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個人の予定が死によって果たされずじまいに終わった場合でも、それによって生じた不利益が帳消しになるわけではない。交通公社仙台支店の係員は、新幹線グリーン個室のキャンセル待ちをして、ようやく取れたという報せを受けたにもかかわらず、引き取りに現れなかった不届きな客のことを良く覚えていた。
「そういうことが確かにありました。注文伝票はもう捨てましたけどね、八月十五日に来店されて、切符がないんだったらキャンセル待ちできるかということでした」
電話での問い合わせに対して、不愉快そうな口調で彼は答えた。
「店に来たんだって?」と千葉は聞き返した。「そりゃ本当か」
「本当ですよ」むっとしたように係員は言った。「わたしが応対したんだから」
「分かりました。あとで写真を持って行かせますので、顔を確認してください」
「あの人、なにをしたんです」
「殺されたんだよ。知らなかったのかい」
相手は素っ頓狂な声を出した。
「へーえ、そりゃ来ないわけだ」
千葉は係員の名前と勤務時間を聞き出し、電話を置いた。そして次に鳴子のホテルに電話を入れた。ここでも現れなかった予約客のことは記憶されていた。
「ご自宅のほうの電話番号も伺っておりましたので、こちらから翌日電話したんですが、ご出張中ということで連絡がとれなかったんです。そうこうしているうちに、テレビで原田とおっしゃる方の死体が発見されたということを知りまして、そういう事情なら仕方ないとあきらめがついたような次第で……」
こちらのフロントは、地元だけに細倉の騒動を知っていた。
「予約は、電話だったすか」
「はあ、十五日に、電話で直接受けました。東京の原田俊一郎さん、大人二名。午後五時までに到着予定」
千葉は、いずれあらためてお伺いすると言い、それから礼を言って電話を切った。
「さて、手帳の記述は事実だったし、それも仙台に来てから書き込んだと考えられる」と千葉は言った。「ということは、山中百合は十六日には京都ではなく細倉に行って一仕事してたのか、電子手帳を奪ったのは中村で、山中はそれを譲り受けたか、いずれかだろう」
「京都のホテルにも電話してみましょう」と川島が言った。「電話代、かさんで済まないね。払うつもりもないけれど」
はるみは苦笑して言った。「いえ、どうぞ、必要なことは存じておりますから」
千葉は案内で番号を調べると、続けて今教わった番号を押した。
「……はあ、十六日、確かに二人チェックインしていますか。でも、見たのは一人だけでしょう。チェックアウトで二人分払いさえすれば、一人でもばれないんじゃないですか。え、朝食付きのパックで、人数はあってた……。すると、その部屋に二人泊まったのは確実ですか。はい、どうも」
千葉は受話器を置いて、考え込んだ。
犯行日が確定しないのが、ここに来て弱みとなっている。原田が殺害されたのが十六日だとすると、山中にもチャンスはある。午後三時に原田の心臓をちょいとひと突きした後、さっさと仙台空港まで行き、大阪行最終便に乗れば、京都で大文字を見てそのままホテルに泊まることは可能だろう。翌日は大原だろうが、栂尾だろうが好きな所へ行くがいい。ただ、中村は早めに帰って碁を打たなければならないから、殺害には参加できないことになる。彼の役目はせいぜい、あそこで殺せば死体は見つからないよという道案内程度か。
ただ、殺害が十七日だとすれば、山中百合にはアリバイが成立する。一日中友人と一緒だったと言うからには、よほど口裏を合わせない限り嘘ならすぐにばれる。もちろん裏は取らねばならないが、それをあえて言うからには事実と見てよい。したがって十七日なら、中村の単独犯行ということになる。
十六日なら山中百合の単独犯行−−それならなぜ、中村は供述をくるくると変えて時間を稼ごうとしているのか。十七日なら中村の単独犯行−−それならなぜ、百合は被害者の電子手帳を持っていたのか。
千葉は迷いを隠しながら言った。
「あのな、川島君、一度帰って貰おうかな。それで山中の髪の毛の分析を急いでやって貰え。それから、仙台の交通公社に原田の写真を持って行って裏をとるのと……これが問題だが、検事殿にわけを話して、中村の起訴をしばらく見合わせるように説得してほしい。もしかすると、ホシが入れ替わるかも知んねってな。この電子手帳を持って行って、見せてやれば納得するだろう」
「分かりました。困ったことになりましたね。部長はどうします」
「おれは、松戸に行って、隣に住んでいた子の供述を取る。場合によっては京都まで行かねっかなんね。署長にも説明して置いてくれ」
「分かりました。−−じゃ、井上さん、お名残惜しいがひとまず失礼します」
川島は電子手帳をポリ袋に包んで鞄にしまいこむと、わざとらしい挙手をして、さっさと出て行ってしまった。後には、腕を組んで苦悩に沈む千葉と、はるみが残された。はるみは、かつて自分の身辺を洗いに来た千葉に対しては、多少含むところがあったし、だいいち鈍重そうな見かけで実は油断がならない中年男というのは気詰まりだった。
「あの、お茶淹れて来ます」と言って、はるみは立ち上がった。
千葉は、ああだか、おおだか、妙な唸り声を出した。はるみの存在を忘れていたらしい。
はるみは湯沸室に行く途中、自分の席に立ち寄った。机の上にメモが置いてあった。手にとって見ると、氏家さんからTel、連絡せよとあって、その下に電話番号が書いてある。はるみはお茶を後回しにして、その番号をプッシュした。それは大手の広告社の番号で、メモを見なくとも記憶していた。
電話を取った女性に、ハイテク・リサーチの氏家と言うと、ほとんど待たずに真美が出た。
「どう、様子は」
「なんとか、電子手帳は読めました。−−やっぱり原田さんは仙台まであれを持って行ったみたいです」
「すると、百合さんは……」
「千葉さんたちは、怪しいと考えてるようです。川島さんはもう栗駒に帰って、中村さんの起訴にストップを掛けるとのことです」
「わたし……喜ぶべきなのかしら」
「でも、山中さんがやったという証拠も、中村さんが全く関係ないという証拠もありません。これから千葉さんはアリバイの確認に行くみたいですけど」
「そうね、警察に任せるしかないけど、どっちにしてもいやな気分。−−あの電子手帳はどうなったの」
「川島さんが証拠品として持ち帰りました。提出書はわたしのほうで書いて置きます」
「あの手帳、もっと子細に見れば、うちに不利益なこととか何か出て来るかもしれないけど、ま、しょうがないか。−−で、キーワードはやっぱり『ユーリン』だったの」
「いーえ、ところが違いました」
「でも、分かったんでしょう、教えなさいな」
「聞かないほうが良いと思いますが」
「何もったいぶってんのよ」
「キーワードは『マーミン』」
電話の向こうで、おえっというような声がした。
「……それ、わたしのことかしら」
「そうでしょうね、たぶん。故人の趣味がわかるでしょう。何日か、うなされてください」
ぶつぶつ言いながら、真美は電話を切った。
千葉が宮城に帰ったのは、それから三日後のことだった。千葉は真っすぐ古川の地検支部に出向いて、山中百合に関する捜査の報告を行った。髪の毛の分析結果は既に担当検事の手元にも届けられており、山中百合の頭髪が、死体の乗っていた車から発見された物と一致したことは検事も承知していた。
「前日、被害者は山中宅に宿泊しておりますから、衣服に山中の頭髪が付着する可能性もなきにしもあらずですが……」と千葉は断定を避けた。「ただ、京都を一緒に旅行したという元の隣人ですが、最初は東京駅から一緒だったと言っていたのが、ホテルのフロントは一人しか見ていないと問い詰めたら、あっさりと前言を撤回して、実は山中が京都のホテルに現れたのは夜の八時を過ぎていたと言い出しました。これなら、仙台空港から大阪行最終便に乗った場合の時刻に相当します。ただ、その便の乗客名簿に山中百合の名前はありませんが、乗務員に面通しすれば乗っていたことが証明できるでしょう。それに、被害者が身につけていたはずの電子手帳を手に入れた経路も、不明です。したがって、とりあえず重要参考人として、こちらに任意出頭して貰おうかと思うのですが」
「警察のほうの意見はまとまってんの」と若い検事は訊いた。「栗駒署長とか、庄子警部補とか、あの人達はどう思っているのかな。君ら、見込みでつぎつぎ送検して来られても困るんだよ」
千葉は一言もなく引き下がった。
署長は、庄子の強引さに負けて中村の逮捕状を取ってしまったことを、今になって後悔していた。憂鬱そうな表情で捜査会議の出席者を見回す。庄子は相変わらず自信満々の様子だ。千葉は自分の捜査に曙光が見えて来たせいか、ひところよりは血色が良くなっている。川島は相変わらずの好青年だし、なにやら自分一人ばかりが朽ち果てて行くような気がして来る。もっとも、鼻をほじりながらぼんやりと天井を眺めている鑑識係長も、なかなかの枯れぶりだが。
会議は、千葉刑事が山中百合の単独犯行説を述べて、着席したところだった。庄子は自分の書いたメモを読み返して、攻撃点をあれこれ検討している。やがて、署長、と呼びかけて、発言の許可を求めた。
「確かに山中が犯罪に加担したことは確かなようですが、それがすなわち中村の無実を証明するものではないと思います。当初からわたしが主張しておりました共犯説が証明されたとは考えられませんか」
「ですが、犯行が十七日とすれば、山中は被害者を監禁したり、殺害したりするのは無理です」と千葉が疑問を口にした。
「そんじゃあ、犯行は十六日だったんだ」と庄子はあっさり言った。
これには、千葉も署長も絶句した。犯行日は十七日であり、その日の中村のアリバイがないからと言って中村の犯行を主張したのは、庄子ではなかったか。庄子は事もなげに続けた。
「実行犯が山中で、中村が共犯でも構わないじゃないか」
「しかし、山中と中村は、別に利害が一致するとは思えませんが」
「そんなことはないよ。山中の場合はともかく、中村に動機があるのは確かだからな。もしそこに山中が、原田と別れたいとか、原田が外に女を作ったとか、そういった相談を持ちかけたとしたら、これ幸いとうまく言いくるめて殺させたということもあるだろう。じゃなかったら、あの車に、中村が同乗していたことの説明がつくまいが」
「中村は、ただ単に、細倉がいいところだから連れて来ただけだとしたらどうでしょう」千葉はどうしたらこれだけ頑固になれるのかと、うんざりしながら言った。「原田は山中と鳴子温泉に行くことにしていた。それなら折角だから、細倉に寄り道したらどうか、案内してやるからと、中村は、みずからかって出たのではないでしょうか。そして、細倉に着いたところで、お邪魔虫は消えますと、仙台に帰った。それと入れ替わりに、電車で来た山中が現れて、少し山のほうにドライブに行きたいなどと言葉巧みに人里離れたほうに誘い込み、犯行に及んだ。それから細倉まで下りて来て、あとは電車とタクシーを乗り継いで空港まで行き、大阪に飛んだと、わたしは現在ではそのように考えてます」
「だったら中村は、なぜそう言わないんだよ。自白してみたり引っ込めたり、おれたちをからかってるのか。あいつには、絶対なにかある。十七日の空白の時間も喋っていないじゃないか」
庄子は次第に興奮して来て、激しい語調で言った。署長は、二人の間を分けるように宣告した。
「君らの言いたいことは分かった。とにかく山中の話を聞きたい。任意でこちらに来て貰おう。千葉刑事と川島刑事はもう一度上京して、彼女を連れて来てくれ。もし拒否するようなら、逮捕状を取る」