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センテックス社の役員会議は、冒頭から中村を黙殺する形で始まった。まず常務が、SIVの販売状況や、発売以来報告された事故の類いを淡々と読み上げ、次に副社長が、通産省から出された行政指導について説明した。
「つまり、SIVの販売を自粛しろということです」と副社長はまとめた。「現在のところ強制力はありませんが、逆らえばあらゆる便宜措置を停止される恐れがあります。いずれにしても官庁相手に勝ち目はありません」
副社長は初めから全く闘う意志はなかった。これを受けて専務が発言した。
「もしここで販売停止に踏み切った場合の損益を、お手元の表に試算しております。−−問題は、SIVを販売停止にしたとき、既に販売した分を回収するのかどうかということです。これは、所持者の判断によりますが、ソフトが供給されているうちは、まず殆どの人は苦労して手に入れたSIVを手放そうとしないのではないかと思われます。ソフトディスクは三回も使えば汚れて使いものにならなくなるのはご存じの通りですが、早くも海賊版が出回っております。最も粗悪なものは、フィルムにゼロックスしただけのものですが、都心部では写真製版したものもあると言われております。ということは、公式にはソフトの供給を止めたとしても、裏での供給は当分続くと見ていいでしょう。また、現在センテックスとしてはソフトを全面的にハイテク・リサーチに委託している以上、この方面での販売停止による損失は殆どありません。従って、有償引き取りを期限を切って行えば、回収率は低くて済み、丸損という事態にはならないと思います。工場のラインは多少の手直しにより、ポータブルCDプレーヤーのラインに変更できます。−−従って、わたくしは、即時販売停止に賛成するものであります」
他の取締役たちも黙って頷いている。中村は矢も盾もたまらず立ち上がった。
「ちょっと待ってください。どうしてこういう話になってしまったのですか」
副社長が言い聞かせるように言った。「中村君、きみはあちらの世界にいたから、情勢に疎いかもしれないけどね、センテックスに対する風当たりは日々きつくなって来てるんだよ。SIVを掛けた運転者の交通事故、それから君のやった人体実験」
「人体実験なんかしてない」と中村は言った。「誰がそんなでたらめを言っているんだ」
「きみこそ口に気をつけたまえ。ただの部長が、どうして役員会に呼ばれていると思っているんだ。センテックスの顔に泥を塗った張本人が、何を一人前のことを言っとる」
「まあ、言い分があるなら聞こうじゃないか」と社長が公平さを装って、間に入った。「わざわざ来て貰ったのは、開発者の意見もあろうかと思ったからだ。懲役で鍛えた腕っ節の強さを見せて貰うためじゃないよ」
何人かがわざとらしい笑い声を上げた。中村は屈辱を理性で押さえ込み、出来る限り冷静に語り始めた。
「役員の皆様のお話しを伺っておりますと、SIVの販売停止は既に決定事項のように受け取れますが、それは我が社にとっても、いや、国にとっても大きな損失だと考えます。まず、開発途上の機械はともかく、現在の市販タイプは使用している波長も単一に選定してあり、光軸も完全に調節されておりますので、巷間に噂されておりますような、幻覚や習慣性などは全くありません。それに、ここでもし供給を停止しても、ソフトだけではない、ハードにしても一月後には模倣品が香港などから入って来るでしょう。そして、それがもし粗悪品だったら、どうなりますか。幻覚その他の副作用が現実のものになってしまう。習慣性もあったとしたら、現在の麻薬のように闇ルートでブラックマーケットを形成することになるでしょう。−−ですから、ユーザーの強い要望がある以上、企業の責任として、良心的な製品の供給を続けるべきです」
「しかし、問題はセンテックスの名前だよ」と、副社長が口を出した。「技術屋というのは目の前に設計図をおいてやると、悪いことと知りながら、原爆でも毒ガスでも作らずにいられないからな。今は企業にも倫理が求められる時代だ。中村君はそこのところが分かってないな」
「分かってないのはあんただ。センテックスは、技術を売る会社だったはずだ。いつから役人の鼻息を伺い、マスコミに叩かれればへいこら頭を下げる幇間に成り下がったんだ」
「ああ、教えてやろうか、君が逮捕されて以来さ」
「いい加減にしてくれ」と社長が言った。「そんな愚にもつかん議論より、どうしたら損失なく撤退できるか考えてくれよ」
「社長−−」中村はそちらに向き直った。「今、何と言われました。やはり販売停止は既定の事実なのですか」
「……まあ、そう言うことだ」と社長はばつが悪そうに言った。「会社の経営上、やむを得ない措置だ」
「分かりました」中村は机の上の書類をまとめながら言った。「そう言うことなら、わたしは余計者です。退席させていただきます」
「おい、勝手な真似をするな」社長は威厳を取り繕って言った。「出て行くつもりなら、君の戻る席はなくなるぞ」
中村はちらりと社長を見たが、黙って出口に向かった。その後ろ姿に副社長が声を浴びせた。
「中村君、帰りに総務に立ち寄ってな、退職金を計算して貰うのを忘れんようにな。功労金も出ると思うよ」
それに続いて笑い声が巻き起こった。
氏家真美は胸騒ぎがして、昼休みにセンテックス本社に電話を入れた。中村部長は帰宅したという返事だった。真美は続いて、自分のマンションに電話を掛けた。呼び出し音が繰り返されるばかりで、誰も出なかった。
真美は午後からの会議では殆ど放心状態だった。もっとも、こちらも中村と同様、発言を求められる立場ではなかった。真美は、どうして今日に限って、中村に鍵を渡してしまったのだろうとそればかり考えていた。
退社時刻になると、真美は頭痛を理由に定時で会議室を後にした。それを引き留める者もいなかった。
真美は駅から小走りのようにして自宅に向かった。震える手に左手を添え、鍵をあける。玄関に中村の靴はなかった。真美は少し安堵して、部屋を順に見て回った。ただ、浴室を開けるときは勇気が要った。浴槽の中に、血まみれで手首を切っている中村がいるような気がした。誰もいないと確認して、真美は思わず声に出して言った。
「あいつ、本当に帰宅したのね」
真美は勝手に慌てた自分に苦笑しながら、寝室に入った。そして、片隅の鏡台の上に一枚の紙を見付けた。それは、中村の走り書きの置き手紙だった。
『おれはアメリカに行って、弘志と一緒にSIVとVニュースをやる。必ず日本に逆上陸してみせる』
真美はその手紙を持ったままその場に座り込んだ。
まったく、いつまでも夢みたいなこと言って、と真美は呟いた。狙うは世界征服ってわけなの。
真美は一人で肩を震わせていた。泣いているのか笑っているのか、自分でも分からなかった。
帰省ラッシュが始まる前にということで、はるみは十二月半ばの土曜日に栗駒に向かって旅立った。「くりこま高原」で新幹線を降り、タクシーに乗って築館町内で花屋を捜して貰った。それから栗駒警察署と運転手に指示すると、意外そうな顔も見せずに快活な返事が返ってきた。
窓の外はすっかり冬枯れの様相を見せ、刈り取られた後の田圃が黒々と広がっている。車は三十分もしないうちに警察署に横付けされた。受付に会釈をして、勝手知った二階の刑事課に昇って行く。千葉刑事が一人残って書類仕事を片付けていた。
「おう、来たか」と千葉は顔を上げた。「電話くれれば迎えに行ってやったのに」
「そこまでしていただく訳には……」と、はるみが言いかけたとき、ドアが開いておばさんが入ってきた。
「あーら、井上さんだったわねえ。寒くなったでしょう」
「こんにちは、おばちゃん。−−あのね、これ、東京のおみやげです」
はるみはボストンバッグから菓子折りを取り出した。
「そんな気ぃ使わねで。あら、きれいな花だこと」
「井上さん、おばちゃんってその人、巡査部長だで」と千葉が言った。「刑事課の紅一点だ」
はるみは、唖然として、続いて真っ赤になった。
「ごめんなさい、川島さんがおばちゃんて言うからすっかり……」
「いいのっしゃ、わたしはみんなのおばちゃんなんだから。お茶淹れて来るよ」
おばさんが部屋を出て行くと、はるみは千葉に突っ掛かった。
「川島さんはどこです。文句言ってやるわ」
「さあ、どこかな。井上さんが来るって言ったら、用事もないのに飛び出して行ったな。もう今日は帰らないそうだ」
はるみは、急に居心地が悪くなった。
川島に替わって、今日は千葉がジープのハンドルを握った。はるみは、中村や氏家真美の近況を話した。
「中村さんはセンテックスを辞めて、アメリカに発ちました。シリコンバレーで一旗あげるつもり。あの行動力は羨ましいな。氏家さんも、SIVソフト事業の失敗で役員を解任されて、会社も今年一杯で辞めるそうです」
「……んで、どうすんの」
「あのひとくらいになると、引く手あまたですから、仕事をするつもりなら困らないでしょうけど、一年くらい休みたいって言ってる。でも、わたしの見るところでは、ひと月も休んでいたら、欲求不満でヒステリーになるでしょうね」
はるみは横目で千葉の表情を伺った。千葉はふーんと生返事をしながら運転している。
やがて車は、一軒の家の前に停まった。千葉がクラクションを鳴らすと、小学生の男の子が玄関の戸を開けて出てきた。後ろに母親らしいひとの影が見える。男の子がジープの後部に乗り込むと、千葉は言った。
「紹介しよう。廃坑の仏さんと原田さんを発見した、お手柄の佐藤優君だ。こちらは、東京から来られた井上さん」
はるみは、にっこり笑って挨拶した。優は、東京から来たきれいなお姉さんに圧倒されて、声も出なかった。
それからジープは山道を登った。そして、まず原田の車が放置されていた場所に花束がひとつ置かれた。続いて細い道をさらに登りつめ、廃坑の前に到着した。
はるみは車を降りると、フェンスで閉ざされた坑口に花束を置いて手を合わせた。
「お兄さんじゃなくて、よかった……と言っていいのかな」
立ち尽くしているはるみに千葉が声を掛けた。
「でも、この方もかわいそう。身元の確証がなくて、結局、中村さんの言っていたご家族も引き取らなかったそうね」
千葉は諦めたように首を振り、煙草に火を点けた。
「約束を果たせなかったなあ」
千葉の呟きに、はるみは聞き返すようにその顔を見た。
そして、そのはるみの横顔に、優はまだ見とれていた。
(了) 91.8