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 中村康夫は取締役連中の頭の固さにほとんど苛立っていた。十七年程前、ベンチャービジネスからスタートしたセンテックスであるから、役員と言っても若いものだ。それなのに昨今の好況ですっかり守りの姿勢に入っている。銀行から派遣されている副社長はまあいいとして、技術担当の常務ですら社長の鼻息を伺っている。これじゃなんのための会議だ。いつからこの会社は社長の私企業に成り下がったというのだろう。やはり仙台から東京に本社を移したのが誤りだった。中村は立ち上がって発言する。
「ですが、SIVを次期主力製品とするという方針はすでに前回の会議での決定事項のはずですが。それを今更BSチューナーに変えろと言われては開発部の立場がありません。わたしだってどの面さげて仙台に帰れますか」
 副社長がただちに反発した。
「君、そう言うけど、NIESブームが去った今、消費者の高級機志向は高まっとるよ。あえて冒険するよりも、既製のものを高級化する路線の方が安全じゃないか。それにこの間の会議で多少欠陥が残っているから時間が欲しいと言ったのは君じゃないのかね」
「確かにそうは申しましたが、路線変更となると認めるわけには参りません。それに主要な欠陥はすでに解決しております。本日は最新の試作品も持って来ております。どなたかモニターしてみてください」
 中村は熱を込めてそう言い、紙袋から小さい段ボールの箱を取り出した。
「僕はいやだよ」と専務が言った。「この間の試作品じゃすっかり酔っぱらっちゃって晩飯も食えなかった」
「そうだな、三〇分以上頭痛も起こさず我慢できたらもう一度検討しようか」社長が中村の顔を立てるように言った。「わたしが見てみよう。ちょっと貸してくれ」
「社長、三〇分やれたらゴルフボール半ダース差し上げますよ」と常務がおもねるように言った。
 中村は段ボール箱を開け、ヘッドセットとディスクマンほどの小さな機械を取り出した。
「ほう、随分コンパクトになったな」
「入れ物はまだ小さくできます。シートディスクの径は8センチで十分ですから」
 中村はそう言いながら機械を持って社長に近寄った。
「ヘッドセットもFRPにして軽くしました。装着した感じはいかがですか」
 社長はサンバイザーのようなそれを頭にかぶり、目庇を下ろす。目の前に半透明のゴーグルがセットされた。
「オフの状態なら視界はサングラスと同程度かな。あまり気にならんよ」
「若く見えますよ、社長」と常務が言う。
「ロボコップ」と誰かが言った。社長は声のしたほうに顔を巡らす。
 中村は話が逸れるのを恐れるように、本体部を社長の目の前に置いた。
「これが本体で、ここを押すとウインドウが開きます。ここにシートディスクを挿入します」
 中村はプラスチックケースからシートを一枚抜き出してそこに宛てがう。シートはたちまちウインドウに吸い込まれた。中村は社長の後ろに立ち、跳ね上げてあったイヤーマフを下ろした。
「わたしの声も聞こえますでしょう」
 社長は黙って頷く。
「では、スタートします」
 中村は本体に手を延ばしてスイッチを入れた。かすかに回転音が聞こえる。社長は黙ったままじっとしている。
「もう、始まってるのか」と副社長が不審げに言った。
「ええ」と中村が答える。「音漏れはほとんどカットしました」
「夏は少し暑そうだな。耳覆いも眼鏡も」
「そうですね、デザインはまだ改良の余地があると思います」
 会話はそれで途切れた。全員がヘッドセットをかけたままの社長を注視している。そのまま何分かが過ぎた。
「馬鹿みたいだな、こりゃ」と専務が言った。「僕らは何をしてるんだ」
 中村はにやりと笑った。
「そこが狙い目です。もし隣にいる人がこのSIVを着けて夢中になっていたら、たいていの人は好奇心を抑えられないと思います。それはそんなに面白いのか、と彼は訊くでしょう。面白いよ、とそいつは答える。だけど一人用だし、今使っているから貸すわけに行かないよ。それで彼はどうするか。直ちに最寄りの電機屋に飛び込むってわけです」
「そううまく行くなら苦労はないよ」と副社長はいかにも苦労人のような声で言った。「ところでSIVってなんの略だっけ」
 中村はこいつら覚える気があるのかと情けない思いで、一語ずつ押し出すように言った。
「ステレオ・イメージ・ヴュアー」
 そのとき社長が頓狂な声を上げた。
「うん、こりゃいいわ。中村君、これで行こう。−−なあ、今度『青い珊瑚礁』のソフトを作ってくれんか。ほら、若い頃のブルック・シールズの出てるやつ」
 
 氏家真美もまたいらだたしさを押し隠していた。そう簡単に情報が入るはずもなかったし、センテックスと言えばノーマークに近かったのだからコネも中村以外には確保していない。その中村がビジネスとして交渉して来るのであれば、事前にその内容を把握していて、ああ、そのお話なら私共でも内々で検討しておりましたと言うのと、全く初耳でした、一から教えて下さいと言うのとでは値切られ方にもイニシアチブにも大きな違いが出てくる。
 仙台に出張させたはるみからは今日のところは収穫なし、また明日連絡するとホテルから電話があった。ところが原田に至っては、知り合いに当たって情報を仕入れて来ると言って社を出たきり電話もよこさない。全く近ごろの若い奴は、と真美はひとり舌打ちをした。だいたい、もう夜の十二時を過ぎているのに中村さえ帰って来ない。本当にカプセルホテルに行ったのかしら、それとも遊び歩いているのかしらと真美は考え、どうでもいいのよ、あんなやつと首を振った。しかし、ビジネスの対象としてなら話は別だ。いざとなったら明日センテックスに電話を入れようと真美は決めて床に就いた。
 
 翌朝原田は明らかに寝不足の顔をさげて出社して来た。
「どうしたの、やつれちゃって」
「仕事です、仕事。調査費、認めて下さい」
「結果しだいね。なにか掴めたの」
「うちからセンテックスに派遣した社員と、バイトを紹介した登録社員とをしらみつぶしにあたりました。そのなかに、これはと思うのがあって、飲みに連れてったんですが、いやとんでもないうわばみで、ぐいぐい飲んだはいいが、そのあとゲロの世話までさせられて……」
「ちょっとちょっとぉ、いいかげんにしてよ」
「僕だっていいかげんにしてほしいですよ。でも彼女のお陰でヒントくらいは掴めました」
「彼女って、それ女の子なの」
「そりゃそうですよ、うちの派遣社員はほとんど女性ですから。おんなが飲むくらいで驚いてるんですか、氏家さん」
 あんたが女の子に親切している図に驚いたのよ、と真美は思った。「ま、それでなんか分かったの」
「SIVという言葉、聞いたことないですか」
「何かの略語かしら。SDIとは違うわね」
 原田は首を振った。
「ステレオ・イメージ・ヴュアーだそうです」
 真美は続きがあると思って原田の顔を見たが、彼は何も言わない。「それで終わりなの」と真美は言った。
「はあ、今のところは」
「たいしたヒントね。──それが新製品の名前ってわけ」
「そうじゃなかったら、BSだそうです」
「それは分かるわ。衛星放送でしょ」
「彼女の話によると、一月ほど前に社長と副社長がSIVかBSかと言う大論争をやらかして、会議室の様子が筒抜けだったそうです。もっともどういう機械だとかの議論はなくて、どっちが売れるかという低次元の話だったため、製品の詳細については、いまいち……」
 真美は溜息をついた。
「モトローラあたりで、バーチャル・リアリティってやってたわね。コンピュータ画像の立体化で、単に疑似体験だけじゃなくを、人間の動きもリアルタイムでシミュレーションに取り込むの。日本のメーカーも最近手を出してるけど││あんな物かしら」
「それじゃセンテックスにとっても二番煎じになるでしょうし、需要からいえばどうですかね」と原田が言った。「僕は家庭用ホログラフィじゃないかと睨んでいるんですが」
「その子はどう思ったのかしら」
「なんにも」と原田は肩をすくめた。「頭はからっぽ」
 彼女を抱いたな、と不意に真美は悟った。
「とにかく調査は続けてちょうだい。多方面から」と真美は釘をさした。
 
 その日の夕刻になって、仙台のはるみから真美に電話が入った。「宮城野区にあるセンテックスの工場では年明けから新しい棟の建設に入っています。新年度からのパート募集も熱心で、新製品を出すのはやはり間違いないようです」
「その内容は分かるかしら。原田君の話ではステレオ・イメージ・ヴュアー、略してSIVだと言うんだけど」
「商工会議所その他公的機関では何も掴めませんでした。ただ、地元の新聞社の話では、センテックスではレーザーディスクのコンパクト化に成功したという噂だそうですが、公式には発表していません」
「とすると、やっぱりポータブルLDテレビってとこかしら。ありがとう、だんだん掴めてきたわね。中村さんの思いどおりにはさせないわ。そっちはどう、あと何も探れないようならもう帰ってもいいのよ」
「ひとつお願いがあるんですが」と、はるみは切り出した。「実はこっちでひとり身元不明の死体が発見されたもので、実は明日にでも確認に行こうかと思うんです」
 真美は少し言葉に詰まった。五年ほど前に、はるみの兄が突然行方不明になったというのは聞いていた。はるみがハイテク・リサーチに入社したのはそれ以後のことだから細かい事実関係までは知らないが、大学院で電子工学を研究していた彼は、なんの痕跡も残さずにアパートの部屋から姿を消したという。
「でも、お兄さんは筑波の大学に行ってたんでしょう」と真美は言った。「別人じゃないの。きっとどこかで元気にしてるわよ」
「ええ、そうだといいんですが、新聞の記事を見たとき、何か胸騒ぎがしたんです。オカルトなんて信じる私じゃないんですが。わがまま言ってすみません」
「いいのよ、一日や二日くらい。出張にしとくから。それでね、ついでに中村部長の私生活をちょっと探ってくれる。いじめる材料にするから」
「はい、分かりました」と言ってはるみはくすくす笑った。「また明日連絡します」
 電話が切れた。真美は受話器を下ろして椅子を回した。
 さて、と真美は考えた。たとえ相手が恋人の中村とは言え、利用されるだけではつまらない。どうしたら新製品の尻馬に乗って稼ぐことができるか。
 これからでは時間が足りないなと真美はすばやく判断し、受話器を取ってボタンをたたいた。
「センテックス、東京本社でございます」
「ハイテク・リサーチの氏家と申します。そちらに、仙台支社の中村部長様がご出張と伺っておりますが、お呼び出しいただけますでしょうか」
 少々お待ち下さいと言って電話は保留された。工作には一日でいいだろうか、と真美は考える。あまり延ばしたら不自然だ、しかし一週間は東京にいると言ってたな、あさってあたりにしよう。
「お待たせ致しました」と同じ女性が言った。「申し訳ございませんが、中村は会議中とのことで、ご伝言があれば承りますが」
 これは好都合、と真美は思った。「実は調査関係でお目にかかるお約束でしたが、部長様もお忙しそうですので、明後日にさせて戴きたいとお伝え戴けますでしょうか。時間についてはご承知と存じます」
「かしこまりました。ハイテク・リサーチの氏家様、明後日ですね」
 きちんと相手を確認してから電話が切れた。
 真美は机いっぱいに紙を広げ、思い付くプランを猛然と書きなぐり始めた。彼女は自分が生き生きしていることを感じていた。
 

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