28
 
 十一月一日、前評判だけでも今年の十大ニュースを食うと言われたSIVが、全国一斉に発売された。原則として完全予約制を取ったものの、何台か隠しストックがあるという噂が流れ、予約券を持っている者はもとより、持たぬ者までが早朝から電器店を取り巻く事態となった。最もラッキーな者は最も消耗を強いられ、SIV本体、ゲームアダプタ、通常ソフト、ゲームソフトと合計四回も行列に並ばねばならず、中には貧血を起こして救急車で運ばれるものさえ出た。首尾よく手に入れた者も、ソフトを一本見てしまうと、価格が五〇〇円と安価なこともあって抵抗なく次も見たくなり、もういちど電器店やソフト屋に出掛けた。そのため、行列がとぎれる間がなかった。
 センテックスやハイテク・リサーチの関係者にしても、発売大成功と浮かれている場合ではなかった。第二次発売を二週間後と決定したため、早くも全員がその準備に追われていた。こうして、その日は誰もが一日中なんとなく落ち着かない日だった。だから、地方紙の夕刊の片隅に載った記事に、目を止めた者は少なかった。
『細倉の会社員殺し、不起訴となる
  犯行時心神喪失のため』
 もちろん、この措置に納得が行かない者もいた。原田俊一郎の両親は、これでは息子が浮かばれないと、知り合いの弁護士に相談を持ちかけた。弁護士は検察審査会に申し立てを行うように勧めた。
 井上はるみも、この措置には首を傾げた。はるみの実地踏査の結果では、午後三時に原田を現場で殺害し、徒歩で細倉マインパーク駅まで降りて来て、タクシーのありそうな駅まで電車で行っていたのでは、午後六時の仙台空港発大阪行最終便にはぎりぎりの時間となる。車さえあれば、高速のインターも近いから、時間的にゆとりができる。はるみは、原田が車を借りたという駅前のレンタカーをあたってみた。推測どおり八月十六日、原田よりも一時間遅れて、山中百合が車を借りていた。その返却日は十八日、つまり京都から帰った翌日と記録されていた。レンタカーを仙台空港の駐車場に預けっぱなしで京都まで行き、東京に戻ってからまた仙台空港まで行き、それに乗ってわざわざ返しに来たのだろう。なぜそれほどまでして京都に行く必要があったのか。その上、仙台空港の全日空カウンターで訊いたところ、八月十六日の大阪行は、お盆のUターンラッシュで、どの便もほとんどキャンセルは出なかったと言う。それなのにすんなり乗れたということは、以前から航空券を予約していた可能性がある。これを勘ぐれば、計画的に逃げ道を用意して置いたとも思える。そして、計画的な心神喪失というのはあり得ない。
 しかし、たぶん、それだけ京都に行きたかったということなのよ。はるみは、そう考えることにした。そして、真美にもそのように告げた。中村さんは、無実。百合さんは、発作的犯行。もちろん、はるみからは警察に何も言わなかった。ただ、川島刑事からは電話が来た。
 −−ねえ、紅葉が終わるよ、と川島は誘った。遊びに来なよ。
 −−うーん、仕事が忙しいの。
 −−ねえ、はるみちゃん、誰かと付き合ってんの、と川島は単刀直入に訊いた。
 −−正確に言えば付き合ってないけど、とても気に掛けている人が大阪にいるの。この前出張したとき出会ったんだけどね。……ごめん、黙ってて。
 −−いや、なに、いいんだよ。はっはあ、君みたいな美人、ほかの男がほっとくわけねえっちゃ。はっは。
 異常に陽気な笑い声と共に電話は切れた。
 
 SIVに関する事故例は発売当日から報告された。水晶体を動かすことにより映像を消すことができること、つまりSIVを掛けながらほかのことができることを強調したせいか、その操作に不慣れな者の事故が多かった。もっとも悲惨な例は、オートバイに乗りながらSIVを掛けていて、ノーブレーキで赤信号の交差点に突っ込んでダンプと衝突した高校生だろうが、他にも電車のホームから落ちて間一髪助け上げられた奴、歩道橋の階段を踏み外した奴、側溝に落ちた奴など、枚挙に暇がないほどだった。
 センテックスの電話は、今度はこの手の苦情でパンクしたが、センテックスはそれは消費者の責任という線を崩さなかった。交通事故で、欠陥車に起因する以外に自動車メーカーが責任を問われた例はないというのが論拠だった。もっとも、第二次発売を前にして記者会見を行い、使用上の注意を喚起した。初心者の方は、まずご自宅で一、二時間練習なさってから外出なさるようにというもので、過去の事故例には言及せず、また、事故の責任は負いかねますと付け加えるのを忘れなかった。
 それにもかかわらず、事故は第二次発売の後もひきもきらず発生した。あるテレビ局は、センテックスの営業部長を招いて、吊しあげとも取れる座談会を開いたが、彼は次のように強硬に反論した。
 −−五〇年前は、人類はラジオを聞きながら車の運転ができるとは思わなかった。四〇年前は、テレビを見ながら飯を食うような芸当ができようとは誰も思わなかった。今、SIVを見ながら町を歩けないというのは臆病以外の何物でもない。
 そして若者達は、それを即日完売という形で支持した。
 
 十一月二十五日、仙台市で検察審査会が開かれ、被害者の両親が不服を申し立てていた原田事件が議題として取り上げられた。証人として担当検事のほか、捜査にあたった千葉刑事と、精神鑑定を行った医師も喚問された。千葉はあらかじめ知り合いの新聞記者や放送記者に声を掛けていたから、その様子は衆目に晒されることとなった。
「この被疑者には、極度の妄想、幻覚などが見られ、特に緊張下ではそれが著しいことから、責任能力を問うことはできないと思われます」
 医師の証言の後を受けて、千葉が発言した。
「被疑者の供述によると、被害者である原田俊一郎よりSIV試作品の提供を受け、それに耽溺した結果、激しい妄想と禁断症状に襲われたとのことで、実際に現在でも拘禁に耐えられない状態となっております」
 傍聴していた記者たちがにわかにざわめいた。SIVに絡んだ事故が頻発していることは、社会問題となりかけている。そこにこの発言が発表されれば、どのような騒ぎになるか、容易に想像できた。千葉は、それらの私語にも負けないように張りのある声で続けた。
「さらに、捜査の過程で判明したのですが、今年の四月、仙台市一番町で発生した通り魔事件においても、その犯人はSIVの耽溺者であったと思われます。二人を殺害し多数に怪我を負わせて現場で自殺した平田健二は、センテックスのSIV開発担当であり、自らテストを繰り返したあげく、精神に異常をきたしていたことが、内部の方の証言で明らかになっております」
 気の早い記者が部屋を飛び出した。一人を殺した女が不起訴になるかどうかよりも、SIVブームに水をさす千葉刑事の発言の方がニュースバリューは大きかった。千葉はそれを見て唇の端に笑みを浮かべた。彼は、自分の隣に座っている栗駒クリニックの医師が、偽名で来院した平田を軽い精神分裂病と誤診したことも、また、院長が偽名の自費患者について収入の計上を失念していたことも言わなかった。そういう約束だった。
 
 翌日は各紙ともこのニュースを大きく取り上げ、その内容はセンテックスを批判する論調に傾いていた。それは、SIVを商売敵とみるテレビにおいてはさらに露骨で、各局とも平田の通り魔事件の映像と、SIVを掛けながら衝突死した事故の現場や家族の泣き顔、SIV欲しさに電器店に強盗に入った中学生グループ、SIVを掛けながらディスコで踊り狂う若者などの映像を編集し、繰り返し放映した。もちろん、アメリカの麻薬禍を引き合いに出すのを忘れなかった。ご丁寧なことにゲストとして呼ばれた医学評論家と称する男が、SIVには脳内エンドルフィン、すなわち麻薬類似物質を異常に分泌させる作用があるのでしょうと無責任な憶測を述べ立てた。
 そして、さらに次の日には国会の予算委員会でも取り上げられ、通産相が、善処致しますと答弁するに至った。
 
 十一月二十八日の夜、第三次発売を前にして中村が久々に上京して来た。宿を頼むと連絡を受けていた氏家真美は、井上はるみとともに自宅で待っていた。
「やあ、皆さんお久しぶり」と中村は土産の笹蒲鉾を出しながら言った。「ムショ帰りで、凄みが出ただろう」
「凄みというより腹が出たわね」と真美が言った。「ま、お務め御苦労様でした。どうぞ奥へ」
 中村が着替えて来ると、三人はキッチンで食事をとった。食べながら中村は、明日は楽しい会議だと言った。真美も、うちも会議なのと、うんざりしたように言った。その後は誰もがあまり喋らなかった。食事が済むと、お茶を注ぎながら、はるみが中村に言った。
「今夜は、お訊きしたいことがあって待ち伏せしていました」
 中村は目を上げた。
「訊きたいことは分かってるよ。兄貴の井上弘志のことだろう」
「やっぱり、ご存じだったんですね」
「SIV発明者だからね、知らないはずがない。だが、今どこにいるかは知らない。はるみちゃん、おれが弘志を殺して埋めたと思ってただろ」
「いえ、そこまでは……」
「じゃあどこまで考えていたのかな。−−おれが、彼の存在を否定したのは、彼に誰にも言わないでくれと頼まれたからなんだぜ」
「誰にもって、家族にもですか」
「特に家族には、だろうな。あの頃、君の家、おやじさんが投機に手を出してお金に困ってたらしいな。ところが、彼が行方不明になったとたん、多額の負債は帳消しになって、君は何の事情も知らないまま大学をやめずに済んだ。……もっとも、その兄貴を捜すために大学を中退したのは皮肉としか言いようがないが。その金は、弘志が自分のキャリアと引き換えに作ったものだった」
「どうして−−そんなに詳しくご存じなの」
「相談を受けて、そうするように勧めたのはおれだったからね」
「そうするようにって……」
「金に困っていると言われて、センテックスはSIV、当時はPIVか、それの契約金を支払って、弘志は大学院に在籍しながらセンテックスの紐付きの研究をしていた。ところが、おやじさんは先物取引にとことんのめり込んで行った。とてもセンテックスでは面倒見切れないと言うところまで行って、おれはアメリカに渡るように勧めたのさ。幸い、あっちのDECに知り合いがいてね。このまま日本に居たんでは、よそに行ってもセンテックスの模倣と言われるだけだが、アメリカなら、軍事用に使って貰える可能性がある。そしたら、契約金は段違いだろう。その代わり、彼は軍事機密の壁に隠れて、表舞台には出られなくなるだろうが」
「すると……」
「なんとかなったらしく、弘志が送って来た金で、おやじさんの借金は、おれが代わって清算した。ところが、安心したのか、息子が消えてがっくり来たのか、ぽっくり亡くなったのは気の毒したけど。結局彼の行為はほとんど無駄になってしまったわけだ。うん、きみのことはいろいろ聞いてたよ。自慢の妹だもんな」
 はるみは、意外な話に何も言えず茫然としていた。真美が、見かねて口を出した。
「それなら、お兄さんはまだあっちにいるのかしら」
「連絡がないから何とも言えないが、少なくとも、細倉で見つかった死体は彼ではない。あれは−−」と言いかけて、中村は口を噤んだ。不自然な沈黙が漂った。
「あの人の身元、ご存じなんですか」と、はるみが言った。
「知らないよ。−−と言っても、その顔は信じてないな。そう、今から四十年ほど前、この小父さんがあどけない学童だったころ、あの縦坑のある廃坑は、入ったら二度と出ることができない恐怖の洞窟で、いたずらをするとよく親に言われたもんだ。おめみてな奴は、あの穴にほうり込むぞってね。いや、怖かったねえ。長じて後も、その植え付けられた恐怖体験は十分記憶に残っておりまして、酔っ払って気にいらんやつにはよく言ってやった。てめえ、細倉の廃坑にぶっこんでやろうかって。−−ところが、何年前だったか、開発部の若い奴で、それ、どこにあるんですかって真顔で訊いて来たのがいた。おれは根っから親切だし、故郷のことだから、喜んで教えてやったよ。そしたら、そいつ、しばらくしたら忽然と姿を消した。寮の部屋に書置きがあった。遠いところに行くって」
「それじゃ、その人が……」
「一つの可能性を言っているだけだよ。おれだってそんなことがあったことを忘れていたし、細倉で死体が上がったことは知っていたが、結び付けて考えたりはしなかった。刑事に言われて初めて、もしかしたらと思ったくらいだ」
「警察には言わなかったんですか」
「言わないさ。これ以上トラブルの種を提供することもないだろう。それに、あれはもはや誰とも確定できないんだろう。それなら、そっとしといたほうがいい。死んだ者もそう望んでいるんじゃないか」
「その、行方が分からない方もSIVの開発にあたっていたのでしょうか」
「さあ、どうだったかな。忘れたよ」
 これ以上話すことはないと言いたげに、中村は横を向いた。はるみはその横顔の皮膚を通して、男の身勝手さが透けて見えるような気がした。
 はるみは、ふと思い付いたことを口にした。
「山中さんに、八月十六日の仙台・大阪便の飛行機の切符を送って上げたのは、中村さんですか?」
「……千葉に聞いたのか」と中村は不機嫌そうに言った。「その事件はもう解決したはずだ」
 否定しない中村に、はるみはやや強い声で言った。
「そうでしょうか。千葉さんは、まだ納得していないと思います。……わたしもですけど」
「なら、勝手にするさ」
 中村は一層依怙地に押し黙る。はるみは、立ち上がって小声で真美に謝った。
「ごめんなさい、怒らせたみたい。わたし、もう帰ります」
「大仏様が一個できちゃったわね。まあ気にしないで、何とかする」
 真美は、はるみを玄関口まで見送った。
「お兄さん、アメリカで元気にしてるといいね」と真美は別れ際に言った。はるみは不意に物が言えなくなって、黙って頭を下げた。
 その夜は、すっかり無口になってしまった中村を居間に残して、体力勝負だからねと自分に言い聞かせ、真美は一人さっさと床に就いた。明日の会議は面倒なことになりそうな予感がしていた。
 夜半を過ぎたころ、中村が真美の布団にごそごそと潜り込んで来た。真美は夢うつつのまま、その身体を抱き締めてやった。中村も黙ってそのまま眠りに落ちて行った。
 翌朝真美は、ワイシャツとズボンを着けたまま自分の側で眠りこけている中村を見て、つくづく呆れたように言った。
「SIVの幼児教育番組でも見たほうがいいんじゃないの」
「うーん、今、計画中だ」と中村は言った。「発売は来年四月」
「それまであんたの首がつながっていたらね」
 真美は中村を放っておいて、朝食の支度を始める。いつものように、中村が洗面を済ませてキッチンに顔を出したころには、真美は出社の支度にかかっていた。
「中村さん、これ」と真美は言って、鍵を中村に渡した。中村は不審そうにそれを受け取る。その表情を見て、真美は続けた。
「ここのスペアキーなの」
「ええっ、鍵は誰にも貸さないんじゃなかったのか」
「今日は特別。会社でどんなことになっても、ここに帰って来てね。わたしもできるだけ早く帰るようにする。お願い」
 たぶん、二人で慰めあわなければならないようになるから、と真美は思った。だが中村は、まだ訝しげに首を傾げながら、鍵を掌の中で弄んでいた。
 

NEXT BACK HOME