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 ハイテク・リサーチを訪れていたセンテックス開発部長の中村に、仙台支社から電話が入ったのは午後三時を過ぎた頃だった。主要な協議は既に終わり、契約書の作成や具体的計画の立案など、実務的な作業が残されていた。
 はい、中村ですと言って受話器を取ったその顔が見る見る蒼ざめた。ほんとか、ほんとかと何度も聞き返すのを見て、氏家真美はただ事ではないと思った。
「どうなさったんですか」真美は中村が受話器を置くと間髪を入れずに訊いた。「お宅にご不幸でも?」
 中村は首を振った。
「もっと悪い」と言って辺りを見回す。「テレビはありませんか」
「会議室か食堂になら。−−事故ですの?」
「この時間じゃニュースはやってないかな。実はウチの社員が殺人の現行犯で捕まったと言うんです。−−それも、仙台で」
 真美は予想外の答えに絶句した。中村は唇を噛んで机のうえの書類をまとめ始めた。
「とりあえず仙台に帰らないと。一度本社に戻って常務に引き継ぐとして、詰めの作業には明日誰かをよこします」
 真美はかける言葉もないままブリーフケースの口を開いて差し出した。中村は手早くそれに書類を突っ込み、椅子に掛けていた上着を羽織った。
「じゃ、詳しいことが分かったら電話する」中村は真美の目を見て小さい声で言った。
「お願いね」と真美は言った。「SIVに影響がなければいいけど」
 中村はきっと表情を変え、熱っぽい口調で言った。
「そんなことは絶対にない。いや、おれがさせん。−−絶対に」
 真美は中村の豹変ぶりに、知らない一面を垣間見たような気がした。真美は先に立って応接室のドアを開けた。
「送っていただくには及びませんよ」
「ちょっとテレビ見てみるの。中村さんは?」
「僕は本社に行くよ。そのほうが確実だ」
 中村は手を挙げて応接室を出て行った。真美はその後ろ姿を一瞥してから会議室に向かった。そっと中を覗いて見ると、幸い誰も使っていない。真美は部屋に入ってプロモーションビデオの試写に使っている三十二インチのスイッチを入れる。お昼のワイドショーが終わりにさしかかっていて、今日のニュースのおさらいをしていた。
「何と言っても今日の大事件はこれでしたね」とキャスターがわざとらしく眉をひそめて言った。画面が血痕の飛び散る商店や舗道の絵に切り替わる。
「異常者の殺人、怖いですね」
「はい、それにしても、犯人を取り押さえた井上はるみさん、お手柄でした」と相方の女性アナが答え、画面に昂然と顔を上げて警察署に入るはるみのスチールが出た。
「あらら」と思わず真美は声を出した。「何のこっちゃ」
 テレビの話題はすぐに変わって、どこかのニュータウン造成工事で役人が収賄とかいうニュースとすら言えないことを始めた。真美はテレビを消してあれこれ考えながら会議室を出る。その途端、ぱたぱたと駆けて来た女子社員と鉢合わせしそうになった。
「あら、ここにおられたんですか」と彼女は言った。「お電話がかかってます、井上さんから」
 真美は頷いて自分の席まで走った。
「井上です」真美が受話器を取ると相手が言った。「実は大変なことになっちゃって」
「殺人事件があったらしいね」
「ニュースでやってました?」
「うん、それにいままでここに中村部長がいてね、彼のところにも電話が来たのよ。どういうことよ、はるみのお手柄って」
 はるみは手早く自分が目撃したこと、犯人と闘ったことと彼の自殺、証人として警察で聴取を受けていたことを説明した。
「でも、あの人がセンテックスの社員だったなんて、刑事さんに聞くまで全く知りませんでした」
「どうしてそんなにすぐ身元がばれたの。……つまり犯人は裸だったんでしょ」
「最初に入った金物屋にお財布が落ちてたそうです。そこに身分証と名刺までいれてたから、初めから隠すつもりもなかったらしいって。それに服も第二の被害者を襲った後で脱ぎ捨てたんだそうです」
「つまり、性的な異常者じゃないのね。テレビのニュアンスとかなり違うな」
「刑事さんは覚醒剤の幻覚症状に似てるって言ってました。皮膚を虫が這い回る感じになって服を着ていられなくなり、裸になってしまうんだそうです。でも、身体を調べても注射の痕もないし、家宅捜索しても薬はなかったらしいですね。たぶん単純な精神障害ということで処理されそうです」
「単純ったって……やられたほうも災難ね」と真美は溜息をついた。「これでセンテックスの評判が落ちなきゃいいけど。−−それでこっちの問題はあんたよ。この銭形平次」
「あら、キンジー・ミルホーンと呼んでください」
「どっちでもいいの。中村部長殿に、なんではるみちゃんは仙台にいるのって訊かれても答えられないわよ」
「……そうですね」
「仕方ないわ。あなたのせいじゃないし、国民的英雄を苛めるわけにもいかない。原田君を替わりにやるわね。あなたは休暇で松島旅行をしていたことにするから、今夜はアリバイ作りに大観楼にでも泊まってちょうだい」
「それ、ホテルですか」
「うん、知り合いがいるの。電話して、あなたの名前で無理やり一人予約しておくよ。どうしても空いてなかったら団体さんに押し込めるから」
「はい」
「そんな情けない声出さないの。費用は会社持ちだし、いいとこよ。じゃ、あした午前中に原田君がそっちいくから、これまでのとこ引き継いで、はるみはこっちに戻ってね」
 はるみは素直に返事をして電話を切った。真美は受話器を置くと、直ちに原田を呼び寄せた。
 原田は何か事件が起きたことを嗅ぎ付けたように、にやにやしながら近寄って来た。真美は一瞬人選を誤ったかと思ったが、他に適当な者もいないし、原田の嗅覚と粘着性はこういうとき役に立つかもしれないと思い直した。
 真美は机の前に立った原田を、傍らの打ち合わせ用の椅子に座らせ、今までの経緯を詳しく説明した。原田はその間、真面目な顔を作り、口を挟まずにじっと聞いていた。彼はこの女上司の気質を飲み込んでいた。与えるべきデータはすべて与え、後は部下の自己裁量に任せる。果たして真美は言うべきことを伝えると、じゃお願いね、経理に口座番号を言っといて仮払いさせるからと言って話を打ち切った。
「あの」と原田はやむを得ず訊いた。「期間のめどはどのくらいでしょう」
「なにか掴めるまで−−と言いたい所ね。毎日じゃなくていいけど、小まめに電話ちょうだい。ファクスでもいいから。……あ、それから今度の事件もちょっと探ってみて。錯乱の原因に労働衛生上の問題があるかもしれない。例えば、半導体工場での砒素の扱いとかね。それとも無理なシフトを組んで労働者のストレスが溜まってるとか」
「はい、分かりました。お任せ下さい」
 原田はそうそうに引き下がった。質問すればそれだけノルマが増える。まあぼちぼち新緑の候、杜の都への出張も悪くはない。退屈したら、あの女を呼び寄せて旅行気分としゃれこむのもいいだろう。それから井上がミスって自分がフォローするというのも気に入った。原田は自分の席で所持品をまとめながら、この出張の得失についてなおもあれこれ考えていた。
 
 中村康夫は、顔の筋肉がともすればチックのようにひくひくと痙攣しそうになるのを押さえ付けていた。一体何が起こったというのだろう。いや、その答えは知っている。問題は自分がそれを認めたくないことだ。
 中央線の快速は空いていた。中村は深く座席に腰を掛けていた。そうでもしないと足が勝手に駆け出そうとする。
 くそっ、と中村は呟く。隣に掛けていた男があからさまに眉をひそめ、尻をずらして遠ざかって行く。
 平田健二の危険性については十分注意していた。興奮性の発作を起こしてからは開発部のポストから外し、サービスに回した。それが裏目に出たか。中村はいらいらと唇を噛む。くそっ、SIVが見たい。唐突にそう考えた自分に気付いて、中村は思わず辺りを見回した。隣の男は尻移動を続け、すでに一メートルほど離れている。
 しかし、平田については、定期的に訪ねてそれとなく監視するよう部下に命じて置いた筈だ。何も兆候が現れていなかったのか。それとも、あの野郎、まさか勝手にあれを持ち出したんじゃねえだろうな。
 そこまで考えて、中村は慄然とした。警察は平田のアパートを捜索するだろう。いや、もはや取り掛かっているに違いない。たぶん薬物を常用していたと疑って。そして、そこで見慣れない機械を発見したとしたら、彼らは証拠物件として押収しようとするだろうか。中村は腕時計を見る。そしてすぐにそれが無意味であることに気付く。東京にいる自分がうらめしい。やきもきしたところで、なるようにしかならない。−−おそらく、捜査官たちは、そんな物には目もくれないだろう。
 中村は希望的に考えることにした。
 平田については平身低頭、これしかあるまい。全くの監督不行届で、ええ、日頃挙動不審な点は気付きませんでした。春の異動でポストが変わったからそれで悩んでいたのかも知れません。ただ、彼はあまり外に向かって言うタイプじゃなかったもので。もちろん被害者の方々には心からお悔やみを申し上げますが、保障と申されましても……。
 電車は神田にさしかかった。とにかく、と中村は立ち上がりながら自分に言い聞かせた。これのせいでSIV発売計画に支障をきたすようなことがあってはならない。
 
 千葉刑事は屈辱を噛み締めながら、東北新幹線ホームに続く長いエスカレーターを降りていた。たとえ日帰りであろうと、公費を使っての出張であることに変わりはない。それが、噂好きの婆さん一人の供述を得たに止まり、肝腎の井上はるみに至っては、仙台でマスコミの寵児となっている。いくら千葉ひとりが疑ってみた所で、もはやあれがご本人であることに間違いはない。身元調査など全くのお笑い草、住所氏名年齢から勤務先まですべてマスコミが調べて公表してくれた。さすがに私生活に立ち入ったことまではまだ放送されていないようだが、女性週刊誌が取り上げれば、そして井上がそれに乗じて兄を捜そうとすれば、孤独な境遇は格好の話題となるだろう。
 あの井上はるみさんに新事実! 行方不明の兄は今どこに。
 見出しが目に浮かぶわい、と千葉は自由席に腰を下ろしながら思った。しかしこれですべてが解決したわけではない。あの仏の身元については皆目不明のままだし、仮に井上の兄だとしても、なぜ縁もゆかりもない細倉の廃坑に入り込んでいたのか。
 いつしか列車は出発し、地下から這い出そうとしている。すでに上野の町も闇に包まれていた。
 あの仏が地元の者が迷い込んだのではないとしたら、やはり殺されて、捨てられたと見るべきだろう。千葉は缶ビールのプルタブを開けて、溢れでた泡を啜り込む。あんな暗くて冷たいところで辛かったべ。待ってろ、おれが恨みを晴らしてやっから。
 千葉は黙って缶を挙げた。
 

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