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桜商事の川島さんとおっしゃる方から電話と同僚に言われ、はるみは胸騒ぎを感じた。案の定その内容は、中村の逮捕を告げるものだった。
「弁護士さんは決まったのでしょうか」何と言ったらいいか分からず、はるみはとりあえず思い付いたことを口にした。
「国選でいいそうで、手続きも済んでます」
「それで、いかがですか。あの、進行状況は」
会社の電話だけに、言葉使いには気を配る。自白したのかとか、送検したのかとは大きな声では言えない。
「逮捕は昨日ですが、現在のところ犯行を否認しております。いずれにせよ今日明日中には送検されますが」
「……そうですか」
はるみとしては、実際言う言葉もあまりなかった。別に中村は肉親というわけでもなければ、恋人でもなく、取引先の部長にすぎない。川島はなにか勘違いしているのだろうか。それとも口実を作ってはるみと話をしたいだけなのだろうか。
「ご家族や、会社のほうはどうなりましたでしょう」
「どちらにも、何かの間違いだから心配するなと電話で自分から連絡していましたね。会社は休職扱いになるそうです。中村さんも退職する意志はないらしい」
「川島さんは、個人的にはどうお考えなのですか」
「今回の逮捕を最も強硬に主張されたのは、県警本部の庄子警部補なんですが、きわめて説得力のある意見でして……」
煮え切らないことおびただしい。自分でもどう判断したらよいか迷っているのだろう。
「マスコミには出ますのでしょうか」
「今のところ、河北と、東北、仙台、ミヤギと言った地元局だけが扱ってますね。それもセンテックスの名前は出していません。某電機メーカーの部長としているだけです」
「そうですか。いずれ誰か面会に出向くと思いますので、よろしくお願いします」
たぶん氏家さんが行くだろうと思って、はるみはそう言った。川島は、ぜひどうぞと愛想よく言って電話を切った。
はるみは席を立ち、さりげなく氏家真美の机に歩み寄った。
「部長、ちょっと内密にお話しが……」
真美は用件を察したように黙って立ち上がり、部屋の外に向かう。はるみはその後について部屋を出た。真美は同じフロアにある会議室に入って照明を点けた。
「さて、聞きましょうか」と真美は言った。「中村部長の身の上に何か?」
「よくそう平然としていられますね」
「わたし、その場になったら自分が泣き狂うかと想像したこともあったの。でも、結局デジャヴュのような感覚で眺めているだけなのね」
「昨日出勤途上で逮捕されました。犯行否認のまま送検される見込みだそうです」
「否認というのは救いだけど、警察ははっきりした証拠を押さえているみたいね」
「最後に一緒にいた姿を見られていますし、原田さんが例の平田さんの写っているディスクを持っていたというのも、動機の裏付けになったのでしょう」
はるみはできるだけドライに言った。真美は少し考えてから言った。
「でも、そのディスクはそれほど致命的な物なのかしら」
「そう思います。平田さんが初めのうちは自分でレポートしながら作っていた実験記録なのに、次第に本人が精神錯乱に陥り、妄想を抱くようになる過程が残っているんですから。しかも、中村さんが病院に連れて行ってないとしたら、その責任は逃れがたいでしょう」
「原田君はどこからそのディスクを手に入れたの」
「わたし、センテックスの人にいろいろ話を聞いたのですけど、中村さんといえども、なかなか全員に慕われていると言う訳にはいかないようですから」
はるみは言葉を濁した。お金でいくらでも裏切る部下がいるとは言いにくかった。
「警察の考えは、原田君がそれをねたに中村さんをゆすろうとして、返り討ちに遭ったというわけでしょう。これも変よね。なぜ原田君は中村さんをゆすろうなんか思い付くのよ。その前に、こんなのありましたと言って、そのディスクをわたしのとこに持って来そうなものでしょ」
はるみは真美の顔をまじまじと見た。
「氏家さん、ほんとに変だと思っています?」
真美は頷いた。はるみは遠くを見るような表情で言った。
「わたし、原田さんの気持ち、分かるような気がします。原田さん、いつも冗談に紛らせていたけど、氏家さんのこと、本気だったんじゃないでしょうか。それで、何かの拍子に、中村さんと氏家さんのこと感づいたとしたら、中村さんを困らせるためなら何でもしたと思います。お金なんかどうでもいい、とにかく中村さんを破滅させようとしたんじゃないかしら」
真美はすっと蒼ざめた。先日の山中百合との話は誰にもしていなかった。百合も、原田は真美を想っていたと言う。そして百合が、中村と真美との関係を告げたとたんいきりたったと言った。
「わたしが、この事件の原因なの……」
「そこまでおっしゃるのは、ご自分を責め過ぎでしょうけど」
「原田君のことは分かったわ」と真美はゆっくりと言った。「でも、中村さんが手を下したというのは納得できません。あの人は女のために人殺しをするような軟派じゃない」
「だとしたら、よっぽど痛いところを掴まれたか……あるいは冤罪か、ですね」
「わたしとしては、やっぱり無実だと思いたいな。−−ま、わたしらにできることもないだろうから、お祈りでもしながら仕事に戻ろうか」
最後は愚痴っぽくなって、真美は会議室を出る。はるみも来たときと同様にその後をついて行く。
「このこと、みんなはまだ知らないの?」と真美は歩きながら言った。動揺が広がることを恐れるビジネスウーマンの声になっていた。
「ええ、マスコミも今のところローカル局だけです」
「二か月も前のことだものね。もう、全国紙では取り上げないでしょう」
真美は希望的観測を述べる。しかし、他のネタが切れればいずれはワイドショーなどで取り上げられるだろう。とくに被疑者が犯行を否認しているとなると、すわ、冤罪事件と騒がれるか、極悪非道反省の色も見せずとなるかいずれかに決まっている。
はるみにも浮かない気持ちが伝染して、黙って歩いた。真美は自席に着くと、ではと言って離れかけたはるみを引き留めた。
「あ、ちょっと」真美は机の引き出しを開けて、一枚の書類を取り出した。「これ、目を通して、気付いた所をチェックしてちょうだい。発売当日の全面広告のコピーなの」
しかし、はるみの目は、引き出しの中の物にくぎづけになっていた。
「はるみ、どうしたの」
「氏家さん、それ……原田さんの電子手帳じゃありませんか」
「ええ、そうよ。返して貰うように頼まれてたの。ちょっと忙しくてなかなか行けなくて」
「誰に、誰に頼まれたんです」
はるみは急きこむようにいった。
「どうしたの、いったい」真美は不審そうに答える。「山中さんだけど」
「それ、原田さんがとっても大切にしていました。たぶん亡くなった日も最後まで身につけていたはずです」
真美もその言葉の意味することを悟り、思わずその場に凍りついた。
千葉刑事は、庄子警部補の後塵を拝したことを悔やんではいなかった。それより傍証として自分の報告を重視してくれたことのほうが嬉しかった。捜査会議での庄子の推理も見事で、自分の疑問がすべて氷解した思いだった。それだけに、中村が否認を続けているのが千葉を不安にさせる。一日も早くこのついてない事件から足を洗いたいにもかかわらず、この調子では上級審まで付き合うことになりそうだった。
だから、今日になって中村が自供を始めたと聞いて、千葉がほっと安堵したのは確かだった。だが、一抹の不安がどうしても胸中に残る。尋問は専ら庄子が行っているから情報は人伝えでしかないのだが、中村は動機については一切口を閉ざしたまま、わたしが全部一人でやりましたと繰り返しているらしい。事件は既に送検され、今後は古川の地検支部が取り調べの舞台となる。言ってみれば、千葉たち地元の警官はほとんどこの件に関しては御用済みで、裏付けや証拠固めなど、公判維持に必要な事項のお手伝いをするだけになる。
庄子警部補の考えは、本人が単独犯行を主張するなら、それでも一向に構わないというところだろう。自分の手柄には違いないからだ。その証拠に、あれほどせっついていた愛人捜しをはたと催促しなくなった。だが、千葉は以前から共犯説を取って来たせいもあるだろうが、中村が単独犯行を主張すればするほど、まだ捕まっていない共犯者をかばっているのではないかという気がしてくる。さらにそれを押し進めると、真の実行犯はやはりその『共犯者』ではないかとすら思える。
庄子の掴んだ情報によれば、東京のハイテク・リサーチの関係者がその共犯者である確率が高いと言う。しかし、井上はるみを再び疑うことは、千葉にしてもさすがにためらわれた。とすると、氏家真美か、あるいは他の社員か。それを割り出すためには、栗駒山の麓でぐずぐずとくすぶっていてもどうしようもないのは承知している。
もう一度東京に出張させて貰おうか。だが今となっては、これは検事あるいは庄子警部補の意向には反するかもしれない。単独犯ということで、起訴の準備をすすめているとすれば、むしろ厄介者扱いされるだろう。
また署長に頼るか、と千葉は思った。仏の顔も三度か、いや、三度目の正直とも言うではないか。とにかく当たって砕けろだ。
千葉はそれでもなんとなくのろのろと席を立ち、署長室に向かった。