと見てたら。別のディスクもあるけど」
「そうね……でも一枚見てしまうと、そんなに続けなくともって気になるのね」
「だけど、しばらく見ないでいると、どうしても見たくなっちゃうんでしょう。売るほうにしてみればそこが付け目なんだけど」
 百合は弱々しく笑った。そして、真美が洗い終えた食器類を戸棚に片付け始めた。キッチンが片付くとお茶を淹れて、真美は百合と向かい合った。
「あのSIVは、原田さんがあなたにあげたものなのかしら」
 百合はかぶりを振った。
「いいえ、おれが持っていると何かの拍子に会社にばれないとも限らないから預かっといてくれって言われたの」
「と言うことは、非合法で手に入れたってことなの」
「詳しい事情は分からない。でも、口では強がってたけど、なにかやばいことしてたみたい」
「わたしはね、原田さんが亡くなった原因にセンテックスやハイテク・リサーチが関わっていないか、それが心配なの」
「へえ、つまり、原田さん個人のことはどうでもいいんだ」と百合はおもしろそうに言った。「あのひと、あんなに氏家さんのこと気にしてたのに。わたし、絶対片思いなんだからやめなさいって忠告してあげたのよね」
 真美は突然自分が話題にのぼって思わず顔を赤らめた。
「やめてよ、お年寄りをからかうもんじゃないわ」
「でも、氏家さんて、ほんときれい。山出しの中村部長がころりと参ったのも無理ないわ」
 真美は、えっと小さく叫んだ。誰にも知られていないと思った秘密を、この娘はいとも簡単に口に出している。
「あら、氏家さん顔が引き攣ってるわよ。……あ、そうか、これ言っちゃいけないことなのよね。でも、わたし、ハイテク・リサーチもセンテックスも出入りしてるでしょ、するとなんとなくぴんとくるのよ。でも安心して。誰にも言ってないから」
「参ったわね、こりゃ」と真美は深刻にならないように言った。「根も葉もないことをおっしゃって」
「駄目よ、おとぼけになっても。原田さんに話したら、チクショー確かめてやるって興奮してた」
「誰にも言ってないって言ったじゃないの」
「うーん、あの人は例外」
 この分じゃいくら例外があるのやらと真美はうんざりした。本人たちの知らないところで、けっこう噂になっているのかも知れない。まあ、わたしはいいけどね、中村さんはご迷惑かしら。それで、真美は思い付いた。原田はこれをネタに、中村からSIVをせしめたのではないだろうか。原田がそれほど下卑た男だったとは思いたくないのだが、可能性を否定することはできない。そして真相は、百合に訊いたところで分からないだろう。
「−−それで、山中さんはこれからどうするつもり」と真美は話題を変えた。「原田さんのお父さんは、いちど親御さんのところに帰ったらっておっしゃってるんだけど」
「いやよ、あーんな田舎」と百合はにべもなく言った。「わたし、東京にいる。心を入れ替えて働きます。もうお酒も飲みません。だから強制送還は勘弁して」
「ディスクさえあれば怖い物なしなのね」
「ずばり、その通りでしょう。−−だけどあの新型機、軽くていいわね、頭痛くならないし。古いのは駄目よ、次の日まで残るもの。二日酔いみたいに」
「あれ、たぶん開発途中のものだと思うのね。しばらくここに置いといて。そのうちセンテックスに引き取って貰うわ」
「ずっと置いといてもいいのよ。思い出の品だから」
 真美は、何の思い出なのと訊こうとして百合の顔を見た。百合は目をしばたたいていたが、やがて大粒の涙がこぼれ落ち、あわてて手で顔を拭いた。
 それをしおに、真美は立ち上がった。
「じゃ、今日は帰るね。ディスクはあげるけど、まだ一般には発売していないから、人には見せないでね。でないと群衆が押し寄せるわよ」
「わかった、ありがとう」と百合も立ち上がりながら言った。「あ、そうだ。ちょっと待って」
 百合は奥の部屋に行くと、何かごそごそやっていたが、やがて一台の電子手帳を持って来た。
「これも原田さんから預かったままになってたの。もう、あの家に行けないし、おりを見てお父さんに返しておいていただけません」
 真美は何の気なしにそれを受け取った。
 

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