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呼んで貰った一台のタクシーに乗って、四人が山中百合のアパートに着いたのは夜の九時だった。あらかじめ電話で了承を取ったとは言え、夜分捜査員が女性の部屋に上がり込むのも誤解の元だからと、真美かはるみが同行を求められ、結局二人とも物見高くお付き合いすることになった。
百合は、ぞろぞろと多人数が入って来るのを見て呆れたように目をぱちくりさせたが、黙ってコーヒーの準備をした。真美はひそかに危惧していたのだが、キッチンも部屋もきれいに片付いていた。部屋の中央を占めるガラステーブルが小さいため、はるみは自然とはみ出す形となり、カップを持ったまま片隅の本棚の前に座った。その一段には、発売型のSIVと中身の詰まったディスクケースが置かれている。はるみはそれに手を伸ばしかけたが、刺すような視線を感じて途中で手を止めた。
SIVに対する感受性は個人差が大きい。発売一カ月前から社内モニターを募って、ハイテク・リサーチでもソフト及びハードのテストを繰り返したが、強い愛着を抱いて仕事そっちのけになる者から、通常のビデオの方が見やすいと文句を言う者までさまざまだった。はるみの場合は後者に近く、どうしてこんな物に熱中できるのかと内心では疑問を持っている。立体視ということなら富士通のユニバースシリーズなどの方が上だと思うし、映画のストーリーを追うだけなら、SIVよりはテレビかビデオ、それよりも映画館のほうがよっぽど良いと思う。ただ、ゲームとか、まだ実用にはなっていないテレビ受信あるいはVニュースについては評価しても良いと思っている。
はるみは自分のこの冷淡さは、コンタクトレンズを装着しているせいではないかと考える。視神経に対する刺激がフィルターを通されることにより弱められるのではないだろうか。そうすると、ほかの人々は、映像を楽しんでいるのではなく、視神経への刺激を楽しんでいることになる。特に、山中百合のように強い依存性を示す者は。
はるみはさりげなく手を膝に戻し、並んだ本の背表紙やCDのジャケットを読むふりをした。
「どうも遅くに押しかけて申し訳ありませんでしたな」と千葉が言った。「事情をお伺いするだけですから、どうぞお気楽になさってください」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしまして」と百合は冷静な声で言った。「こちらのほうから警察にお話しに行こうとも思ったのですが、窓口と申しますか、どこへ行ったら良いか分からなかったもので」
「そうでしょうね。わざわざ宮城まで行くのも大変ですし、東京の警察では管轄が違うような気がする。分かります」
「そうこうしているうちに時間が経ってしまって、今更しゃしゃり出るのも恥ずかしいような気がして……このまま時間が過ぎて行くんだなって思ってました」
「それで、原田さんの電子手帳はどのようないきさつで手に入れられました」
川島が口を出した。千葉は川島を睨みつけた。百合がこのまま自発的に重要なことをしゃべり出すような気がしていたのに、今の発言で全て台なしだ。案の定、百合は目に光を取り戻し、迂闊なことは話すまいという意志を見せるようになった。
「あれは、原田さんが今度の出張に出掛ける前に、わたしのところに忘れていったんです」
「ここにですか」と川島が懲りずに言った。
「いいえ、当時はまだ松戸でした。上野から出発するのに楽だから、仙台に行く前の日はよくわたしの部屋に泊まったんです」百合は悪びれずに言った。「そのときは寝過ごしてあわてて出て行ったので、大事な物なのに忘れたんでしょう。……それだけのことです」
しばらく沈黙が流れた。これ以上自分からは何も言うつもりがないと見切りを付けて、千葉が言った。
「原田さんの非公式な行動についてはあなたが一番詳しいと思われるんですが、はっきり申し上げて彼がセンテックス、特に中村部長を脅していたのではないかと思われる節があるのですが、何かお聞き及びではないですか」
「SIVの機械を預かってくれって言ったり、ぶつぶつ中村さんの悪口言ったり、そういう変なことはあったけど、詳しいことは何も知りません」
「ちらッとでも聞いてないかな」
「……」
「そうですか。−−それから、念のためにお伺いするんですが、八月十六日十七日両日、どこにおられたか覚えておられますか」
「それは良く覚えています」百合は間髪を入れず答えた。「五山の送り火を見に、友達と京都に行ってました」
刑事たちは顔を見合わせた。これはまたアウトかという疲れた表情を見せる。
「大文字って十六日の夜だったかしら」と、はるみが口を挟んだ。「そうよ、その晩ホテルの屋上で見物して、そこに泊まったの。次の日は大原まで行ったわ」
「ご一緒した方のお名前と宿泊先を教えてくれるかな」と千葉が訊く。
「おともだちは吉井さん。松戸にいたときの隣の部屋の子なの。宿は京都ガーデンホテル」
ああ、あの人と思わず真美は頷いた。百合を訪ねて行ったとき、転居先を教えてくれた女性を思い出す。百合は訝しげに真美の顔を見た。真美は無表情を繕って言った。
「じゃ、遅くなりましたし、そろそろお暇しましょうか」
「あっ、そうですね」と千葉がわざとらしく腕時計を見た。「ちょっと最後にひとつ訊きますが、山中さん、センテックスの中村さんとのお付き合いは長いのでしょうか」
百合はきょとんとした顔を千葉に向けた。それから、ちらりと真美の方を見た。質問する相手を間違えてるんじゃないのと言いたげだった。それから、ようやく百合は答えた。
「いーえー、お付き合いなんてないですよ。ご尊顔を遠くから拝見したことはありますけど、あんなお偉い方とお近づきになるなんて、とんでもない」
千葉もこれは嘘ではないと思った。
「そうでしたか、それじゃ今夜はこの辺で終わりましょう。あ、例によって、髪の毛をいただいてと」
川島が百合に事情を説明し、真美のときと同じように髪の毛のサンプルを採取する。それから一同は現れたときと同様にどやどやと立ち上がり、一列になって玄関に向かった。去り際に千葉は百合に名刺を差し出した。
「何か思い出したらここに電話してください」
「もう、何もないと思いますけど」と百合は、手を出さずにそっけなく言った。
「まあ、そう言わねで」と千葉はそれを押し付ける。やむなく百合は名刺を受け取った。
「おやすみなさい、ユーリン」と、はるみは言った。百合は一瞬とまどったような顔をしたが、すぐににっこり笑って言った。
「おやすみなさい。−−それ、原田さんに聞いたのかしら」
はるみはそれには答えず、あいまいに頷いて外に出た。
外はすっかり冷え込んでいた。千葉は、ううっと言って身震いをする。
「うわあ、東京でも星空が見えるんだなあ」と川島が屈託なく言った。「こりゃ明日も晴れだ」
「おめえ、ほんとに長生きするよ」と千葉が言った。「自分のしたこと、分かってんのか」
「いや、たいして役にはたてなかったです」川島は謙遜のつもりで言った。
「はるみ、ユーリンて何よ」と刑事たちに構わず真美が言った。
「百合さんの愛称です。本棚に松任谷由美のCDが並んでたから、たぶんそんな名前を自分で付けて遊んでたんじゃないかと思って、半分あてずっぽうで言ったんですけど、当たったみたい。−−原田さんの手帳に書かれてる仙台で会った人のイニシャルで、Uがどうしても該当する人が見つからなかったけど、これは『ウ』じゃないのね。たぶんユーリンのことだったんだわ」
「じゃ、あいつは出張先に女の子を呼び寄せていたってこと。いい気なもんよね」
「それに、電子手帳のキーワード、あれももしかしたら……」
「なるほど、実名よりは有り得るかもね。でも、あれは会社のロッカーにいれっぱなしよ。トライは明日にしましょ」
「なにが明日ですって」と川島が割り込んで来た。
「キーワードの話なんだけど、まだ確定したわけじゃないから……」
「とにかく、駅まで歩こう。車なんか通らん」と千葉は先に立って歩き出そうとしたが、さすがに道が分からず、すぐに真美に先頭を譲った。千葉はその斜め後ろに位置を占めた。
「井上さん、おれ、おたくまで送ります」と川島が歩きながら熱心に言った。「氏家さんは部長が送るそうですし」
「ありがとう。でも、車がつかまればすぐですから」
「川島、井上さんにボディガードはいらねって。おまえより強いから」
川島は抗議の声を上げようとしたが、それが事実であることを思い出してはるみに尋ねた。
「ねえ、なんで空手やろうなんて思ったの」
「兄にくっついて道場に通ってただけなんです」
「お兄さんて……」
「ええ、行方不明の兄です」
それを聞いて、川島も黙ってしまった。
翌朝はるみが出勤すると、すでに氏家真美はハイテク・リサーチからセンテックスに回っていた。はるみの机の上に封筒に入れたロッカーケースの鍵と、『きょうも昼間はおつきあいできません』と書かれたメモが置かれていた。警察が現れたらよろしくと言うことなのだろう。捜査に熱心なのは結構だが、個人的なことに熱心になられるのは、はるみも遠慮したい。昨夜は結局タクシーもつかまらずに電車で帰ることになり、送っていただくのも、全く逆方向だからと固辞した。今日はどうなるのだろう。はるみはロッカーの鍵を弄ぶ。しかし、もしあのキーワードでプロテクトが解けるのなら、そしてそこに重要なことが記されているとしたら、警官に立ち会って置いて貰った方が良い。それをはるみが書き込んだのではないということの証人は必要だ。
そのとき、はるみの机の上の電話が鳴った。受話器を取ると川島からで、電子手帳はどうだったと訊いて来た。
「まだ、試してません。こちらに来られるのかと思って」
川島はそれならこれから伺いますと言って電話を切った。はるみは、時計を見てから、その間自分の仕事に取り組むことにした。
SIV発売まであと十二日を残すばかりだった。ゲームソフトは既に焼き付けも完了しており、そろそろ発送に移ろうというところまで進んでいるが、なんとゲームアダプタの納期が遅れている。必要数を前日までに確保できるかどうか、微妙な情勢だった。いざとなったら梱包発送の手をどこからか持って来なくてはならないが、この人手不足の折、そんな融通を利かせてくれるところがあるだろうか。はるみは心当たりの小さな運送業者や、人材派遣業者に電話をいれる。案の定どこもそういうスポット仕事はいい顔をしない。そこを何とかと頼み込んで、段取りを付けたころ、千葉と川島が手を挙げて、案内も請わずに入って来た。同僚たちがにやにやしている。彼らが警官だということは既に知れ渡っており、そのお相手をするはるみは、いい噂話の肴となっていた。
はるみは、真美から預かったキーを取り上げて、どうぞこちらへと言って二人を調査部専用のキャビネットロッカーに導いた。
「きょうは初めてここを開けます」と言って、はるみはキーを差し込んだ。
「信用しましょう」と川島が言った。
はるみは、棚の中から原田の電子手帳を取り出す。千葉がその隣にあった機械を、目ざとく見付けて言った。
「ちょっと、それはなんだい、その黒い奴」
「これですか」と、はるみは指を差す。「これもSIVです。信じられないでしょう。実は山中さんが原田さんから預かってたんです。原田さんは、SIVの臨時モニターになってたらしいの。−−実験段階の機械らしいですけど、取って置けばそのうち科学博物館に売れるかもしれないわね」
千葉は腑におちないような顔をしていたが、はるみはそれに構わずキャビネットを閉めて、電子手帳を持ったまま応接室に向かった。その後を二人の刑事がついて行く。はるみは決していい気持ちではなかった。
応接室に着くと、はるみはすぐに電子手帳のスイッチを入れる。プロテクトメッセージが現れて、キーワードを入れない限り、先に進まない。はるみは、千葉たちにも見えるように広げて、『ユーリン』と打ち込んだ。川島は身を乗り出した。だが、小さな手帳はその言葉を飲み込んだまま、うんともすんとも言わなかった。
「ごめんなさい」と、はるみは言った。「自信あったんだけど」
「まあ、そう簡単に解けちゃ、キーワードにならねかんな」と川島が言った。「やっぱ仙台に持ち帰って、メーカーに見せるわ」
「そうね。……あ、ちょっと待って」
はるみは不意に思い付いて、キーを叩いた。小さな電子音が鳴って、画面にコマンドメニューが現れた。
「ほら見て、できたわ」
「ほんとだ、やったね。んで、なんて入れたんだ」
「うん、それより、何をみたらいいの」
「まず、八月のスケジュールだな」
はるみはカーソルをスケジュールに合わせ、八月分を呼び出す。一日ずつ順を追って見て行くと、八月十五日の朝、原田は最後の出張に出発したことが分かる。そして、その日のうちに中村に電話を入れることになっていた。十六日には十時にレンタカーを借り、そして千葉の推定どおり『十一時三十分くりこま高原駅・中村』と記されている。
「そのあとはしばらく空白で、午後五時、鳴子ビューホテル」
はるみがLCDの文字を読み上げると、千葉が、「なにい」と聞き返した。
「ひとりで、温泉宿に泊まるつもりだったのか」
「わたしに訊かれても困ります」
「誰と行くとも書いてないのか」
「ええ、それだけ」
千葉は首を捻って言った。「まさか、中村と行くつもりだったんじゃないだろうな」
「そして、翌日ゴルフを一緒にするとか、ですか」と川島が言った。「だけど、それほどあの二人が仲良しだったとは考えられないでしょう」
「よし、あとでホテルに確かめよう。当然無断キャンセルになっているはずだから、記録があるだろう。−−で、その次はまだあるのか」
「十七日、午後一時、鉱山資料館」
「なんだあ」また千葉が聞き返した。「原田が資料館に現れたのは十六日だぞ」
「部長、いちいち怒鳴らなくとも」と川島がたしなめた。「井上さんは、書いてあることを読んでるだけなんだから」
「十八日、仙台JTB切符引取、十五時五十分発、帰京。十九日、代休。二十日、出社、出張報告」
「果たされなかった予定というわけか」川島がしんみりと言った。「突然自分の命が断たれるとは夢にも思わなかったろうな」
「ちょっと待てよ、仙台JTBてのは何だ」
「交通公社の支店でしょう、そのくらいおれだって分かりますよ」
「なんで、仙台なんだ」
「そりゃ、仙台に着いてから電話ででも帰りの切符を予約して、スケジュールに書き込んだんでしょう」
「山中嬢はこの電子手帳は出張の直前に忘れて行ったと言わなかったか」
「それなら……多分東京から電話して置いたんでしょう」
「そんなまだるっこしいことをするより、普通は東京の緑の窓口ででも買うよ。それにその切符も無断キャンセルになった筈だ。とすると、これも記録が残っているかもしれない。もし、仙台JTBへの切符の注文が十五日以降、原田が仙台に行ってからだとしたら、電子手帳を忘れて行ったというのは嘘だという可能性が高くなる。それどころか、電子手帳を手に入れたいきさつによっては……」
「事件がひっくりかえる」と川島は呟くように言った。