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 十月十八日の朝、宿泊先の古川駅前のビジネスホテルを出たところで、中村康夫は庄子警部補以下四名の捜査官に取り囲まれた。
「中村康夫さんですね」と庄子が相手を確認した。
 中村が、そうですがと言うと、庄子は逮捕状を提示した。
「原田俊一郎に対する殺人容疑で逮捕状が交付されているので、執行する」
 中村は一瞬唖然とし、次いで不意に笑い出したくなるのをかろうじて抑えた。こんなとき何と言ったらいいのか。お縄を頂戴致しますでもあるまいし、おれじゃねえと叫ぶのも芸がない。しかし警察もあと十日少々くらい待てなかったものか。
 中村が黙っているのを見て、茫然自失しているものと思ったのか、川島刑事がその腕を捉えた。
「ああ、分かった」と中村は言った。「おとなしくする。手錠は勘弁してください」
 庄子が川島に目で合図した。川島は頷いて、中村の腕を抱えたまま駐車場のほうへ歩きかけた。
「あ、ちょっと待ってください」と中村は歩みを止めた。「何日か、かかるんでしょう。ホテルを清算しておかないと、勘定が大変だ。それに部屋に荷物を置いてある」
「それは我々がやっておく。荷物も捜索させて貰ったうえでお返しする。あんたは既に身柄を拘束されているんだ」
 中村はそんなものかと納得して、引っ張られるまま歩き出した。そして歩きながら、連絡しなければならない所などを数え上げていた。それから、弁護士に知り合いはいなかったか、記憶を手繰った。たしか学生時代に同じサークルにいた男が司法試験に通ったという噂は聞いたことがある。しかし、今どこにいるやら、年賀状すらやり取りしていない。
 庄子はパトカーの後部座席に中村を押し込み、続いて乗り込んで来た。中村はやむを得ず奥へ移動する。すると向こう側からは別の警官が入ってきて、中村は真ん中で挟まれる形となった。
 車はインターに向かって走り出した。中村は居心地悪そうに身じろぎしながら、自分がどこまで堕ちて行くのか見届けてやりたいような気持ちになっていた。
 
 前日の捜査会議で、中村の即時逮捕を最も強硬に主張したのは庄子警部補だった。彼は独自の捜査によって得た結論を、自信満々で開陳した。
「わたしの考えも、千葉刑事の捜査を基本にしていることは変わりがありません」庄子は一応地元の刑事の顔を立てた。「しかし、ある証人に重大な事実誤認があったことを看過する訳には参りません。その証人とは鉱山資料館の係員であります。彼は千葉刑事に、十六日に被害者が単独で来館したことを供述しておりましたが、わたしが裏付けに参ったときは全く違う供述を行っております。−−つまり、十六日に見た男は、中村が被害者の服装をして現れたものらしいと言うのです」
 庄子の発言に、千葉を始め、一同はえっと声を出した。庄子はその反応に満足したように続けた。
「その係員の話によれば、中村の顔は確かに見覚えがあるし、被害者のしゃれたジャケットも見覚えがある。ただ、その二人が連れ立って来た記憶はない。だから、中村が、その服を着て来たに違いないというわけです」
「なんのためにそんな手の込んだことをするんだ」と署長が口を挟んだ。
「アリバイ工作のためです。十六日の午後一時半に被害者が目撃されて、何日か後に昼食後三時間の死体が発見されれば、その日の三時ころ殺されたと推定するのが普通だからです。特に、昼食に食ったものと、胃の内容が一致していれば、疑問さえ持たないのが普通でしょう」
 庄子は自分が普通以上であることを強調したいらしく、その言葉にこだわった。暗に普通代表とされた千葉刑事は、目の前のお茶をがぶりと飲む。
「わたしの考えでは、その時刻には被害者は監禁されていたものと推定しております。そして、中村は被害者の衣服を奪って着用に及び、資料館でわざと係員の前を通ったりして存在を印象づけ、それからその日は犯行には至らず、仙台の妻の実家に戻り、午後三時ころには何食わぬ顔で義父と碁を打ちます。これで十六日のアリバイは作ったことになる。そして次の日、すなわち十七日に再び細倉に赴き、監禁していた被害者に前日の昼食と同じ食料を与え、三時間ほど待ってから脅して現場まで運転させ、殺害したというわけです」
 庄子はこんな明白なことはあるまいという調子で一座を見回した。視線の合った川島刑事が、あの、と言って生徒のように手を挙げた。「監禁していた、とおっしゃいましたが、その場所はどこですか。それから証拠はあるのでしょうか」
 庄子はよくぞ質問してくれたと言うように頷いた。
「中村の実家が細倉にあることはご承知と思う。現在は彼の父母が住んでいるんだが、盆に帰省していた伜一家が仙台に戻ったあと、自分たちも息抜きに、十六日朝から二泊の予定で駒の湯に出掛けている。つまり、その日は中村の実家は留守だった。それにもかかわらず、十七日に白い車がそこから出て行くのを、隣の家の者が目撃している。これは日にちは確実で、時間ははっきりしないものの昼は過ぎていたと言っている」
「そうなると、十七日のアリバイが問題になるな」と刑事課長が言った。「捜査が白紙に戻るわけだ」
「中村については、十七日のアリバイ調査はすでに行いました。その日の七時半に八幡町の妻の実家から車で出勤して、仙台支社と宮城野工場を回り、十時ころ宮城野を出て古川工場に向かいました」庄子はそこで少し息をついだ。「−−しかし、古川に着いたのはなんと午後三時過ぎでした」
 捜査官たちにざわめきが起きた。ここでようやく、庄子があれほど自信ありげに中村の逮捕を主張した理由が分かった。皆が素早く頭で計算をする。仙台から細倉まで、高速を使って二時間足らず、細倉から古川まで一時間とすると、十二時から二時までが細倉で使える時間となる。これを短いとみた川島刑事が、腑におちない顔で言った。
「先程警部補がおっしゃった、前日の昼飯と同じものを食わせて三時間置くというのには、少し時間が足りないようですが。それに、監禁とおっしゃったけど、死体には捕縛など暴行を加えられた痕跡もないし、薬物反応もマイナスだったはずです」
「そうだな。ここでちょっと千葉刑事に聞いてみよう」
 庄子は何を思ったか、話題をそらす。千葉は突然名指しを受けてどぎまぎした。
「はっ、なんでしょうか」
「わたしの聞いた範囲では千葉さんは女性の共犯者を追っているということだったが、それはどうなった」
「はっ、あのう、まだ発見に至ってません」
「あんたの説では、十六日の中村のアリバイは崩れそうにないから、シートの隙間に落ちていた髪の毛の持ち主が犯人だろうということだったが」
「犯人とまでは決め付けておりません。何らかの形で事件に関わっていると……」
「何を回りくどいことを言ってるんだ」と庄子は不機嫌そうに言った。「女であれ、男であれ、共犯者がいたとすれば、監禁もアリバイ工作もずっと楽になる。縛ったりせんでも猟銃でも突き付けときゃ静かにしてるだろうし、飯を食わせる時間も合わせられる」
「しかし、その共犯者って誰でしょう」
 川島刑事の質問に庄子は苦笑した。
「君と千葉刑事はここ何日かずうっとその女を追ってたんじゃないのか。君らが見付けられんのに、おれが見付けたらおかしいだろう」
 川島は赤面して下を向いた。庄子は言葉を続ける。
「−−それにだ、今言った時間は二か月前の記憶に基づくものだから、当然多少前後することはある。例えば宮城野を出たのが九時半で古川に着いたのが三時半、なおかつ高速を常時一〇〇キロで飛ばしたとすれば、十一時に食事させて二時に殺害し、充分帰り着く余裕がある。それに実家の留守宅に被害者を置いたのも、監禁とは限らない。例えば、伊達家の埋蔵金などの話で釣って、明日廃坑に案内すると言葉巧みに騙しておとなしく泊まらせたのかも知れない。そのへんは自白を待つところだな」
 細倉周辺の廃坑に、伊達政宗の軍用金やら明治維新時の伊達家の隠し財産やら、終戦時の第二師団の軍資金やら様々な金が隠されているのは根強い噂となっていたから、地元の警官は一様に頷いた。
「アリバイ工作については分かった」と署長が冷静な声を出した。「動機と手段についても説明してくれんか。特におれが納得行かねえのは、どうしてわざわざ細倉で殺さなけりゃならねえかだよ」
 千葉刑事が何か言いかけて、署長に制された。庄子警部補の話を聞けと言うことらしい。庄子はひとつ咳ばらいをして喋り始めた。
「質問が飛び飛びになったので、ここでわたしの考えを初めから整理してお話ししたいと思います。まず、中村が原田に殺意を抱くに至ったいきさつですが、原田が幾つかの件で中村の弱みをつかんで恐喝していたことが主な原因と思われます。そのネタの一つは、現在解明されつつあるように、四月に起きたセンテックス社員による狂乱殺人にセンテックス社、あるいは中村個人が関わっていたこと、もうひとつは、中村には愛人がおり、それを原田が知った−−その二つの点でゆすられ、これを清算するために殺害するに至ったと考えます」
 庄子はいったん言葉を切って一座を見回した。皆、質問を控えて続きを待っている。それなら、という思い入れで庄子は口を開いた。
「この事件の捜査の過程で、センテックス内部に二人の協力者を得ることができました。そのうちの一人は宮城野工場におり、もう一人は古川工場におります。宮城野のほうの協力者は、倫理の観念がわれわれと少し違っておりまして、僅かな金で、会社に不利益なことだろうが上司の素行だろうが何でも喋ってくれます。その協力者の話では、中村は東京に愛人がいるのは確かだということで、しかも水商売の女などではなくハイテク・リサーチに関係があるらしいとのことです」
 聴衆にすこしざわめきが起きた。それはそうだろう、この情報は初耳のはずだ。庄子はぺらぺらとよく喋る根本の顔を思い出す。口の軽い部下を持ったのがあんたの運の尽きだな、中村部長。宮城野工場に聞き込みに行ったとき、接触を図って来たのは根本のほうだった。警察が来てあれこれ聞いてくれるのを心待ちにしていたのに、最初に来た刑事さんはおざなりな質問を順番に繰り返しただけで終わってしまって、欲求不満になっちゃうと言っていた。そして待ち合わせた喫茶店で喋りたいだけ喋り、じゃあと言って手を出した。庄子が思わずまじまじとその顔を見ると、情報提供料とにっこり笑って言った。
「ただ残念なことに、この密告屋、いや、情報提供者は、愛人の姓名までは知りませんでしたが、慎重に捜査すれば、早晩発見できるものと思われます。−−と言うより、発見しなければならんのです。それは、共犯者がいるとすれば、この愛人がそうである可能性が高いからです」
 川島刑事が、あっと小さく叫んだ。自分たちの追っていた女性共犯者は東京にいる中村の愛人であると庄子に断定されて、顔から血の気が引いた。面目丸潰れとはこのことだ。川島は思わず千葉刑事の顔を見た。千葉は黙然と目を閉じている。庄子の弁論に聞き入って吟味しているのか、居眠りしているのか、外見からは判断できない。
「この愛人は、ハイテク・リサーチの関係者ですから当然原田とも顔見知りです。それだけに、原田がこのネタを掴んだときに、原田を消すように主張したのは女の方だったかも知れません。と言うことは、スキャンダルを恐れる立場の、幹部社員あるいは既婚者と考えられます。そして、センテックスと関係の合った者と言えば、ほぼ絞られてくるのではないでしょうか。どうですか、千葉刑事、ハイテク・リサーチに出張聴取されたんだから、こう言えばある程度見当はついてるんじゃないですか」
「たしかに、何人か該当する者は挙げられます」と千葉は冷静に答えた。「さっそく特定するための捜査にかかります」
 川島はその言葉を半分ほどしか聞いていなかった。彼の頭を占めていたのは、井上はるみが中村の愛人だったらどうしようという心配だけだった。
「結構、よろしくお願いします」庄子は尊大な態度を崩さずに軽く頭を下げた。「では、次にどうして細倉が殺人の舞台として選ばれたかについて申し述べます。原田を殺すことに決めたあと、中村は死体の処理方法についてあれこれ考えたに違いありません。そのとき彼が思い出したのは、これも今年の四月ですが、細倉の廃坑で身元不明の死体が発見されたという新聞記事でした。その廃坑の位置や地形など、彼はよく知っていたのです。それは、消防団長の話によれば、地元の子供達は口伝えにそこを昔から遊び場にしていたからです。そして、死体が発見された以上、もはや子供達が入ることは禁止されているに違いない。すると、その廃坑の縦穴は最も安全な死体の隠し場所になるわけです」
「ですが、あの廃坑は立入禁止にするためにフェンスで覆ってしまったと聞きましたが」と千葉が言った。
「そう、確かに現在はフェンスが立っています」と庄子は頷きながら言った。「しかし、それを施工したのは、夏休みに子供が迷い込むと危ないからと地元の小学校の先生が役場に要求してようやく重い腰を上げさせたからなのでして、結局完成したのは八月初めのことだったそうです。ですから、中村は当然下見をしたはずなのですが、それが七月末以前であれば、板張りを補修した程度のままだったわけです。それを見て、中村はこれならやれると思ったでしょうな。原田を細倉まで連れて来て、廃坑の中に埋蔵金の話で誘い込むなり猟銃を突き付けて追い込むなりしてからぶん殴って縦坑にほうり込み、あとは入り口の板を元どおりにしておけば二度と原田の遺体は人目に触れることはない。その予定で当日彼は原田に運転させて、廃坑まで来たところ驚いたに違いない。何しろ下見のときにはなかった金網のフェンスが入り口を塞いでいたのだから。それで、やむなく引き返すことにしたが、アリバイ工作が完璧なチャンスはもうないかも知れないと思い直し、人里に近づく前に、かねて用意して置いたナイフで胸を一突きした」
「−−しかし、原田はどうして細倉までのこのこ付いて来たんだ」と刑事課長が訊いた。
「ですからそれは、埋蔵金の話で原田の金銭欲を刺激したか、例の通り魔の平田が通院した医者の前で黒白をつけようということで、栗駒クリニックに行くことにしたか、そのへんだと思います。−−千葉チームの調査では、平田が栗駒クリニックにかかった記録はないということでしたな」
「そうです」と千葉が頷いた。「もっとも、中村が平田を栗駒クリニックに連れて行ったと言うのも伝聞証拠ですから、信憑性はどうですか……」
「しかし、仮に中村が部下の精神異常を知りながら、医者にも見せず放置して置いたとなれば、会社の管理不行届ということになる。しかもその原因が後ろ暗いことであれば尚更だ。原田がそこを追及したので、確かに医者に見せた、なんなら一緒に行って記録を見せて貰おうと中村は誘ったのでしょう」
「なるほどな」と署長が言った。「御苦労でした。ほかに質問のある人は」
「署長、わたしの推理に不賛成ですか」庄子が署長の口調に反発して言った。「多少統制を乱したかも知れないけど、それは真実を明らかにするためです。署長なら分かってくれると思ってましたが」
「いや、おれはそんなことは言ってないよ。ただ、ほとんど推測だけで物を言ってるんじゃないかと思っているだけだ」
「推測ではありますが、中村には動機も犯行の機会もあったことは認めていただけますか」
「うん、それは認める。本人の反論がないのは別としてな」
「ドライブインのウェイトレスの証言はどう考えられます。中村と原田が一緒に細倉まで来たことを証明してませんか」
「確かに信憑性は高いが、人の記憶があてにならねえのは、さっき君が資料館の館員で証明したばかりじゃないか」
「では、これではどうでしょう」
 庄子は鞄から膨らんだ封筒を取り出す。それを逆さにすると、机のうえに黄色いプラスチックの柄が付いたドライバーが転がりでた。
「これは、中村が職場で使っていたドライバーです。このドライバーから検出された指紋と、被害者が発見された車のクラクションについていた指紋は一致しました」
「君、そのドライバー……」盗んだのかと言いかけてさすがに署長は言葉を飲み込んだ。
「いえ、違いますよ」庄子は平然として答えた。「古川工場の協力者を介してお借りしただけです」
「しかし、そんな手段で手にいれた証拠は公判じゃ通用しねえぞ」
「それは承知しております。逮捕したら改めて中村の指紋を堂々と採取すれば良いのです。車の指紋と一致することは分かってるんですから。そして公判にはそれを提出します。ですから−−」庄子は居住まいを正して署長に向き直った。「共犯者が逃亡する前に一刻も早く、捜査本部全員一致ということで、中村の逮捕状を請求して戴きたいと思います」
 それには、もし断られたら県警本部に話を持ち込むという言外の意味が込められていた。署長は腕組みをして考えこんだ。
 
 

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